« 老人と海と魚影の群れ | メイン | KILL BILL に想うコンテンツの世界と人のモード »

2003年10月24日

ルールと流れと人を変えようとしないこと

突然、田舎の母が見舞いに訪れた。
朝、父から電話がかかってきて

「これからお母さんが新幹線でいくからよろしく。オレはこれから札幌なんだ。」

3時間後、母が東京に到着した。幾度か電話で連絡をとりあいながら部屋まで誘導。拘束具をつけなおしてもらい、昼食を食べる。夕方、妹も合流して、3人で夕食を食べる。久しぶりだ。

午後10時、妹の家へ二人は帰っていった。

「昭和名せりふ伝」を少しづつ読む。肩胛骨の痛みは少しやわらいだが肩がズキズキと痛む。動かしすぎたせいだろうか。

母はいろいろと部屋を片づけていた。僕は部屋に人がいるのに慣れないので落ち着かなかった。1年前の自分だったら怒鳴って喧嘩になっていたのではないかと思う。母には母の世界観があり、その視点で生きている。親の言葉の端々に苛立ちを覚えたり、ムカっときたりするのは自分との間合いの問題だと思う。

親にとって子供とはいつまでも子供なのであろう。

父とは飲み友達ということもあってその距離感が酒というメディアを通じて確立されている。父の言葉にムカっとくることはまずないのだが母の言葉には苛立つ時が多い。ルールを押しつけられる時に僕は苛立つのだとわかった。しかし、母の視点に立ってみればそんな振る舞いも当然なのだろう。

思ったのは人を変えようとしない、ということだ。
これまで何でいらついてしまっていたかというと「そうじゃないだろう、こうだろ、なんでこうしないんだ」という気持ちが前でてしまうからだったと思う。そこを変えてみた。すると事象や物事の運びに流れがでてきて、いろいろとうまく運んでいった。ちょっとづつだがこうやって自分を開いていけばいいのだろう。

投稿者 TKM : 2003年10月24日 00:05

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.kagaya.com/mt3/mt-tb.cgi/3077

コメント

全くもって同感。
ワタクシメは親父と昨日飲んでおりやした。ワタクシメの場合には店の雰囲気が重要。親父が慣れた雰囲気だとスムーズに会話は進むけど昨日みたいにチト異なる雰囲気だとテキメン肩に力が入る。そうなると、もうダメ。なんか、昨日は疲れました。

投稿者 : 2003年10月24日 09:48

子供をもって初めて親の気持ちがわかりました。子供はいつまでたっても子供。親としてはルールを押し付けたくなる(するかどうかは別として)。日々、自分がMARUにそうしていないかドキドキしているけどね。

投稿者 志乃 : 2003年10月24日 11:22

子供の気持ちはわかるが親の気持ちはまだまだオレには分からないんだろうなあ。ところでMARUちゃんのパリの逸話いい話だね。

投稿者 かがやとものり : 2003年10月25日 01:30

フランスのパリじゃなくて、インドネシアのバリなんです。
ヨーロッパに行ったことないので私は行きたいのだけど、MARUが西洋文化を楽しめるようになるにはもう少しかかりそう(苦笑
何処に行ってもどんな環境になっても楽しもうとするMARUの精神には頭が下がります。

投稿者 志乃 : 2003年10月25日 11:11

コメントしてください




保存しますか?