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2004年05月25日
[情報社会論] Google社のBlog利用法にみる情報社会の未来
■Blogツール以前と以後
MovableTypeやココログ、はてなダイヤリーなどのASPの登場によって個人ホームページの運営の仕方は随分変わったように思う。Blogツール(CMS)が登場する前はHPを更新するにはDreamweaverやホームページビルダーなどのホームページエディタを用いるか直接HTMLを書いてFTPツールでファイルをアップロードしなければならなかった。
Blogツールの登場によってホームページの更新はかなり簡単になり、HTML作成の手間から解放されたことでよりコンテンツ作成へ注力することができるようになった。
僕もMT(MovableType)を使用しているがMTが登場するまではフリーのCGIを加工したBlogツールを使っていた。MTほど強力な機能は備わっていなかったがそれでも書いたテキストをページングしてHTML化することはできたので「テキストを書く」ということに注力することはできていたと思う。
そんなわけで以前から書くことに注力できるツールを使っていたのだがMTの導入によってインターフェイスが整備されシステムが強力になった分、それ以前に比べるとより簡単な作業でより綺麗なページが生成されるようになったし、更新の手間も減った。
しかしテキストの作成の仕方は随分変わってきたようにも感じている。
それにテキスト自体をつくる手間は増えているように感じる。
というのは以前は本当に「テキスト」を書くだけだったのが最近は書いているうちにそのテキストが他のテキストと何らかの関係性を持っている気がしてきて、
・他の記事
・他のBlog
・ネット上のなんらかの情報
などの他の情報とのつながり、関係性をリンクとして示しておかなければ、という気分になってしまうのだ。
MT以前にはそれらを表記したりリンクをまとめるという作業をすることはまれだったのにいまは自然と関連性のある情報を探してリンクしてしまう。
これはBlogというメディアの持つ特性の為なのだろうか。
■Blogはパブリッシングツールではない
昨年、マスダさんにお会いした時にGoogle社でのナレッジマネジメントについてのお話を伺った。マスダさんによるとGoogle社では社員全員がBlogサイトを持ち、独自のRSSリーダによって情報を共有しているのだそうだ。
個人の情報とパブリックな情報がBlogツールをつかって発信されRSSリーダによってそれらがフィルタリングされリアルタイムに情報共有がなされる。その話をきいたとき電子メールとHPが融合され発展したような印象を受けた。
その頃、僕はWikiというCMSツールに情報パッドとしての未来をみていたのだが同時に情報エディタとして考えた時にWikiには決定的にかけるものがある、ということをおぼろげに感じた。
Wikiはその自由度ゆえにコンテンツをひねり出す強制力がかけている。
情報をはりつけるメモパッド、あるいは雑記帳としての秀逸さが逆に情報を「引き出す」機能を低下させてしまっているのである。
情報を引き出すにはある種の拘束条件が必要である。
書籍は紙面という物理的な拘束を持つ。
それ故に一冊の本に何らかのテーマを固定せざる得ない。
しかし固定されたテーマは全体の拘束条件として働くため情報を効率的に集約し発信することが可能となる。
情報を引き出すとは無制限に情報を取り入れることではない。
逆説的だが情報とつきあう基本は余分な情報を捨てることである。
MTなどのBlogツールはこうした拘束性をつくりやすい。
それは何故か?
僕はBlogの持つアーカイブ性がその理由だと考える。
Blogという文脈ではアーカイブされた過去のエントリーが拘束条件として働きそのBlogにテーマを与えている。ここがBlogの面白さであり、最大のネックでもある。いまのBlogツールでは一つのBlogサイトで二つ以上のトーンをつくりだそうとするとツール側、つまりアーカイブの構造がパラレルな価値観を許容するつくりになっていないため利用者側に過大な負荷が生じざるえない。これがBlogをつかったコンテンツづくりが難しい所以である。
※僕はここにパブリッシングツールとしてのBlogの限界点を感じる。
■Google社でのBlogの使われ方にみる情報社会の未来
話をGoogle社の事例に戻そう。
Google社ではBlogとRSSリーダを用いてBlogツールをナレッジマネジメントに活用している。これはBlogツールの理想的な利用のカタチの一例ではないかと僕は思う。
閉じた情報空間での情報発信はパブリックな場での情報発信とは異なる利点が幾つかある。
ひとつは共通したコード(この場合は会社というコンテクストでだけ機能する事柄や事例)の存在。もう一つは情報空間が限定されることによって発生する情報発信の圧倒的自由性である。
本来は全ての情報空間で情報発信の自由性が成立すればいいのだがいまの社会では情報については法の規制が存在し閉じた情報空間ほどの自由は保証許されていない。
情報発信の自由性については2chを考えるとわかりやすい。
2chでは人々は自由勝手に言いたいことを言いたいようにいう。
中にはひどい発言もあるし、何をいっているのかわからない発言も多い。
こうした発言の自由度の高さが成立しているのは匿名性によって自分というパーソナリティと発信した情報の連鎖が断ち切られることが理由である。
誰が発言しているおかがわからないから誰もが勝手に物を言うし、何を言うのも自由なのだ。
これの裏返しが閉じられた情報空間である。
発言の自由はここでも実現される。
例えば自分と数人のグループしかアクセスできない掲示板があるとしたらそこでの会話はグループの一員でしか理解できない言葉でやりとりされるかもしれないし、他では言えない事柄や話題についても活発に議論されるだろう。ここでは2chの場合とは逆に誰が観ているのか誰が情報を発信しているのかが特定されていることで信頼と安心が提供される。
このように情報の匿名性と明示性は表裏一体の関係にある。
そして企業内でのBlog・RSSによるナレッジマネジメントはこれら二つの特性を融合させたものという印象を受ける。
■Blog+RSSは電子メールとHPの中間的な存在
先週のCEOサミットでの基調講演でビル・ゲイツはBlogとRSSの利用について下記のようにのべている。
個人メールなどのように完全に閉じた関係での情報のやりとりではなく組織や社会などある程度の幅をもった情報空間で情報発信がなされた場合の理想的な情報の伝播はより価値の高い情報はより早いスピードでより広く広まり、ある特定された人にとってだけ価値を持つ情報(例えばプロジェクトの打ち上げの提案など)については特定の情報空間でだけ共有されるというカタチが最も効率が良い。
つまり「行くべき場所に行くべき情報が行き着く」状態である。
完璧ではないかもしれないが閉じた情報空間でのBlog+RSSによるナレッジマネジメントはこれに近い情報環境を実現しているのではないだろうか。
一般にBlogはパブリッシングツールという捉えられ方をしている。
CMSとしてのBlogツールという側面をみればそれは正しい。
しかし、RSS(別にRSSでなくてもよい。発信された情報の伝播形式という意味)という情報生成とは別の機能に注目した場合、Blogのもう一つの特性が明らかになる。
情報のおだやかな接続性とでもいうべきだろうか。
電子メールとHPの中間存在としての情報ツール像が浮かび上がる。
ただしこの特性が機能するには閉じられた空間でBlog+RSSが用いられる必要がある。ここをどう乗り越え、個の自立と相互依存のバランスポイントという情報社会の到達点(とされている)をどうやって達成していくのか。それが今後のWebサイトや情報社会を考える上での一つのポイントなのではないだろうか。
■関連図書

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長野 弘子 増田 真樹
投稿者 TKM : 2004年05月25日 08:45
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