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2004年06月13日

[雑記] 理解の意味

いい小説を読むことは人生最良の時間の過ごし方の一つである。
今朝はそう思った。

夜。
友人から電話があってバーで話す。

ワーっと話したいが久しぶりに酒を口にしたせいか頭の回転が鈍る。
訪ねられて少し考える。

「つき合ってる人っているの?」

男の人にも女の人にも年代を問わずいつも訊かれる質問である。
大抵は答えない。つき合ってる人がいたら何がどう変わるのだろう。
自分にはわからない。何かを張れるとかそういうことなのだろうか。
そういう意味でいったらおそらく対象が誰であろうとその場でそうしたいと思えばそうするし、心が動かなければ相手が誰であっても何もしない。つき合う?この言葉だけは中学の頃からいまだに意味がわからない。買い物につき合うし、飲みにもつき合うが。もっと正確にいきたい。外国語で話してる時はこんなの何も考えないので不思議だ。「つき合う」って英語あったっけ?

(’私事でなんだがオレはずっとこんなどうでもいい話をしているのが好きだ。まあ全うな職は向いていない性格だと思う)

意味はわからない。
それはオレにはつき合ってる人はいない、ということなのだろうか。

想われたいと願うし、自分も想うことはあってもそれは「つき合う」とは全く無縁だ。
同様に親密さや仲の良さも「つき合う」という曖昧な関係性とは別なものだ。

全然、これとは関係ないけれどオレが思う一つのキーワードは「理解」という言葉だ。
人はいつも誰かに理解されたいと願っているし、理解(されていようといまいと)されたと感じるときに安らぎを感じる。少なくともオレの場合はそうだ。なのでオレはこれが大切なことだと思っている。人が憤るのはたいてい事実がどうあれ本人が理解されていないと感じる時だ。

++++++

ある晩、といっても午前2時過ぎ、北京から東京に来ているという中国人の青年に道を聞かれた。彼はタバコを差し出して僕に道を聞いた。それだけの関係だが彼と飲みたいなと思った。彼もそう思ったそうだ。二人で飲みに行った。彼は翌日の飛行機で北京に帰るという。上野駅まで一緒にいった。

「日本に来て友達ができた。本当に友達が出来た。必ず北京に来て欲しい。北京には家が三つあるから絶対に不自由はさせない。北京に来て欲しい。」

そういって彼は堅く僕の手を握った。
彼は特急がホームから去るまでずっと手を降り続けていた。

国民性が云々とか国や文化がどうこうというが。
人対人でやる場合、そんなものは関係ない。
アメリカ人でも中国人でもタイ人でも友達は友達だ。
逆に日本人でも嫌いな奴はとことん嫌いだ。
人との関係というのはそういうものだと思うのだ。

僕が思うのは自分達たちはいつか死ぬということだ。
どうせいつか死ぬなら優しくいたいと思う。
いつか終わるこの命なのだ。
どう終わらせるにせよ、それだけは守りたい。

人を傷つけるのは簡単だ。
自分のエゴをぶつければいい。
他者が自分の思うように動かない時に皮肉を言えばいい。
文句を言えばいい。
人を傷つけることは優しくすることに比べれば驚くほどたやすい。

しかし、たやすいことをやっても仕方がないだろう。
簡単には出来ないことをやるから面白いのだ。

いいじゃん、どうしようもなくダメに生きててもさ。
死にそうになっても優しさを失わないなら、迷わずオレは買うね。
バリバリにエネルギッシュでガンガンいってる、でも、優しさはないよって人は死ぬときにみんなに思われる「ああ死んでよかった、一安心、一休、一休」って。

まあうまく言えないのだけれど。
いろんなものを全部とっぱらって、家だとか、ポジションだとか、そういうのを全部とっぱらったときに何が残るのか。その時に残ったもので人を見たらいいと思う。これはオレの考えだけれど相手をどれだけ想えるか(同性、異性、年代に限らず)そこに人があらわれるとオレは思う。それ以外に何かあるだろうか。

現実?

アホじゃあるまいし、この日本で心で生きて生きていけないことはない。
そのくらいの余裕はできてるはずと思ってる。

みんな道に迷うと何で外国や沖縄にいきたがるのか。
ずっとわからなかったけれど沖縄や外国にいった人の気持ちも少しわかるようになった。陸続きじゃない外にいくと多少は優しくなれる確かに。緩いけれど、ゆるくてもいいのかなとも思う。何がよくて何が悪いのかなんて絶対的なルールはない。メディアがぶっこわれて、マネーシステムもぶっこわれて、というか無くなったらまたドンガラガラいろんな関係が変わっていく。

そういえば小学校の教室の権力構造にはマネーシステムはあんまり影響してなかったな、うちの田舎の場合は。

とりとめもない雑記であるが物事は案外とシンプルなのだと思う。
おそらく違いっていっても肉体があるか無いかとか、根本はその程度の違いだけだ。

投稿者 TKM : 2004年06月13日 03:24

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コメント

夫婦になると「つきあってる」って言わないよねぇ。

私もよく聞かれる質問だな。
一番聞かれるのは親。
この場合は意味合いがはっきりしていて
「お前、再婚したいやついないのか?」ってことなんだけどね。

投稿者 志乃 : 2004年06月13日 12:40

夫婦だと「夫婦やってます」とは言わないな。
「結婚してます」とか言うよなそういえば。

最新のNewsweekのカバーストーリーが「おかしいぞ!日本の結婚」だったんだがそのコピーが「恐竜のように古くさい価値観と制度が人々から結婚を奪っている」だそうな。日本の場合、異様に外見を気にしすぎる感があるな確かに。アホらしいが。

無人島だったらどうだろう、という仮定でオレはよくモノを考えるんだけれど、無人島感覚で話ができるのは外国人の友人が多いなあ。

投稿者 かがや : 2004年06月13日 19:24

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