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2003年11月28日
モチベーション2
(前文からの続き)
そうだ!
思い出した。
モチベーションについて考えていたのだ。
そうそう。
僕にはモチベーションがない。
何をやりたいという強い情熱もない。
前はあったのかといったら前もなかったかもしれない。
かといって無気力なわけではない。
全方位に対して興味がある。これがイケナイというのが最近のメディアの潮流で何につけても「専門性」とか「一点集中」を訴える。アホじゃないの?というのが僕の本心だ。専門性も一点集中もプロの人達は後から振り返ったら勝手にそうなってただけでそれを目指したわけじゃない。意図的に一点集中すると大抵は失敗する。それは自然な流れじゃないからだ。
習慣というものは大切でなんとなくでもやっているうちに脳にその回路が定着していくから自分なりのやり方やタイミングというものができあがっていく。でもそれらは絶対的なものではないからやろうと思えばいくらでも変えられる。何十年もやってきて、そのやり方しかできないと思っていても案外と簡単に変えられる、と僕は思っている。人間の脳はわりと柔軟だ。
例えば恋愛について考えると簡単かもしれない。
好きな人ができる、この人以上に好きな人はいない、と思うようになる。
けれど、その人に出会う前はまた別な人が好きだったはずだ。
自分が当事者だとわからないけれど客観的にみてみると人って柔軟だよなと思う。
嫌なことも嬉しいことも昨日みた夢も時間とともに忘れていく。
嫌なこと、胃が痛くなるようなストレスや恐怖、不安。
これも不思議なことに時間とともに消えていく。
僕が一番苦手なのは人間関係のトラブルによる不快感である。
苛立ちとも違う。人と争ったり、トラブったりすると胃が痛くなる。夜もあまり眠れないし、どこにいっても安心感がなくなる。人は不安の生物なのだろうか。恐怖のベースにあるのは強い不安だ。
だから不安がなくなると人は解放されて幸せを感じる。
けれど解放も最初の一瞬が幸せなのであって解放の幸せが継続するわけではない。解放の幸せは解放前があることによって意味が生じる。快と不快は地と図の関係である。
しかし、快によって快が意味づけられることもあってもいいのかもしれないな、と今は思う。
別な種類の快によって快が螺旋状に上っていくイメージである。(このイメージは面白いな)
地下鉄で小学生に道をきかれた。教えてあげて途中の駅まで一緒に話をしながらいった。降りるとき彼は手を振ってくれた。駅の改札で駅員さんに会釈された、一言二言話をした。笑顔でわかれた。マンションの入り口で管理人の夫婦に挨拶をされた。「コンバンワ」笑顔で近況を話す。二人は「これから夫婦で映画を見に行くんです」といって駅へと歩いていった。
コンビニで買い物をしたらおつりが100円多かった。「あれ、100円多いんじゃない?大丈夫?」と聞くと「あ!間違ってました。スミマセン、ありがとうございます!」と青年が笑顔で何度も頭を下げた。話をきいたら最近、近くに越してきたらしい。
夕飯を食べようと近くの蕎麦屋にいった。天ぷら蕎麦を注文して待っているとネギを切りながら店主が話しかけてきた。この店主、普段はお客とはほとんどしゃべらない。「最近、寒くなりましたね。蕎麦よりもクイっといきたいところですよね。ハハハ。」
(中断)
コミュニケーションによって幸せが出来ていく時は地と図がプラスとマイナスの差異ではなく速度とかモードによってつくられる。
(休憩、次は「モチベーション3」だ)
投稿者 TKM : 2003年11月28日 12:29
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コメント
あ、この感覚いい感じです。一言、二言笑顔で言葉を交わすだけで人って分かり合えると思うのよねん。後はアイコンタクトかな(笑)
投稿者 竹 : 2003年11月28日 12:36
スキンシップというコミュニケーションもあるし、私はこのコミュニケーション大好き。
「それしかない!」と思っていてちがうやり方でできたとき、あ、この感覚だ!と思った。するとひらけるんだな。
投稿者 志乃 : 2003年11月28日 18:13