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2004年01月06日
「高い城の男」~デジタルコンテンツについて
久しぶりに福島に戻った。
正月に二日から五日までの三日間、家においてある本を眺めて過ごす。
ディックの「高い城の男」を探すがみつからない。
本の山のどこかに埋もれたようだ。
実家には湘南においてあった本を全部送ったので2000冊くらいの本が段ボールに入っておいてある。両親が少し整理してくれたが大部分は未整理のままだ。
電子出版の可能性についての本を昨日読んだ。
コンテンツを「楽しむ」という視点で考えると「止まったテキスト」(既に書籍として出版されているようなテキスト群)をデジタル化しても楽しくはないだろう。それらは電子本として「読む」為のテキストではない。しかし、アーカイブとしての価値は素晴らしい。僕がやむなく実家に保管している自分の書籍の全てが数十ギガ程度のディスクに格納でき常に持ち運べるとしたら夢のようである。常に読みたいわけではないが持っていることを確認したくなるテキストや作品はある。
電子出版には二つの方向性があるのだろう。
アーカイブとしてのデジタルテキスト・コンテンツ。
そして流れていくテキスト・コンテンツ。
完成された作品は本という形で楽しんだ方が便利だし楽しい。
書籍を買うと、それにデジタルテキストもついてくる、というような形体がいい。そうすれば自分のライブラリーを常に携帯できる。この魅力は大きい。
それに長文を楽しむには「モノ」が持つ魅力と拘束力を利用しなければならない。だから「読む」時は書籍。しかし参照するときはデジタルというのがいい。
映像でも似ている例があって完全に消費、あるいは受けの姿勢でみられる作品はよいのだが「ミレニアム・マンボ」のように受け手の積極的な参加、つまり作品の時間・空間への同化を必要とする映画の場合は映画館でみるとジーンとしみいってくるものが家庭でDVDというコンテクストだと作品の持つ装置が有効に働かないのでかなりの苦痛を強いる。
帰ってきてRSSリーダをたちあげると山ほどのエントリー一覧が現れた。まずは友人のカテゴリーからまわっていく。これが僕のウェブログの閲覧スタイルで一度RSSリーダを使うともう普通にブラウザでサイトを巡回するということができなくなってくる。
まず野知さんのサイトをみてみる。年頭に今年はコンテンツパブリッシングでいく、との宣言がある。部類の本・情報好きの自分としても今後のデジタルパブリッシングの展開が楽しみだ。
コンテンツパブリッシングについては昨年末に金子と話し込んだ。いろいろなテーマについて話したのだが電子ブックリーダーについて金子の感想が面白かった。
クリエイターの立場からいうとΣブックのような見開き型の端末には大きな違和感を感じる、とのことだった。というのはΣブックにみられるような見開き型の形状は必然性から生まれているわけではなく「本」というメディアを模倣したもので、そこからは次の表現、新しい作品というものは生まれにくいのではないかというのだ。
金子によれば基本的に紙のマンガの吹き出しは縦書き表記されている。その為、視点の動きは右上から左下に向かって時系列で進んでいく。しかし、ほとんどのPC、ゲーム端末などは横書きが標準であり、金子自身も作品は横書きでつくっている。作品中の時系列の流れは既存の書籍のように右上から左下というものではなく左上、あるいは中央、など書籍とは異なるものになっている。その方が自然に感じるというのが理由だ。僕も金子の作品を観てみたが横書きの展開に対しては全く違和感を感じなかったし、金子の指摘するようにごく自然なものに思えた。
Σブックにみられるような「本」の形状の模倣は懐古的であり新しいコンテンツのプラットフォームとしては必ずしも適切である、とは言えない。既存の書籍を読む場合の視点の流れを電子ブックリーダーに移植するために二面パネルが採用されているということは理解できるが、そこでは新しいデジタルコンテンツの可能性が忘れられている。
金子と話していて思ったが「端末からの発想」では新しいコンテンツは生まれないのだろう。こうした議論はどこでも行われていることなのかもしれないがその多くは「クリエイターではない人」によって行われており、実際に絵を描きストーリーをつくることができ、それらをインタラクティブなコンテンツとして完成させる能力を持った人の意見や声はほとんど聞こえてこない。
++++++
ここからはメモ。
僕の意見だがことエンターテイメントに関して言えば面白ければ書籍だろうとPCの画面だろうと地上波の放送だろうと映画館だろうとDVDだろうと観る。クライトンの「タイムライン」の文中にあった一文が見事に表現していた。原本を実家においてきたのでうろ覚えだが「現代において人が最も恐れるものそれは暇である。人は退屈には耐えられない。」みたいなことが書いてあって、実にうまい言い回しだなあと思った。
投稿者 TKM : 2004年01月06日 11:13
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コメント
まだ全文は読んでいないのですが「止ったテキスト」という言葉にひっかかりました。私も、同じキーワードに注目しています。
映画監督と同じように、テキストに”時間軸”を与えられたら?という課題です。とりあえずポエトリーリーディングの企画なんかもやってみたいし、ウェブ上で”動くテキスト”の実験もしてみたいと思っています。
投稿者 maskin : 2004年01月06日 12:51
マスダさんのコメントでイメージが広がりました。テキストに時間軸を与えるというのはある種の「拘束条件」になってそのことで「読む」という行為が「観る」という行為と似てくると思うんですね。
流れていくものに対しては注意が向きやすい。映画もにていてコンテクストで考えると映画館の映画は流れていく。でもDVDは止まっている。
・動くテキスト
・流れるテキスト
・動くコンテクスト
・止まったテキスト
・流れるコンテクスト
・止まったコンテクスト
みたいな感じでコンテクストレベルとテキストレベルで二つの話をいっしょに扱っているので自分の話がちょっともつれていますが面白いテーマだと思います。
今後はこれが別な情報形体でも問われるようになってくるのでしょう。
※補足ですが昔のMacのソフトで入力した文字がルパンのオープニングの字幕のように表示(音もあり)されるソフトがありましたよね。あの面白さにも注目したい。つまり、リッチテキストといったときにそこではテキストの二次元的な装飾に意識が向かうけれど(例えば侍魂などはそんな感じだったような)実際には増田さんが指摘するように時間軸、そして表現のモード的なものがあると思うんですね。こうした時間軸プラス音という表現のパターンをボールドとかアンダーラインとやるように付加していけたら文章の印象は全く別なものになると思うし、テキストのマルチメディア化というのはそういうことのような気がします。
投稿者 かがやとものり : 2004年01月06日 14:17