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2004年05月19日

[個人的情報論] 最も価値のある情報のつくり方

天才達の思考法

大切なのは「問い」を考えることだ。

思索の際、あるテーマについて思考を巡らすというアプローチをとってきたがその方法には限界点がある。情報が内部循環してしまい思索の場で外部にある情報を取り入れることができない。

そこで僕はアインシュタインの方法を参考にしたい。

「もし自分が殺されそうになって、助かる方法を考えるのに一時間だけ与えられたとしたら、最初の五十五分間は適切な問いを探すのに費やすだろう」

ポイント思考といったらいいだろうか。
間違って伝えられているエジソンの99%の努力と1%の閃きの話と似ている。
エジソンは1%の閃きが全ての核になっておりそれが自分の考える発明の本質だ、といっている。補足するとそれは彼が考えているのではなく彼の頭の中にいる「リトルマンインマイブレイン」がやっているのだそうだ。極度の集中によって忘我状態に入り、そこからインスピレーションを得ていたと思われる。

同じように忘我状態を利用して創造性を活性化させているのが作家のダニエル・キイスである。彼の創作法もユニークだ。早朝、四時頃に起きる。朝はやいため少し眠い。眠い目をこすりながら書斎にむかいゆったりとしたイスに座りまどろむ。まどろんでいると夢うつつになりながら様々なストーリー、ビジョンがあらわれる。それを核にして創作を進めていく。「アルジャーノンに花束を」もこうした創作法によって生み出された。

画家のサルバトール・ダリも眠りと覚醒の狭間の忘我状態を創作に利用したひとだった。彼の創作方法はこうだ。
まず眠る時にスプーンを手に持ったまま椅子に座る。眠りに入ると手の力が抜けていき、持っていたスプーンが床に落ちる。落ちたスプーンの音でハっと起き、それまで見ていたビジョンをもとに創作を行った。その成果がこれらのシュールリアリスムを代表する作品の数々である。

◆サルバトーレ・ダリ アートギャラリー
http://www.dali-gallery.com/

情報にはいきたい場所がある

思案する、悩む、考える、などある時間に人が思考できるエネルギー量は一定である。対して外の世界に存在する情報は個人が処理できる情報とは比べモノにならない。ほぼ無限といってもいい。問題はこうした無限ともいえる情報をどう使っていくかである。

情報とどう向き合うか。
それによってその人の人生や幸せのカタチも決まってしまう。
幸せな人とは情報と上手につきあっている人である、という言い方ができると思う。
不幸せな人は知らないでいい情報を知り、知るべき情報を知らない人である。

情報はそれぞれその行き先を持っている。
ある情報がこの人にとっては最高の価値を持つけれど、別な人にとってはノイズと化してしまう、ということが多々ある。

僕が注目するのはここなのだ。
その人にいくべき情報がその人にゆくならば世界はどう変わっていくのだろう。
それを考えるのである。

例えば人と人の関係もそうだ。
その人が最も求められていてなおかつその人が最も能力を発揮でき悦びを感じる場や相手と出会えばその人もその人を含む環境そのものも活性化し結果として悦びのスパイラルがつくられる。

人の世界の問題の本質は情報が行くべき場所にいっていないことである。
物理的に不可能なのではなくルールや拘束によって不可能たらしめられている物事のなんと多いことだろう。それらは情報の振る舞いをかえ、伝わるべきところに伝わるべき情報を伝えていくという極めてシンプルな方法によって解決できる問題である。

奇をてらったやり方は必要ないのである。
伝わるべき相手や場所に情報を伝えていく。
必要なのはそれだけなのだ。

そのためにはまず情報にカタチを与えなければならない。
そのはじまりは「問い」を創る作業なのだと僕は考える。

問わなければ情報はその姿を現すことはない。

ネットの世界でもYahooなどのポータルサービスからGoogleの検索サービスへとスタープレイヤーがかわってきている。これなども虚無に近い情報を検索という「問い」によってカタチにしていくその過程に価値があることを示している、と僕は思う。

投稿者 TKM : 2004年05月19日 15:33

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コメント

大変興味深く読ませていただきました。

私が美大生だった時、「1/∞(無限分の1)」という作品を作りました。「意識的・無意識的にかかわらず、無限に選択されてきた積み重ねの結果が、今である」というテーマです。そこには「だからこそ、目標設定が早ければ、それだけ目標に近づく選択が出来、自己実現も早かろう」という、少し説教クサい思いがありました。

「それによってその人の人生や幸せのカタチも決まってしまう。
幸せな人とは情報と上手につきあっている人である、という言い方ができると思う。
不幸せな人は知らないでいい情報を知り、知るべき情報を知らない人である。」という文章に、似た匂いを感じたので、コメントさせていただきました。

生活においても、仕事においても、必要・不必要を見極める嗅覚が重要なのだろうと思っています。
しかし、この嗅覚が鈍い、ちょっと不幸せな人に、どうやったらこの感覚を伝えることが出来るのか?現在、中間管理職になった自分のテーマです。

長々と失礼致しました。

投稿者 santan : 2004年05月20日 03:37

はじめまして。
コメントありがとうございます。

どちらが「正しいか」とやってしまうと必ず疲れや痛みをともないますが「どうやったら面白くなるのか。ベストになるのか」を考えるようにすると全然違う第三の選択肢があらわれるような気がします。
情報は同じでもコンテクストは自分でいくらでも変えることができるわけでそこがおもしろいなあと思う反面、自分でも上手にコンテクストをマネジメントできていないのが実際です。

投稿者 かがや : 2004年05月21日 07:10

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