岡村靖幸TOUR `07「告白」@Zepp Tokyo

驚くべきことだが前回、岡村靖幸のライブを観にいってから17年の月日が過ぎていた。

岡村靖幸のステージを観たのは1989年のPeach Tourの初日。
場所は仙台電力ホールだった。
席は3列目。
結構な衝撃であったがあれから17年とはにわかには信じがたい。
当時、岡村靖幸は24歳で自分は16歳だった。

なかなか始まらないステージをみつめながらそんなことを思った。
開演から20分くらい遅れて曲が始まった。

さすがに当時のすらりとした感じとは違う。
あごのラインがコロッケに似ている。

最初の曲がなんだったのか忘れてしまった。
印象が薄い。
はじまって3曲くらいして周りは腕を振り上げて歌っているのだがどうもノリにはいっていけない。

見所は時折、披露する特異なダンス。
何故かわからないが惹きつけられる。
歌っている時よりもアドリブなパートの方がはるかに心地よい。

なんだがノスタルジーに浸っているようでイヤだった。
早々に岡村は退場し、バンドによるやたらと長いパフォーマンス。
そして再登場。
アレンジに違和感を感じつつも爆音といってもいい聞き取れないボーカルに体をゆだねていた。
既知の曲だがアレンジが違うので違和感がありそのズレが奇妙なディストーション感覚をつくりだしつつあった。
いい加減疲れてきたので後ろに下がろうか、いやそろそろ帰ろうか、と思った。

1部の最後の曲のあたりで強烈な爆音に頭がガーンとやられた。
岡村もわけがわからない動作をみせ、歌なのか絶叫なのかわからなくなっている。
正直なところ頭がイってしまっているのではないか。
儀式じみたすさまじいパワーではある。

カーテンが閉じてしばらくすると第2部。

白いカーテンの前におかれたキーボードを弾きながら岡村が歌う。
さっきまでの爆音に比べると、こちらの方がよほど聴きやすい。

いくつか懐かしい曲の後、カーテンが開き、MC。
岡村ではなくベースの男性がMCでメンバーを紹介していく。

ライブが再開されるもあまりにも爆音がひどく耳が壊れそうだったのでチケットの半券をちぎって耳に詰めた。
そうやってしばらく爆音に耐えていた。

しばらくして、唐突にガチっとギアがかみ合った。
何曲目だったかは忘れたが曲名は覚えている。
STEP UPから、いきなり爆音と会場と岡村のギアがかみ合った。

この後、もう一度、カーテンがおり、しばらく間があいた。
折角のテンションが分断されるのは構成上もったいないのではないかと思ったが杞憂であった。

順番はうろ覚えなので前後しているかもしれないが、マニピュレータによる二度目のMCの後、岡村の動きがいよいよ奇異になっていき岡村ワールドがドライブされていく。

ここから先が素晴らしかった。
黒のスーツに着替え、ギターを手に現れ「黒のオベーション」以降の数十分は至福の時間であった。
音楽に詳しい人には違って見えたのかもしれないが自分にとっては神懸かりといってもいいパフォーマンスであった。
自分にはそう見えた。

空間に狂気と超集中状態が満ちていく感覚は特異であった。

ラストをどうもっていくのか、そればかり考えていた。
理由はないが「Out of blue」が最後の曲なのだろうと思った。

メドレーが続いた「Dog days」(たぶん)、そして「愛の才能」。
イシカワさんがプロデュースした曲である。
ライブに出かける直前、イシカワさんと話したばかりだった。
意味はないが意味を感じた。

ラストは「Out of Blue」であった。
そして凡庸と狂気と静寂と天才が渾然一体となったステージは終了した。

濃厚な映画を堪能したのと同じような気分であった。
あれは何であろうか。
脳への刺激だけであれがつくれるとは思えないがだとすればかけているのはいかなる要素であろう。
儀式、あるいは、イニシエーションの持つモードを思った。

人混みを避け、隣の展示場前駅まで歩いてから電車に乗って月島に帰った。

豊洲で乗り換える際、CoCo壱番屋に寄った。
4人用のテーブルの席が空いていたので座って待つと注文を取りにきた男性の店員が中央の二人用のテーブルに移るように要求してきたので「わかりました、では結構です」と言ってそのまま店を出た。

さっきまでの狂気の空間と笑顔の営利主義の接点はどこにあるのだろう。
考えながら帰路についた。

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