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2004年01月20日

教育という言葉から情報の振る舞いについて考えた

本日、夜11時からの「ガイアの夜明け」は「世界教育ウォーズ」。教育という言葉を聞く必ず友人の愼之介の姿がよぎる。

現在、彼は学校を設立すべく奔走している。
目的が定まっていると関連する情報や環境が段々と集まり構築されていく、ように見える。僕も教育に関連する情報に触れると自然と彼のことを思う。有用と判断すれば連絡もいれる。何故、情報はこうした振る舞いをするのだろう。とても興味深い。

精神論や自己啓発エッセイで語られるような「勢い」とか「好きなことをやっている向こうから幸運がやってくる」という話をきいていると心地がいい。実際のところ心の持ちようと情報の振る舞いは全く無関係ではないのだろうけれど。
しかし、これらの現象には情報論的な理由がある。

この部分がわかってくると人がどう生きるべきかとか、その人が何をしたらいいのか、とか。人に関する様々な問題の入口まではいける気がする。

投稿者 TKM : 2004年01月20日 22:14

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コメント

同じ番組観てました。
確かにシンノスケのことを想い出しながら観てる自分がいやした。いろいろと考えさせられた気がしますです。

投稿者 : 2004年01月21日 08:32

冒頭に登場した中国の進学校の巨大な施設と学生服の映像が脳裏に焼き付く。欧米の学校の分校みたいな印象を受けた。
アメリカのKIPPも面白いと思ったけれど冒頭のあの学校が気になる。小中高というよりも大学だよねあの雰囲気は。

取り上げられていた日本の学校は比較対象としてズレているような気がした。日本の最先端の学校の事例を紹介すべきだと思うが。

投稿者 かがやとものり : 2004年01月21日 10:16

中国もアメリカも生徒個人個人が非常にハングリーな感じがした。それぞれの家庭環境によるものなのかなとも思った。
比較対象としての日本はそのとーりだと思う。ちょっとズレていたのか、もしくはこれから日本も変わっていくというメッセージなのかなと。
ただ、生徒の気合というか、伝わってくる気迫は明らかに違っていたように感じた。やっぱ、本人たちのやる気なのかな。

投稿者 : 2004年01月21日 12:02

実は俺も見ていた。

こういうときに備えて、年末にパソコンでTVを見れるようにしてみた。

「学びたい」っていう意欲がこんなに違うのは、何でなんだろうね。

投稿者 シンノスケ : 2004年01月21日 19:52

みんな同じ番組みてたのか!

学びたいという意欲の違いは確かにあるね。けれど、取り上げている学校が偏っているかな、と思った。中郷だって全員があれほど学びたいと思っているわけではないし、アメリカの事例もどちらかといえばマイノリティの「ここから上っていくぞ」という特殊な事例だと思う。

昨年みた「ぼくの好きな先生」というフランスのドキュメンタリー映画は生徒が10人くらいで3~13歳の生徒が一クラスで学ぶというものだった。先生は一人。同じ学校でも全然違う事例。

投稿者 かがやとものり : 2004年01月23日 06:03

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