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2004年03月22日

[エッセイ] ソーシャルネットワーク

SN(Social Network)が流行の兆しを見せている。
最初にこの言葉を目にした時はオーディオの世界のSN比の事かと思ったが全く違った。
日本でもいくつかのサービスがローンチしようとしている。

僕にも二つのSNからinviteが来ていた。
面倒だったがやってみないとわからないので登録した。

以後は全くほったらかしである。
最初はFriendが増えるにつれて画面に写真が増殖していくのが面白かったのだがそれ以上の面白みがないので観ることすらやめてしまった。可能性はあるのだろうが大事なところが抜けている感がある。

例えば。
あんまり友達じゃない人から強引なinviteが来たりする。メールにあるURLをクリックすると

「あなたを友達だといっている人がいますがこの人を友達リストに加えますか?」

というメッセージが表示される。
ほとんどの人からのinviteは心地よいのだが善意ではなく単なる見栄のような気配を感じるinviteがあってそれらに対しては「頼むから去ね」(池上遼一のマンガで多様される漢言葉)の一言を送りたい。

ヤフオクでネムい対応をするとマイナス評価されて取引停止に追い込まれるようなリスクがないとサービスは適正化していかないのではないかと思う。

昨年はブログ。
今年はSNと手を替え品を替え続々と似たようなサービスが生まれてくる。
この生命力には感服せずにいられない。

リスクを伴わないSNはリスクがないだけにリターンもない。
頻繁にあうから友達なわけじゃない。
縁があって知り合い、縁が続くから友達なのだ。
ほとんどの理由は後付であり、友達が友達でいる理由はフィーリングと縁である。

++++++

いいこととそうでないことというのは相対的なものだから評価は難しい。
難しいのでそこは考えないことにして何かいいことをしたら生命力と気分に交換してあげます、みたいなシステムがあったら世界はどう変わるのだろう。過去を振り返ってみて皇帝様の時代とか最後にいきつくのは生命力だったりするわけでそれはいまの世も変わらないと思う。

人の問題はそれが同じようなものであっても時と場所によって重要度は全く異なる。
日本に暮らしていて問題と感じる物事はアフリカでは全く違うかもしれない。

全員が皇帝である必要はないけれどスナフキンくらいではいていいと思う。
そういうのが健全っていうのではないだろうか。

投稿者 TKM : 2004年03月22日 19:28

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