« 我、戦いの場をみつけたり | メイン | テキスト »
2003年12月01日
混み合う電車が示す人の世界と言葉のその先
この4日、東京は雨が続いている。
気温はそれほど低くない。
冬の電車は過剰暖房なのか乗り込んだ時に熱気がムワっと迫ってくる。
高校には電車で通っていたが田舎の電車はどんなに暖房してもいつも寒かった。
学生服にコートをはおり、学校へと向かう。
僕は朝6時台の電車で学校に通っていた。
7時すぎには学校につく。
誰もいない教室で眠っていた。
湘南台に住んでいた頃は月島までグリーン車で通っていた。
混み合う車内で無益に過ごす時間は全て無駄だと思っていた。
ラッシュ時に電車に乗るとエネルギーが削がれていく。
混み合う車内で自己をポジティブに保つのは難しい。
自分という存在がギリギリまで追いつめられ、他者への優しさなど一瞬で消え失せる。
発射ギリギリになって強引に乗り込んでくる人達。
タックルとはいわないが自分さえ乗れればそれでいい、という気持ちがダイレクトに伝わってくる。
感情が伝播するのか車内は殺伐としていく。
都心の周辺に人が住んでいてその人達が電車で真ん中に向かって集まり、夕暮れと同時に同じ経路で拡散していく。これが日々繰り返される。電車が混み合うのは電車の持っている輸送能力を上回る量の人数がある特定の時間に集中してしまうからなのだろう。ピーク時の物量の倍のキャパシティをカバーできる状態で電車が運営されていれば人はいまよりも幸せになれるだろう。
山手線を24時間走らせ、都内に乗り入れる電車のキャパシティを現在の2倍にしたら、変わる世界もあるのではないだろうか。僕が興味を持つのはそれらが何故できないのか、ということである。技術的に出来ないわけではあるまい。理由はやはり人である。
この世界の問題のほとんどは解決不能な問題ではない。
人の世界の問題の多くは人に起因する。
人によって引き起こされた問題はコミュニケーションによって解決できる。
言葉のその先、か。
投稿者 TKM : 2003年12月01日 07:32
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.kagaya.com/mt3/mt-tb.cgi/3130