« [私の仕事] 「引き出し屋」という仕事 | メイン | [俄] 食い倒れオフとやまけんの神通力 »

2004年05月21日

[読むテレビ] 日本最高の鮨職人 ~「すきやばし次郎の365日」を観て

■世界最高の鮨を握る店

「次郎ほど清潔な店を知らない。魚のにおいのしない唯一の鮨屋だ。」

フランス料理界の重鎮ジョエル・ロブションはすきやばし次郎を訪れた際にそう言って感嘆したそうである。店主の小野二郎さんは「日本で一番うまい鮨をにぎる」と言われている。

すきやばし次郎の外観に派手さはない。
店は雑居ビルの地下にある。
カウンターとテーブルが少しの小さな店構えである。
しかし全てが徹底している。

徹底した仕込みをみせられると最低20000円からという値段もそうズレたものではないと思えてくる。彼が握る鮨と僕たちが書いたりつくったりする企画や原稿を比較してみるとページあたりの原稿料と彼の握る鮨の値段はそう変わらない。

他の食の値段と比較するから相対的に高いと思ってしまうがある種の知的労働の成果としてみた場合、20000円の握りが必ずしもべらぼうに高額な商品というわけではないのかもしれない。

それほどのノウハウと手間が握りのひとつひとつに込められている、と僕は感じた。

■回転鮨も美味しいですよ

「回転鮨。そうね、あの値段であれだけのものを提供できるってのは美味しいですよ。いいじゃないですか。グルグル回って、自分の好きなものを食べられて。あんないいものはない。私も食べるもん。美味しいですよ。」

二郎さんはそういって笑った。

「回転鮨屋さんにお酒飲みにいく人はいないでしょ。みんな鮨を食べにきてる。うちとおんなじですよ。」

すきやばし次郎は鮨屋である。
飲み屋ではない。
より「うまい鮨」を握ることへのあくなき探求心。
それが次郎さんの原点である。

すきやばし次郎の店内は驚くほど静かだ。
客はある種の緊張感の中で鮨を味わうことに専念する。

「どうやったらもっとおいしいものをお客さんにだせるか。それだけですよ。高いのはしょうがない。値段を下げるつもりもないです。だってネタを下げるわけにはいかないんだから。」

■すきやばし次郎の秘密

僕はそれほど多くの鮨屋にいったことがあるわけではない。
それでも「これはうまい!」と思う店もあればそうでない店もある。
その違いはどこにあるのだろう。

味なのかネタなのか姿勢なのか雰囲気なのか。
様々な要素の組み合わせなのか。

味の違いもあるだろう。
しかしそれだけだろうか。

おそらくすきやばし次郎には他の鮨屋とくらべて絶対的に違う部分があるに違いない。
それは何なのか。

「おやじさんの存在感。それが一番の違いなんだ。おやじが握るかどうか。つまりそれなんだな。違いは。」

次郎会とよばれる全国で「次郎」を名乗る弟子達の会であるお弟子さんがいった言葉である。

すきやばし次郎が次郎たる所以。
それは「二郎さん」が握るかどうか。
違いはただその一点に集約される。

そこに僕は世界の秘密を見た気がした。

優れた技術を持つ画家ならばピカソの作品と寸分違わぬ絵を描くことができるかもしれない。しかしそれは贋作であってピカソの絵ではない。そして贋作と真作の違いは誰が描いたのかというただその一点に集約される。

それと同じことがすきやばし次郎の鮨にもあてはまるのではないだろうか。
二郎さんが握るからすきやばし次郎の鮨は日本最高の鮨なのであり、全く同じ味を再現することができてもそれは二郎さんの鮨ではない。味は全く同じであってもである。
おそらく職人とはそういうものなのである。
その人しかつくることができないから職人は職人たるのではなくその人がつくるから職人は職人たる。
僕はそう思うのだ。

上か下かではない。
その人が介在することで全てが決定づけられる。
これは量子力学において観察者の「観る」という行為が現象そのものに影響を与えるのと似ているのではないだろうか。

おそらく人が介在する事象のほとんどは関連性の網の目によって互いに関連しあうためある事象がそれだけで単独で存在することはできない。つまらいあらゆる事象は何者かと無関係ではいられない。特に意味や意志、感覚といった現象と非現象の狭間にある概念においてはその傾向が顕著だと思う。

最終的にある現象に最も影響力をおよぼすものは現象や事象そのものではなく現象の向こう側にあるひとつの要素なのだ。

日本最高の鮨の秘密は技術ではなく「次郎さん」という職人の介在によってはじめてつくりだされる。それは現象の向こうがわにある関係性によってつくりだされる価値であり情報である。

※うちの党首のやまけんも以前おなじようなことを言っていたのを思いだした。「これはこういうものなんだと知っていること。それではじめて感じることができるうまさもある。オレがつくりたいのはそれなんだ。」と。つまり党首が求める「うまさ」「食い倒れ」とはおいしい食や料理をみつけることではなく、それらを「感じる」ことができる食のコンテクストを自分の中に構築していくことなのだ。

■あたり前のことをやる

昨年の春にオープンしたすきやばし次郎六本木店の一周年目の日。
次郎さんは店を訪れた。
店は銀座の店と同じ寸法でつくられている。

「ここでいいということはないんですよ。このレベルまでいったでもそれをキープするではだめなんです。そうじゃない。いまここにいたら来年はもっと先へ。次はもっと先へ。それを重ねていく。そうやってのぼっていく。それだけなんです。」

あたりまえのことをあたりまえにやる。
ただ「よりおいしい鮨」をつくることを求め続けてきた。
それだけのことだと次郎さんはいう。

小野二郎さん78歳。
日本最高の鮨職人は今日も己が求める最高の味を求め握りつづける。

◆参考URL
NONFIX 日本一の鮨を握る男~すきやばし次郎の365日

すきやばし次郎―生涯一鮨職人
すきやばし次郎―生涯一鮨職人
すきやばし次郎 旬を握る
すきやばし次郎 旬を握る
里見 真三
至福のすし―「すきやばし次郎」の職人芸術
至福のすし―「すきやばし次郎」の職人芸術
山本 益博

投稿者 TKM : 2004年05月21日 05:26

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.kagaya.com/mt3/mt-tb.cgi/3365

コメント

 『「うまさ」「食い倒れ」とはおいしい食や料理をみつけることではなく、それらを「感じる」ことができる食のコンテクストを自分の中に構築していくことなのだ』という一節。激しく同意。
 ここで重要なのは、ヲタ的な知識に依る「うまさ」ではなく、身体で環境を受け入れたときに感じられる「うまさ」こそ、その人にとって本当の「うまさ」。誰もが「おかあちゃんが作ってくれた○○が一番」というような、生得的な美味さは一生抜けられないのと一緒ですよね。お袋の味は、さまざまな環境に因っている部分が大きい訳で。
 知識のフィルタを超えた、存在感の旨さ、というものに、最近よく行き当たるようになっています。

投稿者 ぬのくま : 2004年05月22日 20:28

ふっふっふっ。ふっ。
ワタシも以前から この 事に気付いていました。
ただし、その逆の方法。

そして、弟子を探し出しました。
出来る限り速い段階で 今ひとりで仕上げている仕事は、弟子にまかせてみようと調整中です。

僕に来た仕事、そしてそれを完成させるもう1人、以前と何が違うか。
決して 仕事の質が下がる事は無いと思っています。

お楽しみは これからです。

投稿者 PEN : 2004年05月23日 05:58

コメントしてください




保存しますか?