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2004年05月28日

[雑記] 久々に雑記・雑記・雑記

■雑記開始

ここ数回、勝手にテキストの練習をやっていたが今日は少し休憩して普通に書いてみよう。普通に書くとどうなるかというと何も考えずに書くことになり、かなり楽であり、意味もなく、誰にわかりやすく書く必要もなく、読む必要もないわけなのでこのテキストは読む必要がない。

夜中に退職する父に手紙を書いて京橋の郵便局(24時間やってる)で出すつもりがあっさり忘れて帰ってきてしまった。そもそも何故、午前1時に虎ノ門だったのか。

スターウォーズ展は予想を遙かに超え充実の時間を過ごせた。
しかし自分が観ていたのは単体の展示物ではなくスターウォーズという言葉の向こう側に広がる何かであったように思う。

一言だけ感想をいうと「モノ力」はすごいという一語に尽きる。
詳細はあとで書くとしてこれだけはメモっておきたい。

虎ノ門からの帰り道、午前6時過ぎだが、スターウォーズは映画としては全く面白くない。しかしそれは映画という視点で考えるからそうなるわけで、たった数百分の映像が産業として成り立っていると考えると別な印象を受ける。エジプトのピラミッドが建てられてから随分経つのにいまだにエジプトに利益を生み続けているのと同じ、というか、グラハムハンコックや不思議主義者がいうようなトランス近代社会で神秘主義的な意味付けよりいっちゃあなんだがただの墓がいつまでも利益を産んでいるというそのことがすごいことだと思う。ピラミッドが地球の龍脈やら宇宙的な意味を持ってるかもとかそんなことよりもあれが観光資源としてエジプトの人々の役に立っているというその部分の方がよっぽどアメージングだ。

■スターウォーズは実体のない情報

スターウォーズもいってみれば現物のない映像の帯なわけでそれが産業規模にまで発展しそうな価値を持っているという事実がすごい。スターウォーズという世界観や概念は実体のない映像情報でそれ自体は食ったり飲んだり、気持ちよくなったり、叩いたり、伸ばしたりできるわけではない。

世界というのはある程度、満ち足りてくるといきなり価値がシフトして情報に向かっていく。これはもう鉄則みたいなもので、現物が足りると次は必ず情報価値に向かう。「食い倒れ」にしたって同じだ。うまいまずいは食が足りてのこと。食が足りなければうまいもまずいもない。喉がカラカラならどんな食い物よりも水のほうがうまい。ようは「食い倒れ」も情報価値というわけだ。

あと思うんだけれどうまい店は理解できる。問題はだ、まずい店があることだ。まずいものでも食べる人がいるからどんなにマズイ店でも成立しているわけだが。じゃあ、明日からいきなり全員が「マズいものはやめます」と宣言したらどのくらいの店が消えるのだろう。と、オレがいいたいのは問題の本質はうまいものを知っているとか食っているということじゃなくて、マズイものが何でそこに存在できているのかというそこがポイントだろうと思うわけだ。ウマイマズイにも市場経済が機能するならマズいものは消えてしかるべきじゃないのか?

市場経済ってのは情報がフラットに存在していてはじめて機能するけれど、そもそもの情報が偏向していたら機能するはずがない。で、問題は情報が偏向しているということだ。

せっかくなんで更にメモしておこう。
近代社会と経済についてちょっとだけ勉強していたら社会というのはガラガラガラガラといつも天変地異ばりの変化をしているのだなあと思った。

■インフレで債務超過が消える

国が債務超過になる→通過を切り下げる→インフレになる→債務が消える→新通貨を発行して旧通貨を廃しする→お国双六のふりだしに戻る

というサイクルを繰り返している。江戸時代、いや室町の頃から日本はこれを繰り返している。徳政令なんてバンバンやっている。年に13回もやった頃もある。江戸時代にも「相対済まし令」なんてのを発令していきなり民事不介入である。

その頃には公事士という民間の弁護士みたいなのが金銭問題の公事を代理していたというのだから驚きである。現代とは比べモノにならない法律社会である。

外貨貯金や外国株取引なども知れば知るほどにアホくさくなる。日本の金融機関を通じてんなことやっても結局、最後は全部円換算なわけで為替リスクを考えたら半分サル仕事である。現地で口座もって、現地の通貨で現地で使わない限りやる必要はない。

金融知識、マネーリテラシーは最低限必要だとは思う。
けれどそれは手段であって目的ではない。
そもそも日本のお金システムの基盤がどこにあるのかを考えると現在、日本円を支えているのは何らかのモノではない。製造力とか生産力である。お金はそれが何か他のものに裏打ちされているから価値を持つわけで戦後はそれがずっと土地だったわけだ。で、それがいまは製造力、生産力に変わって、いや変えられたのだけれど、それが円のバックボーンになっている。

しかし、だんだんと金融寡頭支配が台頭してきているのでこれもあやうい。
製造力、生産力が外国にガンガン買われていく。
そしたら円はどうやって価値をキープをすればいいのか。
心とかいったって、心もすでに空前の灯火というのが実情だと思う。

■消えた笑顔

今朝だって、築地を通ったときに外国人のおばさんは笑顔でさっと道をあけてくれたけれど、日本人の観光客なんて「農協月へいく」(筒井康隆)そのままだし、まー、なんでかしらないがとにかくみんなつまらなそうな顔をしているのは何故だろう?

具体的にそれで頭が痛くなったり足が痛くなったりするわけじゃないから、問題としては後回しになっているけれど、笑えない人々の大量生産はヤバイだろう。

スターウォーズとは関係ない話になってしまったがもう一点だけメモ。
個人と社会を同一視すると流れを間違える。
個人が流れをつくろうとしてもそれは無理。
流れはそもそもがそこにあって、何かをつくろうとしてそこにできるわけじゃない。

アメリカが云々とかいろいろ言うけれど国といったところで実体があるわけじゃない。
個人は国とは別ものだし「国家百年の計」といった寝言は45年後の年金を期待してるのと同じ。100年の計でインターネットがつくれるかっての。ビル・ゲイツですら「2年先は全くわからないって」いってるところに100年の計もねえだろう、と思う。んなもんはつくろうと思ってつくれるもんじゃない。

国家存続とか繁栄とかいってる間に「なーんもないよ」(by 長州力)だ。
そういう理論が、いや、理論ですらないが、もう全然ズレまくっているのだ。

■そして世界

年金問題といったところで結局解決法は皆無。
どうあがいてもネズミ講よろしく永久に加入者が増加していかなければ存続不可能な制度が成立しつづける道理はない。全盛期のクオォンタムファンドなみの運用成績で驀進しない限り(つまりありえない)崩壊は必至。徳政令をかまさないとしても、切り下げ→インフレ→債務帳消し、とかするしかない。

と、悲観的なことばかり書いてもしかたないのだが、というか、何が起こっても社会的な依存なしに生きている自分にはほとんど影響はないのだが。そもそもこういうことを書いても何も意味はない。流れはでかすぎてもうかわるのかわらないのというレベルの問題ではない。

国システムとか国際関係とかそういうったものがいまのままありつづけるということもないわけで。そうそう、さっきふと思ったんだけれど、ネットワークとか情報社会とかWebサービスとかそういったものは日本で成功しているやつは大体が日本語のサービスで日本語という壁のこっち側にいて、そこで勝った負けたとやっているけれど、仮に30年後はみんな英語が日本語並みにできるとしたら、そしたらどっちを使うのだろう。

言語がどっちでもよくてとなったら日本のサービスを使う必要はなくなるよなあ、などなど。更に一つの国に住む、というそのスタイルってまだ続くのだろうか。全世界をカバーする社会保障制度を持つ新国家あるいはサービスがバーンと出てきて、そこに登録(税金も払うか)だけすると医療と個人の照会やらパスポートや免許なんかが保証され、となったらあとは好き勝手に住みたいところに住む、と思うのはオレだけだろうか。

あとはエネルギー問題が解決すればこれだって絵空事じゃないと思うのだが。

投稿者 TKM : 2004年05月28日 08:30

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