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2004年07月14日
[雑記] 信号に縛られる人々
昨日は印象的な出来事が二つあった。
具体的に明記するのはやめておくが言いたいことをまとめると次のようになる。
・信号理論がそこかしこに浸透している
・器量の超縮小化とルールへの過度の依存が進行している
目の前で交通事故が起こったとする。
事故の衝撃で車のドアが大破し開かない。
中には小さな女の子が乗っている。
血も流れている。
事故が起こった場所はある店の前だった。
その店には工具がおいてある。
「すみません、工具を貸してもらえますか。ドアが開かないんです。」
「いやー、うちは工具の貸し出しはしてないんですよ。他で借りてきてください」
彼はルールに従っただけだという。
「工具は貸さない」というルールがあり、それに従ったまでだ、と。
一人一人は悪い人だとは思わない。
知らず知らずのうちに「それをやるとしかられる」という信号に制限されるうちに道理としてすべきこともルールや規約にないから「できません」になっていく。「攻め」と「守り」でいうと圧倒的に守りの姿勢なのだ。
現実への批判や否定は何もうまない。
それを言葉にするくらいならば自分で行動すべし、という人もいる。
「こうした方がいい」ということが自明のことであってもルールや規約で「できない」と思っていることが山ほどある。発想が逆になってしまっている。ルールや規約はそれによって社会生活が良くなる場合に限って維持し尊重されるべきであり、環境の変化に応じてチューニングされなければならない。そもそもルールは人の生活をよりよくするために設けられたものでそれが合わなくなってきているならば速やかに調整されなければならない。
様々な場所で目的と手段がいれかわってしまっている。
警察は自転車の盗難や二人乗り駐車禁止の取り締まりには熱心だが凶悪犯罪の捜査には全く不熱心なのは何故なのか。
大きな病院にいくとどんな重病人でも何時間も待たされるのは何故なのか。
どの政党が勝とうとどの政治家が当選しようと現行のシステムでは上記の問題を解決できない。
それが問題の本質だ。
リニアモーターカーによる中央新幹線が実現されない理由を知っているだろうか?
これらの根は全て同じなのだ。
企業ならば競争によって最適化が進むという考え方もある。
結果、コンビニ化に向かっているわけで必ずしもそれが良いとは言えないが必要性にあわあせて変化していった結果がそれなのだ、と考えることもできる。
それでもより「合うもの」にしていかないと消滅の危機にさらされる、という点でマーケットエコノミーの方が政治システムより機動性がある。
政治の問題は結局のところ個人が政治家を選んでいるわけだから個人の責任だ、と言われる。しかし好んで政治家になろうとする人は少ない。何故か?割にあわないからだ。
まともなことをやろうとする人がまともにやれないのが政治なのだ。
そもそもここがズレている。
政治が扱うべき問題と経済が扱うべき問題が一緒にされているのがそもそも問題なのだ。
概して既得権周辺の事業は実ユーザが不在だ。
よって評価もされないから競争も生じない。
カタチを変化させるという意志がない。
循環は失われていく。
うまくいえないのだが政治が扱うべき問題は別にあるはずだ。
方向性とか。
この人とあの人で利害が一致するかしないという問題は永遠にあってそれを政治の場に持ち込むのは違うだろう。なんかそれとは別な部分で大きな合意みたいなものはあるわけで、例えば「犯罪はないほうがいい」とか「町中にゴミを捨てる人はいない方がいい」とか「キンキンしないほうがいい」とか誰も反対しないけれど良くなったら気持ちいいことはたくさんある。
もっとベースの部分を扱わないとだめなのだ。
各論、詳細、細かいことはそれぞれもっと現場レベルでやればよくて、もっと大本の部分を攻める場があってそれらがおこなわれないと効果的ではない。かといって中央集権がどうとか分権がどうとかそういうことではなく、かなりシンプルなシステムの導入でエントレイメントが起こるみたいな。
国家100年の計とかアホなことはどうでもいいし、そんなことを言う人間がいたら信用してはいけない。そんなものはあるわけがない。無限に変動しつづける環境下でその相互作用を予見しコントロールすることはできない。
江戸時代の人も月の夢はみたと思う。
そういう100年はわかる。
しかしOSやそのインターフェイスを夢をみることができたとはおもわない。
と相変わらず散漫なのだが。
優秀な人は政治に向かわずビジネスに向かうように見える。
男女問わず。
いまビジネスの世界の第一線で活躍している人を全員政治に投入して組織からシステムからつくりかえて好きなようにやっていいから。その代わりこれとこれとこれという目標だけは達成して欲しい、と依頼したらガーっとやって全然違うマインドの社会にかわるんではないだろうか。しかもあっという間に。
そういうのがダイナミズムだと思うんだな。
あと、いろんなところで言われはじめた「既得権益に固執する老害な人々」だけれどこれだって、一部の話で中にはクリエイティブな老人もいるし、イノベーティブな人もいる。全部を一緒にし単純化するからうまくいかないのだ。「老害」はマインドの問題であって年代は関係ない。
若年であっても老人であっても賢人は賢人だし、愚は愚だ。それを高齢者は敬いましょう、というインチキくさい言葉でひとくくりにするからおかしくなる。ようは人間力の問題で。魅力ある人は魅力ある人は大切にされるし、魅力がない人はそれなりにしか扱われない。年齢など持ち出さずより魅力ある人間になるように自分を磨いていったらいいだけだ。また政治の問題も経済もおよそ人間が原因の問題はそのほとんどがコミュニケーションの問題で(「24」を観ていてもそう思った)大概はすれ違いとか互いの思惑のズレが反復増幅された結果、問題化、結晶化(秩序化)に至っている。
学問のすすめを読んだらここらに関しても福沢節が爆裂しており「殺される人と殺す人を一カ所に数日入れて腹割トークで話をさせたら何かしら通じる点はみつかる、故にその人ではなくその人の持つ怨望が問題の根なのだ」みたいな話がつづく。「学問のすすめ」は当時の超ベストセラーで300万部以上売れたらしい。で、人の持つ怨望のような目に見えないもの、「気力」(本ではスピリット)に目を向けよ、との説が様々に事例をあげて論じられている。そういえば福沢諭吉といえば戊辰戦争の時に外では刀を振り回し大砲がドカンドカンやってるという状況下で凛として経済書の講義をやっていたそうである。その時、使っていた経済書がウェイランドの「モラルサイエンス」だったのではないかと言われている。つまりいまのCRSの原点だ。
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今日はしんのすけの手伝いで授業の撮影である。
金子の授業も楽しみだ。
投稿者 TKM : 2004年07月14日 11:39
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