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2004年02月03日
物語力~真夜中のデッドリミット/S・ハンターの場合(1)
「真夜中のデッド・リミット〈...新潮文庫」(S・ハンター)を読み始めた。久しぶりに読むスティーブン・ハンターである。
今回の舞台は冷戦時代のアメリカ軍ミサイル発射基地。米国最強の頑強さを誇る核ミサイルサイロが占拠されるところから物語は始まる。最新の作品ではないので舞台設定が古めかしい印象を受けるが、何十年も前の話ではない。つい最近まで米国とソビエト連邦は冷戦と呼ばれる緊張状態にあったのだ。
雪山で暮らす溶接工の家庭の朝の風景。
ゆっくりとすすんでいくのかと思っていると物語は唐突にハンターワールドに突入する。
ものすごいドライブ感である。
かと思うと平行して落ちぶれたソ連のスパイの落ちぶれた今。
サイロ内の隊員達の今。
時間軸を同じくする複数の視点が同時進行的に少しづつリンクしていく。
こうしたスピード感を高める場面描写は米国のエンターテイメント小説によくみられる。
文章から想起される感覚は極めて映像的だ。
映画づくりのようにシステマティックな創作方法によってつくられているのではないだろうか。
映像的なテキストはつくる側に負荷がかかる。
テキストの抽象度が低くするためにイメージを一般化していく。
そこで語られるのは事象であり内面風景ではない。
作品が心の奥底まで踏み込んでくる、ということがないのはそのためである。
テキストの抽象度を上げれば言葉は読む人の参加なしにはイメージ化、認知されない。
しかし、抽象度を上げることは同時にテキストの制御を手放すことでもある。
言葉の抽象度が高まれば高まるほどテキストは作者の手を離れ不確実に振る舞う。
それがテキストの面白さでもあるけれど。
「美人」と書いた時にどんな人をイメージするか。
おそらく読む人によってイメージする美人の姿は異なる。
面白いのは異なるイメージであってもストーリーの面白さは人々の中で共有されることだ。
これを僕は物語のパワーと呼びたい。
投稿者 TKM : 2004年02月03日 13:27
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コメント
時間軸を複数の視点からってのは分かるなぁ。トム・クランシーモノもそんな感じやね。どっちかというと時間軸と場所が飛躍してるのかな??
でも、最近の日本の小説でもそんなん増えてきているのは気のせいかな。
投稿者 竹 : 2004年02月04日 11:15
そうそう、トム・クランシーもそうだね。
総じてエンターテイメント系の小説や物語はそうした構造になっているように思う。実生活も同じようにできたらおそらく生活そのものがエンターテイメント化して面白いと思うんだな。情報と関係性が勝手にリンクしあって独り歩きして振る舞ってて、それをなんとなく認識しながらも気づくと奇跡のような連鎖、というのが一番面白いように思う。
旅先で偶然の出会いとかあるじゃない。ああいうのが連続して頻繁に起こる、ということがあり得て、本来、人の生活ってそうあるべきではないだろうか。
その場合、何が連鎖(奇跡とも思えるような関係性の振る舞い)のトリガーになっているのか。それが知りたい、今宵です。案外と単純なんだと思うんだよね。うまいとかまずいとか気持ちいいとか楽しい、ワクワク、笑い、遊び、などなどいろいろ言われるが。連鎖の根底にあるのは感情とは別のものだと思うのだな。
投稿者 かがやとものり : 2004年02月04日 22:38
