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2004年07月29日

当世コンテンツ事情 1.どうにもまどろっこしいネット系のコンテンツ

ウェブサービスやウェブコンテンツをみているとまわりくどいものが多くて嫌になる。
特にデザインだけエンターテイメントな雰囲気を醸し出しているサービス。
どれもこれも直球がない。
ダイレクトに響いてこない。
これよりはまだパチンコの方がましである。

玉を買って、台に座って、打ち、当たれば玉がでてお金かモノに替えることができる。
というシンプルさと射幸性がパチンコの面白さの本質である。
まあギャンブルなんだから仕方ないよと言われてしまえばそれまでなのだけれど。
でもネットのコンテンツが「堅い」のも事実。
つくっている人が優秀だからこんなことになる。

もともとコンテンツや遊びなんていうものは「仕事っつってもなあ」とかいってるメディア的には「どーしようもない人々」が開発したものだ。いまではソニーもMSもゲーム屋になってるけれどあれだってオレらがガキの頃は「ゲームばっかりやってるとバカになるぞ」と脅かされつつそれでもしょーもなくやり続けていたから今みたいになってるわけだし、いまや国策とまでなったアニメにしても子供の頃はTVでアニメばっかりみてると「あと○○分にしろ」とか「せめてニュースをみろ」とか大人にとってはネガティブな印象が強かったのであろう。それがいまや携わる人々が羨望のまなざしでみられようとは。

状況の変化や流れとはいえこうも変わるか。

さてネットのコンテンツだが。
「疲れ」てしまうものが多いのには理由がある。
自分も現場にいたのでわかるがたいがいが企業内で仕事として人材と頭とお金とをつかって開発されている。これがまずマイナスの最大要因である。例外もあるだろうけれどやっぱりコンテンツの発端というのは「遊び」とか「創る」とか「知りたい」とか「やってみたい」みたいな感情にあってそういうのはこれとこれを足すとこうなるみたいな予想可能な方法論ではなく大抵、ズレたところやほころびからはじまる。

ゲームもつまらなくなりはじめはこれは儲かるぞとばかりに様々な企業が仕事としてつくりはじめたころからではなかろうか。例外もあるので一概には言えないけれど大まかにいって大規模になりはじめて以降ゲームはコンテンツから商品に変わっていったというような印象を受けるのである。

一部の映画タイトルやゲームタイトルのように規模が巨大になり製作にかかる金額が大規模になってうまくシステムを組まないとビジネスとしては成立させることができない種類のコンテンツもあるわけでそれはそれでいいのだけれど。ただ、そういうやり方にはなんとなく先がないような気がしてしまう。

まあそれらの巨大なコンテンツも基本は「面白い映像やストーリーをみせて喜ばせる」なわけで極めてシンプルだ。

ところがネットの場合だとここがまどろっこしい。
どんな「面白さ」を伝えたいのか「何がしたいのか」がどうにも遠回りなのだ。

アダルトサイトやギャンブルサイトなどはうまくいっている事例かもしれないけれどそれらはコンテンツというよりは流通業みたいなものなわけでくくりを別にすべきじゃないかと僕は思うのだがそれらにしてもバックヤードのシステムは複雑になっている場合もあるが「魅力的な映像の提供」や「いつでも好きな場所でギャンブルを楽しむ」等のように一言でいえるくらいコンセプトはシンプルだ。

話は飛ぶけれど、ラスコー洞窟の壁画はあの時代の人にしか描けない。絵の具やら道具やら絵を取り巻く状況や人の認識等々が変化してしまっているのでいまの人があの絵を描くことはできない。まねして似たような絵を描くことはできると思う。しかし、ゼロからいきなりあの絵を描くことはできないだろうと思う。

同じようにゲームなんかもアイスクライマーやテトリスなんかができたのは技術が未熟だった背景が大きく影響していると思う。いまの技術で同じようなゲームを企画して開発することは難しいだろう。もちろん技術的な問題ではない。またどんなに完成度が高くて面白くても関係ない。ユーザがそのゲームに触れ良さを感じることができる、そういう機会をつくることが困難になってきているのである。

投稿者 TKM : 2004年07月29日 13:37

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