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2004年01月30日

ICCで映像の未来を観る~変わるのに変わらない、それがキュービタルの意味

久しぶりにICCにいった。現在おこなわれている展覧会「FUTURE CINEMA」をみるのが目的である。

昨年、やまけんに誘われて藤幡先生の展覧会にいったときに「年末にICCでやるからみにきてよ~」と言われていたのだ。

詳細は明日にするとして感想から。
いって良かった。
その一言につきる。
久しぶりに時を忘れた。
インスパイヤされる経験がぎっしり詰まっていた。

収穫としては映像の展示におけるものすごく大切なポイントにきづいた。
境界線といってもいい。
動画としての映像そのものではなくそれがどのようなコンテクストで語られるかによって映像の持つ意味がこれほどまでに変わるのかと感心しっぱなしであった。(自分用にメモをしておくとスケールによって意味はかわるのだ)

これは僕の感じ方なので他の人が同じように感じるかどうかはわからない。
というのは僕が映像をみるとき、特にこうした映像をつかった作品をみる時の視点は「アートを鑑賞する」という視点とは大きく異なる。全く違う部分をみているといってもいい。僕はずっとある問題について考えている。無意識下でも常にその問題についての思考は続いており、異化に対する異常な興味はその問題と関係している。
僕が作品に対して感じる「異化」はその問題意識なしには知覚し得ない感覚であり、作品をみて僕が感心する瞬間とは「異化」の感覚にとらわれるその時なのである。

++++++

藤幡先生の作品はCAVEの部屋を応用した作品である。
どれどれとヴァーチャルリアリティ用の専用グラスをつけて3メートル四方の空間に入っていく。
何度かCAVEを使った作品は体験しているのでCAVE自体への目新しさはない。

CAVEは5面を覆われているので通常のVR以上の没入感がある。
その空間の中で2Dの動画を観るということは頭でわかっていても実際に体験すると全く別ものなのである。
空間に浮かぶ無数の動画がランダムに可変しながら「旅」を再現していく。
見入ったまま時間を忘れた。
どこにでもあるありきたりの映像なのだ。
ところがそれがこれほどまでに面白くなるのか、というくらい面白い。
ずっとみていたいと思った。
「これは」と思ってメモを取った。

石井先生のキュービタルの事例もそうだが技術自体は目新しいわけではない。問題はスケールとコンテクストなのだ。

++++++

この作品からだけインスパイヤされたイメージではないが未来の映像視聴環境はこうなるだろうな、というヴィジョンを得た。人の目は一つの映像だけを観るには良く出来すぎている。速読は何も文字にだけあてはまるわけではない。直感像資質的な映像作品、フォーマットもありうるのだと思った。

++++++

一言でいってしまうと会場は石井先生のいう「キュービタル」でいっぱいだった。
そもそも現実がキュービタルなのだ。

僕はいまこの文章をMacのモニター上で書いている。
OSXのインターフェイスは確かによくできている。
しかし、これは変わる。その変化は僕が想像していたのよりも遥かに大きな変化となり、おそらくより肉体的な体験へと還元されていく。いまのこのシステムでは人は眼の機能すら使い切ることができない。

それは映画にでてくる未来のインターフェイスのような変化ではない。
感覚がブレることで生じるリアリティの介入。
立っているだけなのに後ろに下がっていくような感覚のブレが入ってくるだろう。

テキストも映像も変わらないのに変わるのだ。
ここが重要である。
変わっているのに変わっていない。
これがキュービタルの本質である。

投稿者 TKM : 2004年01月30日 02:34

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コメント

ICCはまだしばらくは藤幡作品をおいているのだろうか?ぜひいってみたいなぁ

投稿者 やまけん : 2004年01月30日 08:43

展示は2月29日までやってるよ。

投稿者 かがやとものり : 2004年01月30日 14:46

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