祭りの準備 〜女優の競演にクラクラした〜

2010年1月26日

今夜はこれまたずっと視聴せずに放ってあった「祭りの準備」を観た。

2/3あたりまでみてビールが飲みたくなり、サンダルをひっかけて外に出た。
風が強く体が冷えそうであった。
戻ってきて続きを観ながらプレミアムモルツの黒を飲んだ。

映画「祭りの準備」の舞台は高知である。
僕は一度もいったことがない土地だ。
しかし高知を舞台にしたドラマや映画は幾度か観たことがある。

アニメ作品の「海がきこえる」も高知が舞台だった。
先日、タドコロ君にもらったお土産も高知の鰹であった。

映画を観ていてそのレトロ感に懐かしさを感じつつも、女優の存在感に圧倒された。
個人的な意見だが「祭りの準備」は女優の競演が素晴らしい。

それぞれの女優が雰囲気を持っている。
自分のシーンになるとその場面に出ている女優が主人公に変わる。
そんな空気を彼女たちはつくりだしていた。

もう一つ、既視感を感じたことがあった。

主人公の母親役の馬渕晴子である。
彼女は「母なる証明」の主人公役のキム・ヘジャに似ていた。

二者に共通するものは何なのだろう。
キーボードを打ちながら考えた。

息子と共生関係を維持しようとする母親という構造といったらいいだろうか。
心理学ならうまい言葉で説明するのだろうけれど、劇中の役柄が似ているのかもしれない。

序盤。
映画はストーリーが錯綜する。

脚本家を目指す主人公の脳内イメージが映像化され劇中の現実側のタイムラインに前触れもなく挿入される。
この演出も面白かった。

しかし、各場面で見せる女優陣の表情、特に目がつくりだす空気は更に印象的であった。
昨日から貯まりっぱなしの映画を一日1本づつ観ていこうと思って見始めたのだが、二日目にして濃厚過ぎて倒れそうである。

ちなみに明日の予定は「ジュリアン [DVD] “>ジュリアン」(ハーモニー・コリン)である。

祭りの準備 [DVD]
■祭りの準備

「愛のむきだし」 〜映画という体験について考えた〜

2010年1月25日

長いこと放っておいた「愛のむきだし」をようやく観た。

飽きさせることのない237分は脳に強烈な印象を与えた。
視聴し終えて久しぶりにブログを書いている。

下記は視聴直後に書いたTweetである。

「「愛のむきだし」ようやく視聴。いやー、面白い。映画なんだけれど劇的というかストーリーテリングの体系がシフトチェンジしまくる感じが脳的で素晴らしかった。このギアが変わる感覚ってスゴイ好きだ。いやー、いい時間だった。これ、名作だ。」

アマゾンの感想をみると映画の内容について触れられているものが多かった。
自分の場合は上記のTweetでも触れたように「脳的」な感覚にまいってしまい、何かしらアウトプットせずにはいられずこうしてキーボードを叩いている。

映画なのだけれど脳的には映画ではない感じといったらいいのだろうか。

強引に自分の感覚を言葉にするならば

「視覚と聴覚を画面上の時間にゆだね、237分を脳的に別な世界で過ごした感覚」

とでもなろうか。

237分という時間、現実世界とは異なる時間軸と秩序体系に感覚をさらすことで脳内秩序と劇中世界が滲んでいき、映像と音声を通じてそこに描かれている情景とは別な意味を脳内で形成していくプロセスに自分はストーリーテリングとは別の心地よさを感じた。

この種の感覚を体感するには視聴する際に別な秩序体系への一時的な拘束、脳が劇中世界の秩序に慣れていくための視聴時間が必要とされる。

これに耐えることができれば、劇中世界と現実の自分との関係が滲んでいく。
(視聴時間の全てが必ずしも面白いわけではない。例えば「ストーカー」なんかもこの感覚に近くて、あの現実とはちょっと違う時間の感覚に長時間、身をおいていると徐々に感覚がディストーションされてきて映像が別な意味をもって迫ってくる。「愛のむきだし」に関していえば映像とテンポとテーマのバランスが絶妙で脳が慣れていく際の負荷が低くエンターテイメント性が高い。それでも通常の娯楽作品と比較すればかなり負荷は高いけれど)

そして、こうあって欲しいという自分の意志と、そこからズレていく劇中世界の秩序がせめぎ合い緊張が生まれ、それが脳に響いてくる。
観ている映像と感じる意味・概念がズレていく感覚である。

自分はこういった感覚を与えてくれる作品が好きだ。
しかし、それはめったに体感できない。
体力が必要というのもあるのだけれど、どうにか劇中世界との関係を構築できたときは「戦った」といった満足感が得られる。

「愛のむきだし」は久しぶりに「脳が戦った」そんな印象を受けた237分(作品)であった。

愛のむきだし [DVD]

iPhoneデコ電化計画&レポート

2009年12月27日

iPod Styleの企画でiPhoneのケースをデコ電仕様にする研究会がITmedia社で開かれた。

これまで「デコ電」にはほとんど興味をもっていなかったのだが所属している

モバイル表現研究所

のテーマとして岸くんが熱く語っていたのと2010年1月から発行予定のiPhoneマガジン(三栄書房)の創刊を手伝っている関係もあり、おっかなびっくりデコ電研究イベントに参加した。

その模様は下記のiPod Styleの記事でも紹介されている。

第2回 iPhoneケースデコ電会レポート

男性で参加しているのは主催者を除けばオレだけ。

会場についた瞬間からかなりアウェイな感じではあったのだがiPhoneマガジンの編集部の女性陣がいたのでホっとした。
本当は龍のデコにしたかったのだが先生に相談すると

「うーん、これだと6時間コースですね…」

とあっさり断念。思ったよりも時間がかかるらしい。そこで先生に

「じゃあ、先生、いちばん簡単なのを教えてください」

とお願いすると

「はい!実は、今日はオススメのがあるんですよ!」

そういって紹介されたのが下記の「スカル」

なんだ、これなら簡単そうじゃないか。スグ、終わるな。
ホっとして作業開始。

ところが…。
作業をはじめてみるとこれがなかなかに難しい。
デコに使うパーツは同じものを使っているように見えるが実は大きさが何種類もあって、大小のパーツをうまく組み合わせて「キラキラ」をつくっていくのである。

で、この組み合わせが難しいのだ。

作業自体は複雑ではない。
台紙を貼って、その上に爪楊枝を使って接着剤を塗り、乾く前に2mm〜4mmくらいのパーツを張っていく。

パーツを台紙の上においていくのに使うのが「マジックスティック」みたいな名前の棒で先端に微細な接着力がある。

台紙を切っていると

「すぐにシーンとなってカニを食べてる感じになりますよ」

とiPod Styleの人に言われたのだが半信半疑であった。
ところが最初はワイワイとみんなで騒いでいたのが台紙にパーツを貼る段になると一変、みんな寡黙である。
そういう自分もかなり寡黙に作業に入る。

男で参加しているのは自分ひとりのためか先生もいろいろと手伝ってくれる。
こちらもかなり本気モードである。

前夜にユビキタスエンターテイメントの清水社長らとガンガンに飲んでしまったので若干テンションがあがっていたのだろう。
デコケースが完成に近づくにつれて妙な達成感に包まれていった。

さて、そんなこんなで完成したのが下記である。

2時間ほどかかって完成させた初デコ電ケース。
やってみるのとできあがったものを見るのとではこんなにも印象が違うのか、と驚いた。

得難い体験をさせてもらった。
実際にやってみるとかなり面白いのだが、この面白さは実際につくってみるまでなかなか伝えることが難しそうだ。

次回は「モバイル表現研究所」でもデコ電制作講座をやろうと思っている。

祝・Ustream(iPhoneでの生中継)復活!

2009年12月10日

これまでJailBreak(iPhoneの改造)をしなければ利用することができなかったiPhoneによる動画の生中継ができるようになった。
試しにiPhoneから中継してみた映像が下記である。


一年前はモバイル動画にはまっていたので結構、動画レポートを作成していたのだが3GSになって以降は動画中継ができなくなっていた。これでようやく動画レポートが本格化するのではないかと思われる。

ちなみに上記の動画はWifi経由で中継したものである。

■Ustream(iPhoneアプリ版)
http://itunes.apple.com/jp/app/ustream-live-broadcaster/id319362690?mt=8

コンビニの帰り道の楽園

2009年11月30日


久しぶりにブログを更新してみる。
とりとめもないことなんだけれど忘れないようにメモしておきたい。

コンビニからの帰り道、唐突に思った。
うーん、なんか考えようによっては楽園な気分だな、と。

これといって特筆すべき出来事があったわけではない。

その数十分前、iPhoneでTwitterのタイムラインをみると首相との会食の話やNHKスペシャルの話題が並んでいた。
僕は途中までみて出かけてしまったのだがNHKスペシャルはエチオピアに進出するZTE(中国の携帯機器メーカー)の特集であった。

で、途中までみていたらなんとなくビールでも飲むか、という気分になってコンビニに出かけていった。

それだけのことである。

15年前、深夜にお酒を買うのはなかなか大変なこであった。

当時は勝どきにすんでいた。
運河沿いにあったレイメイスカイレジテル(岡田奈々監禁事件のあったところだ)の2Fのお店が午前1時までお酒を販売している唯一の場所でそこを逃すと門仲のam/pmまでいかなければならなかった。
その頃は友人たちもよく泊まりにきていて、みんなお金も稼ぎはじめていたのでよくタクシーでビールを買いにいった。

外に飲みにいくにしても、銀座のどこにいったらいいのかわからず結局、どこにでもあるような店にいくことも多かった。
最近はだいぶお店も教えて貰ったのでちょっと奮発すれば驚くくらい美味しい夕飯を食べることもできる。

そんなことをボーっと考えながら3分程度の夜道を帰ってきた。
小学校の校庭と超高層のマンションの灯りが見えた。

部屋に帰るとNHKスペシャルの続きが待っていて、この後それを観ながら何かしら考察するんだろう。k
なんかいつのまにかいろんなことが自由になったなあ、と思った。

それが何だってわけじゃないんだけれど、これだけ自由に何でもできるのって、結構ハッピーだな、と思った。

ダイナミズムが薄れている、とか、希望がない、とかいろいろ煽りはある。
それはそれで面白いのでついついのってみたくもなる。

が、あとちょっとだけチューニングすればいいだけで、いまはかなりいいところまできているのではないかと思う。
あとほんの少し、一歩だけ押せば相転移な感じがしてならない。

結局、どこもかしこもダイナミズム万歳な国も人も社会もどっかの段階ではこうなると思うのだ。
いい感じの双六あがりな沈滞といったモードは避けて通れないんじゃないだろうか。

悲観もいいし、ポジティブもいいんだが、それらは単純すぎな気がしていて、別な軸でパチっとやらないといけないんではないかと。

品とか勢いとかとも違う軸。

なんだろう明日も晴れるならば夜明け前はきれいだ、みたいなノリというか。
夏に田舎で空を見上げるとリアルにプラネタリウムを超えてる感じというか。

結構、悪くないゾ、と思える脳。

まとまらないのだが1000年後には現在生きてる人の100%はいなくなっている。

どんな偉い人もスゴい人もこの時間、呼吸しているわけでそれにはかなりの価値がある気がする。
が、まあ、ほとんどの人とはリンクすることもなく、交差することもなくフェードアウトしていく。
でもそれでも価値はあって、そこにいるとかいたとか、それだけでも結構悪くないぞ、と思う。

日々は「俄」みたいなもんでカチカチいって過ぎていく時間で戯れてるわけだがこれが結構、楽しかったりもする。

「とりあえず生き残れ」

と師匠にいわれたのはもう15年前だろうか。

冒頭の写真はブログを更新しようとと思って机の上にビールと安いつまみを並べたものだ。
酔ったわけでもないがなんとなく何かを書き残しておきたかった。

伊勢の記憶

2009年11月4日

2年前、伊勢神宮を訪れた。
その朝のエントリーがこれだ。

朝の伊勢神宮は神世の森 斎場御嶽(せーふぁーうたき)以来の感覚と衝撃

読み返すとあの朝の記憶が蘇ってきた。

あの日、偶然、早朝の伊勢神宮を散策した。
その時のことは一生忘れないだろう。

ガイドツアーも入っていたのだが独りで出かけた。
橋をわたり伊勢神宮に入ったあたりで強烈なディストーションを感じた。
いまでもあの感覚だけは覚えている。

後にも先にもあれほどのディストーション感覚を味わったことはない。
10年以上前にはじめて訪れたセイファーウタキ(沖縄)とも違う感覚であった。

今夜は月が綺麗だったのでウイスキーを飲みながらベランダで月をながめていた。

今日一日、怠惰に過ごした。
それでも夜はこの一杯を飲めたことで及第点をあげたい。
美味しいお酒には価値があるのだと思った。

ブログも久しぶりの更新だ。

書く時間がないわけではない。
時間がなかったわけでもない。

ただ、書くよりも先にやることが多かった。
明日以降も多忙な日々が続く。

本当にラッキーだと思う。
この間、モバイル夜間大学を主催されているフジナガさんと飲む機会があった。
素晴らしい方だと思った。

彼はべらんべえ調とは違うが独特の話し方をする。
その話し方で誤解されることも多いのかのもしれないが、僕はとてもオープンで親切で優しい人だと思った。

こういう人とすれ違うのではなく親しくなれる機会を持てたことは幸運だと思っている。

日々、様々な人との出会いがあり、ダイアログがある。
こうした時間に自分は幸福を感じる。

人との出会い、コミュニケーションは自分にとって生き甲斐である。

先日、日本アンドロイドの会の丸山先生とご一緒させていただいた。
この酒席も楽しいものであった。
しかし、それ以上に先生とご一緒させていただいたカラオケは楽しかった。

と、書いていたら、久しぶりにイシカワさんに会いたいと思った。
イシカワさんは僕が尊敬する天才の一人である。
日本を代表する音楽家でありアレンジャーでありプロデューサーでありプログラマーである。
僕が尊敬してやまない人のひとりだ。

イシカワさんと思いっきり、ディスカッションしてバカ話をしたい、と久しぶりに思った。

階段がピアノに?!〜拡張現実より現実拡張〜

2009年10月9日


上記、階段がピアノに早変わりするインスタレーションのバイラルムービーである。
階段という身近な存在の形状特性が上手に利用されており「わかりやすく」「インパクト」がある。
素晴らしい。


こちらはゴミ箱を使ったインスタレーション。
こちらも階段ピアノ同様、なじみのあるゴミ箱の拡張でありとても「わかりやすい」。

こうした事例をみているとはやりの「拡張現実」ではなく「現実拡張」の手法の方が人により近いという印象を受ける。できる限りこちら側を手がけていきたいものである。
カツモトくん、やりましょう!)

デジタルステージから「BiND FOR WEBLIFE 3」が届いた パッケージ編

2009年9月28日

週末「BiND FOR WEBLIFE 3」が届いた。
「BiND FOR WEBLIFE 3」には僕も寄稿させてもらった「ウェブコンポーザーズバイブル」が同封されている。

週末もバタバタだったため今朝(月曜の朝)になってようやくインストールすることができた。
以下、パッケージの内容を簡単に紹介していきたい。


パッケージはかなりシンプルで付属のボーナスDVDが同封されている。


ウェブコンポーザーズバイブルもパッケージ内に綺麗に同封されている。


僕の記事はこんな感じウェブで公開する動画コンテンツの簡単な作り方について紹介している。


そういえばプロフィール写真は友人の映画監督宅の飲み会でiPhoneで撮影したものだった。こんどウーマのスタジオでちゃんとしたのを撮ってもらおう。


中はこんな感じ。前のバージョンからかなりの進化。使いやすくなっている。


分厚いマニュアルがデジタル化された模様で好感が持てる。


ミヤザキさんもクレジットに入っている。


今回のDVDはブラックの装丁。なかなか渋い。


インストーラー。こちらも渋めの色合い。


そしてインストール開始。

実際の使用レポは後ほど。

追伸:今晩、18:30からAppleストア銀座で平野さんがイベントやります。僕も後から駆けつける予定です。
http://www.apple.com/jp/retail/ginza/

BiND for WebLiFE 3 プロフェッショナル(サーバー付き) Macintosh版

BiND for WebLiFE 3 プロフェッショナル(サーバー付き) Macintosh版

「あの日、欲望の大地で」と扉の話

2009年9月27日

あの日、欲望の大地で」を観てきた。

オープニングからいきなり引き込まれ、最後まで脳をフル回転させて観ていた。
時間と人が交錯し、最初のうちはどの時間に何が起こっているのかがわからなかった。

作品の特性上、内容については書けないが映画の最後の最後、全てがその一点に向かって再構成されていく様は見事であった。あの瞬間をつくるためにそれまでの全ての時間があったのだろう。

そして、シャーリーズ・セロンの醸し出す倦怠とやるせなさとエネルギーがバランスした空気に引き込まれた。
久しぶりに観た素晴らしいラストシーンであった。

■あの日、欲望の大地で
http://yokubou-daichi.jp/

そういえば明日はデジタルステージの平野さんらと久しぶりに会う。
楽しみだ。

週末とレイヤーの話

2009年9月27日

先週はシルバーウィークのため2日しか普通に動ける日がなかった。
にもかかわらず両日とも驚くほどに多様な出来事が連発した。

14年7年周期という考え方がある。
出来事が螺旋を描くように過去と同じようなタイミングで発現するという話なのだがこれは当たっているように思う。

これまで幾度となく幾つかのケースを考察してきた。
その過程で無数の解が浮かんでは消えていった。
そのプロセスは無駄ではなかったのだろう。
スパイラルをすげ替えることには成功したのではないかと思う。

●●●という音が聞こえたような感覚である。
実はいろいろなことを試してきた。
そのどれが有効でどれがそうでなかったのかを個別に分類することは難しい。

それでもレイヤーをかえることの有効性は確信している。
少なくともそれは真実だろうと思う。