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2004年06月03日
[エッセイ] 千日回峰とある阿闍梨の誕生
■3時間の法則
今週は仕事をしている。
こうかくと普段は何もしていないようだがまさにその通りであった。
やる気が起きない時は何もしないのも一つの方法論である。
その方法論にしたがってやってみると不思議なことに一日のうちにどこかではやる気の波があがってくる。
僕は3時間の法則と呼んでいるのだが何でもいいアウトプットなりインプットなり自分が働きかける必要のある集中を3時間継続すると流れができる。
僕の場合は夜12時過ぎから朝8時くらいまでの間、午前2時過ぎから午前5時頃までをピークに人が眠っているこの時間帯が何故か集中できる。睡眠のリズムの問題ではなく街の空気の問題だと思う。昼間は何かをつくるには向いていない。たくさんの人が起きて動いていると空気が違うのである。
■「千日回峰」という荒行~千日間一日に40キロの山中を走り続ける
それはともかくとして昨日は素晴らしい体験をした。
正確には視聴体験なのだが「千日回峰」(比叡山で最も過酷とされる行である)のドキュメンタリーを観た。
隆慶一郎の本に阿闍梨へ取材した際のエッセイが載っていてそこに「彼等に共通する潔さはなんなのだろう。そうだ彼等には一切の迷いがないのだ。迷いのない男とはこうもかっこいいのだろうか」というような記述があって「エースをねらえ」に出てきた「迷い無きとき人、人にあらず」を思い出したが実際の映像は言葉を凌駕する凄まじいものであった。
作品の主人公は酒井さん。
天台宗の僧侶である。
彼は40歳の時に出家した。
遅い出家である。
40歳から小僧生活を6年送った。
炊事、洗濯、掃除、子守、雑事をこなした。
そして49歳。
「千日回峰」を決意する。
それは奥さんの命日であった。
酒井さんの奥さんは結婚後1ヶ月で自殺した。
自分がふらふらしてたからだ、と振り返る。
「商売もやったし、稼いだり、いろんなことをやった。借金を背負ったり。でも、いま振り返ると全部、夢みたいなものだったなと思います。もっとしっかりいきとったらよかったのになあ。」
千日回峰とは7年間かけて1000日、高野山の山中を一日に40キロ歩く荒行である。
いや、歩くというよりも道なき山をひたすら駆け続けているように見えた。
一日の睡眠時間は3時間。
病気もケガも行を休む理由にはならない。
行を休むことそれは「死ね」ということに他ならない。
「最初はつらいし、痛い。いろんなことを考える。けれど毎日毎日あるいているとね、気がつかなかったものに気づいてくる。同じものはないんですね。急にイノシシが飛び出してきて死んでしまうかもしれない。足を踏み外して谷に落ちるかもしれない。今日も生きられて良かったな。そう思うようになってくる。」
500日目を超えた頃の酒井さんの言葉である。
そして修行はここから山場を迎える。
■堂入り~9日間不眠不休、断食の荒行
700日を終えると行の山場である堂入りと呼ばれる儀式を迎える。
堂入りは生き葬式ともよばれ九日間、不眠不休、横になることも許されず、水も食物も一切口にできない。行の途中で死を迎えることもある。それが生き葬式といわれる所以である。外気に触れるのは一日に一度、仏への水を汲みにいくときに井戸までの200mだけである。この行に備え酒井さんは一年間米の飯を一切とっていない。食事はうどんとジャガイモ、豆腐。それを日に二食である。
こんな行に意味があるのだろうか。
常軌を逸している。
また9日間も不眠不休で水も食べ物もなしで人が生きることなど可能なのだろうか。
半信半疑でみていたがカメラは徐々にやせ衰えていく酒井さんを記録していた。
5日目にはいった。
この時、酒井さんの目が変化しているように見えた。
酒井さんの瞳孔が開いたままである、と世話の僧がつげた。
9日目。
最後の水くみに向かう酒井さんを信者達が前日から徹夜で迎える。
ある婦人は「ありがたいことで。あんなにお年をめされて。ほんとに生き神様みたいです。」といって涙を流していた。
酒井さんの姿は死体のようでもあり、限りなく無であるように見えた。
■阿闍梨、そして大阿闍梨へ
堂入りを終えて酒井さんは阿闍梨となった。
「出来がいいわけでもないし。ふらふらふらふらしてたし何の役に立てるわけでもない。何も取り柄はないから、とにかく一生懸命できるだけ多くの人の幸せを毎日毎日、拝み拝み倒していこうと思います。」
堂入り後の酒井さんの言葉である。
番組はここで終わるのだが酒井さんのその後について書かれた記事をいくつかみつけた。その後酒井さんは様々な行を達成し、ついに二度目の「千日回峰」を達成する。高野山、開山以来、3人目というの偉業である。位は大阿闍梨となった。
作品の中の酒井さんは56歳だった。
記事は酒井さんが70歳の時に取材されたもので一枚の写真が載っていた。
写真でみる酒井さんの横顔は穏やかで表情には一切の「迷い」がなかった。
◆参考テキスト
・大阿闍梨(あじゃり)/酒井雄哉さん
・大阿闍梨・酒井さん
■参考図書

北嶺の行者 酒井雄哉―比叡山回峰2千日の軌跡
島 一春

比叡山千日回峰―劇画
蛭田 充 梶原 学 滝沢 忠義
投稿者 TKM : 2004年06月03日 07:42
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コメント
迷いがないって滅多にない気がする。
失うものがない時に迷わないのかなぁ。
いつも迷ってばかりの私には遠い遠いお話の
ようです。
野田知佑さんの『ユーコン漂流』に出て来るマウンテンマンという男たちにも共通するしれません。
投稿者 ハナ : 2004年06月03日 14:55
二代目、コメントありがとう。
迷いなき意志決定とは、外ではなく内側の骨力のようなものがたっている、プランニングでいうところのコンセプトがたっている状態なんだろうね。
オレもあいかわらずゆらゆらしてるわ。
せめて誰かを想うとかそういうことくらい自分をたもちたい今朝です。
投稿者 かがや : 2004年06月04日 07:00
感動してしまいました。
投稿者 PEN : 2004年06月05日 06:36
僕もこのドキュメンタリー見たことあります。一度苦い経験をし、出家するに至った彼の思いは少し分かる気がします。
僕も高校の頃はふらふらしてて、ろくな日々をおくってなかった。それが今では一つの目標に向かって突き進んでいる。
人間って、一度底を味わってみてから這い上がることができたとき、それまで想像もできなかったような変わりぶりを見せられるような気がします。
全然レベルの違う話で恐縮ですが、本質は同じような気がします。
僕も折れることのない信念を持ちつづけたいですね。
投稿者 すずきたつお : 2004年06月06日 01:57
酒井さんは天台宗、即ち比叡山の僧であり、従って千日回峰行は
『高野山で最も過酷とされる行』ではありません。
ちなみに高野山は弘法大師、空海、の開山した真言宗の大本山です。
投稿者 Moto : 2004年07月22日 23:42
山の名前を間違えました。
昔読んだサイコダイバーの印象が強すぎたようです。
投稿者 かがや : 2004年07月26日 21:27