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2004年07月15日

[雑記] 女子高生達と授業に参加

しんのすけの授業を観戦。
授業なので観戦とは言わないか。

完成度の高い授業に驚く。
生徒サイドのモチベーションも影響しているだろうけれど校長先生もいっていたように授業の構成の完成度は素晴らしかった。良質な参加型プレゼンテーションの基本形という感じがした。参加者の満足度を高め、相手の思考と発見、クリエイティビティを引き出していく。こうした講座はプレゼンテーションやセミナーの教科書としてアーカイブしておき、型を指導する際にかなり有効だと感じた。

講座、セミナー、授業というものは映像コンテンツとしてかなり魅力的である。コンテンツというとどうしてもアニメや映画などのエンターテイメント作品に目がいきがちだがそれは素人考えである。授業やセミナーは対人用のキラーコンテンツである。コンテンツ業界(そんなものは実はないのだが)ではここががら空きなのだ。

ゲストの金子の講義もよかった。
何がよかったかって、さすがデジタル漫画作家。
フラッシュで作成されたプレゼンシートのサービス精神とバランスはパワーポイント等の「機械」っぽさとは全く別ものであった。さらにトークも台本を読むという種類のものではなく状況をフィードバックしながらの「ライブ」感を取り込んでいて心地よかった。

両巨頭の講座(自分はプレゼンという視点でみていたのだが)をききながら企業の商品説明や記者発表などの担当者(たいてい長がつく)のプレゼンは相手への「愛情」に欠けているのだなあと思った。

商品がどれだけよくてもその良さは全く伝わっていない。先日の日立のボクサーの記者発表など特にそれを感じた。キーノートで作成されたプレゼンシートはわかったのだがそれを用いて何を伝えたいのかが全く不明瞭であった。というのも発表者から「愛情」が感じられないのだ。別な言葉でいうとライブを楽しんでいる、という感覚が伝わってこなかった。逆にゲストで登場したシックスアパートの平田さんはライブを楽しんでいるかのようにプレゼンを行っており、その楽しみ度合いがこちらも伝わってくるのであった。

さて、昨日はそんな二人の講座を堪能した後、校長先生らといろいろお話をした。その中で印象的だったのが学年によってカラーがあるという話である。東京女学館は一学年300人くらいでその中にはいろいろなタイプの生徒がいる。なのに学年毎に周期的にカラーが出るというのはどういうことなのだろう。

話をきいていると生徒達が優秀であることが必ずしもいいわけではなく、勿論、いいに決まっているのだが教師としては苦労させられたことの方が印象強く、つながりも深まるそうなのだ。勝手な推測だがその学年に存在を印象づける生徒が数人いる場合、その生徒のモードが伝播し、全体にエントレイメント(引き込み現象)が生じ、それによって系、この場合は学年という集団に空気が伝播しモードが浸透していくのだと思う。状況によって個人の人格や振る舞いもかわるのである。

こういうことは我々の生活の中にもよくあってその人といるときの自分と別な人といるときの自分では人格が異なる、という経験があると思う。親といるときの自分と恋人といるときの自分など同じ人間でも振る舞いは変化するだろう。同じように学校での自分、会社での自分、友達といるときの自分、などなど。人は環境と状況によって振る舞い、性格を変化させる。

授業を終えてからしんのすけ、金子の二人とカフェで話をした。
生徒達のモチベーションの高さに驚いたこと、みんないろいろなことを考えているんだな、ということなどなど。授業中に僕がメモした内容についても簡単に議論してみた。しんのすけの課題は「20xx年後の○○がどうなっているかを調べてくること。またあなたはそれをどうしたいと思うか。その希望も考えてくること」であった。

ある生徒が葬儀の50年後を調べてきた。
彼女の調査によると50年後に我々のお墓というものはなくなって、納骨堂のようなビルにみんなが入るそうだ。これはこれでかなり面白く、なるほどなー、と感心したのだが彼女が面白かったのはその後だ。

「私はお墓がなくなるのは嫌です。何故かというとお墓がなくなったらキモダメシができなくなります。」

何故、キモダメシ!?
正直いってヤラレタと思った。このセンスなのだ。これがあるから女の子は侮れない。ナイーブ(安易という意味でのそれであって決して感受性という意ではない)さは確かに否めないけれど感性というのはこういうことをいうのだ。

プランニングの基本もこれだ。
彼女のこの言葉こそプランニングの肝なのだ。
それをわかっていない人があまりにも多いので世の企画やコンテンツには「媚び」が蔓延するがそんなものはどうでもいいのだ。

肝試し結構。
彼女の言葉は墓というモノの本質をついた言葉だと僕は思う。

彼女の発言には墓というものに対する彼女の「コンセプト」が明確に現れている。
彼女にとって墓は「楽しい」や「遊び」の一部なのである。
これは重要で、墓まいりに何故いかなくなるか、といえばそれが「楽しさ」「面白さ」とリンクしていないからである。何もエンターテイメントである必要はない荘厳さや厳粛さでもいいのだ。ようするにそこにコンテンツとしての魅力があれば人はその場に集う。現に自分の家の墓にはいかなくても世界中の墓の前には日本人が長蛇している。

ピラミッドもなりはでかいがもとをただせば墓だし、有名どころの遺跡の多くもなんのことはない「墓」だ。(そういう意味ではピラミッドをつくった王様はエライ。何千年も過ぎてるのにいまだにエジプトの民に益を与えている)

墓というものを考え直すきっかけと未来を感じさせるコンセプトが彼女の言葉にはあった。あの瞬間、僕には未来の墓のイメージがみえた。彼女は明確なビジョンをプレゼンしたわけではない。きっかけにすぎないのだけれどその「きっかけ」が最も大切なのである。
で、3人の結論だがこの授業がとてもうまく機能している理由の一つはモチベーションの高い生徒達にあるが、それは「女子校」という特異な場による彼女達のオープン性によるのではないかということである。

男子校だったらうまくいくだろうか。
また、共学であったらならばどうだろうか。

とイメージしてみるとやはりあの「オープン性」を作り出すのは難しいのではないかと思う。また中高一貫という部分も重要な要素に見えた。学校内であったどの生徒も「退き」の感覚ではなく、オープンに僕たちに接していた。
それぞれが自分の足場をもっているような、そんな印象である。

女子校の授業ははじめてであったし、学校によって事情は全く異なるのだろう。しかし、あのオープン性は発想をドライブさせる鍵になるのではないかと思った。あのオープン性を企業や組織に取り込んだならば企業はどう変質するのだろう。まだまだ面白いことはたくさんできそうだ。

++++++

やまけんに電話すると「メロンがある」というので金子と二人でごちそうになりにいった。頭痛がひどいらしくいつもの「ヤマケン力」が全くなかった。それがもう一つのおっとりしたインパクトの薄いヤマケンを作り出しており味わい深くもあった。

お好み焼き屋につれていってくれたのだが。
やまけんはほとんど食べていなかった。
メロンは昨年同様おいしかった。

丁度、そのメロンをつくった人から電話がきたので金子と二人で感想をお伝えした。
月島についたらお祭の後の浴衣すがたの人々でにぎわっていた。
祭りだったのをすっかり忘れていた。

投稿者 TKM : 2004年07月15日 08:44

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コメント

こんにちは。
ヤマケンは夏風邪ですか?メールにも元気がありません。疲れかな。

こいうblogを拝見すると、かがやさんがうらやましくなりますね。(女子高に行った事ではありませんよ)
類は友を呼ぶというか、いつも個性的で楽しいメンバーですよね。そして脳細胞をフル稼働させても足りないくらいの刺激を得ているのでしょうね。「書きたい、伝えたい」が文章からも良く伝わってきます。

投稿者 つだ : 2004年07月15日 10:54

つださん、コメントありがとうございます。
高校生達のナチュラルな生命力はインスパイヤーされるものがありました。

福沢諭吉も書いてるですが「活溌」であることによって様々なものが引き寄せられるそうです。

例のごとく福沢節なのですが「10人に一人出会いがあるなら、20人にあって二人と出会えばいい」とこうなっていくあたりは相変わらず。

つださんともセッションしたいですね。

投稿者 かがや : 2004年07月15日 11:15

学年によりカラーがあるに共感。
私も中高一貫校でしたが、学年により特長があり、しかも何年か毎にサイクルがあった。

これって中高一貫校でなくてもそうなのかな。

投稿者 志乃 : 2004年07月15日 14:53

女子校らしいオープンさ、というのは、教育にとっていいことと思います(経験談)。女子校時代は「女性らしくあること」広く言えばつ社会的な軋轢に頭を悩ませる必要がないのでもっと有意義なことに時間が使えた気がしますよ。

Flashでのプレゼンテーション、流行るのかな? ほかの人も注目していました。わたしはプレゼン大嫌いなのでtxt形式の企画書でずーっと通してます。

投稿者 みやざきあやこ : 2004年07月16日 17:12

どうもー。
女子校のオープンさには今朝も圧巻でした。講習を終え、昼前のジョナサンに集う女の子達の会話にみみをすますと、他愛なさの中にもノリのよさというか、堅さの無さというかレイブ系のイベントでのうち解けに似た受け入れの間口の緩やかさみたいなものがあって、面白かったです。

FLASHのプレゼンは創る方のコスト(時間、労力両方)が高すぎるのではやりはしないでしょう。僕は企画会合は好きです。テストみたいでコンペ系のプレゼンは嫌いです。

ガチガチやるのはいいんだけれどそれがより面白いコンテンツやより良いサービスに向かわせる術が欠けているのかなあ。

投稿者 かがや : 2004年07月20日 17:33

どもー。
「これおもしろいでしょ?」って言ってみる。
のがプレゼンだとすれば、プレゼンすることは決してガツガツすることと同義ではないはず。おもしろさを共有させられるきもちのオープンさ、は非常に高度なスキルですね。かといってこれ、子供が得意とする分野か…。

投稿者 みやざきあやこ : 2004年07月20日 23:44

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