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2004年08月11日

犯罪者と手錠 ~創造性のスイッチと地と図の関係~

「妙に気分がのっているな」と感じる時がある。

どんな時にそうなるのか?

ときかれてもはっきりとは言えないのだが何となくそれがそのスイッチがONになる時は予感めいたものがあって、それは肉体からきているような気がする。
こう、身体から躍動してくるものがある。

この意識の躍動スイッチが入ると意識が鮮明になり、物事の間の関係性がみえはじめる。「あれってこういうことではないのかな」とか「これはこうだな」というのが急にパラパラとつながっていくのである。この感覚はとても面白く、僕はこれを「感覚のドライブ感」と呼んでいる。

これら一連の創造性に関するドライブ感を僕は「クリエイティブスイッチ」と呼びたいがそれだとわかりにくいのでもっと簡単にある言葉で呼ぶことにした。
その言葉については別な企画としてたちあげるのでもうしばらく伏せておきたい。

こうした気持ちの躍動が実生活や行動に具体的にどのような影響を与えているかを考えたことがなかったのだけれど自分の身体や心のありようと成果について分析していくと両者の間には強い因果関係があることがわかってきた。

気持ちが滅入っている時は何をみても滅入った感じになるし、身体や気持ちが高揚している時は何をみてもヒントに見える。

銀座のブックファーストの今週のトップセラーをみたら「愛されてお金持ちになる魔法の言葉―あなたが変わる」という本が一位になっていた。

内容は昨日みた「悪い男」とは全く別世界である。
ありがちな幸せのフレームというものをベースにして語られているが内容は簡単にいってしまうと、

「ものごとは気持ち次第。どうせやらなければならないなら自己完結であろうとなんだろうと幸福であった方が世のためにも自分の為にもベター」

とでもなろうか。基本的な考え方は高校生の頃に読んだポップサイコロジーの本とかわらない。けれどある意味これは真理であろうと思う。前述の「妙に気分がのっている」状態が継続するなら環境や状況とは関係なく物事をクリアしていくことが妙に楽しく感じられる。周りが変わるというよりも環境からの影響を受けづらくなるというべきだろう。自分に都合のいいものにだけ目がいくようになる。これってとても大切なことだと思う。

子供が突飛なアイディアを考えついたり、「何だそれ?!」という企画はたいがい規制を外すところから生まれてくる。

この法則はプランニングに関しても全くその通りあてはまる。
プランナーというのはアイディアマンだと思われているがそんなことはない。
他者のプランを練るから規制を外し逸脱しやすくなりアイディアや企画が閃く。
けれど自分のこととなるとなかなかこれが難しい。プランナーとアーティストの決定的な違いはここにある。

プランナーは自分のことをプランすることができない。

逆にアーティストは他者のプランを練ることは苦手だが自分のプランを練ることは得意である。

思考を生業としていてもどの方向性でやったときに能力が最大化するかを考えることは実は大切だったりする。

「人には向き不向きがある」というのはよく言われる。
文章はうまいけれど歌は下手だとか、この分野には向いているけれどこれには向いていないといった話はよくきく。
しかしこうした評価は他者の判断であってそれほど重要ではない。

下手であってもそれをやっている時に感覚がドライブすると感じるならばそのままやり続ければ途中でスイッチがONになる。
上手くできることとスイッチは関係がない。

要はやり方はなんでもよくていかに簡単により強いドライブ感が得られるか。
それがポイントである。

このスイッチが入っている人は何となくわかる。
惑わないし迷わなくなる。
かといっていい人になるということでもないのだがとりあえず変な空気がではじめる。これに周りが引き込み現象で引き込まれていく。なんだそれ?という感じがするかもしれないけれど妙なオーラを出してる人々の近くにいると引き込まれる。

それが時代にあえば周りは幸せになるし、ズレればズレたでやはり騒動や動乱に転じ、激しい流れを生じさせる。

++++++

もう15年くらい前になるけれど受験で東京に向かう電車で護送中の犯罪者二人と刑事二人と隣あわせたことがある。約2時間。彼らと一緒だった。TVでみるように二人の手首には手錠がかけられており、刑事は手錠につけられた紐を握っていたように記憶している。
しかし、僕にとっての衝撃的だったのはその光景ではない。
手錠をかけられた二人の目に宿る暗い光である。

そんなものありえないと言われればそれまでだが僕は明らかに常人とは異なる目の輝きをそこにみた。獣の目といえばいいのだろうか。まわりの人々とは発する雰囲気が違うのである。人間としての生命的な機能は大差ないはずだ。しかし彼らは全く周囲にとけこむことなく異形であった。外見の異形は目にあらわれ、雰囲気の異形は彼らを取り囲む周囲数メートル四方に沈黙を強いていた。

それは強いマイナスの引き込み現象であった。

世界はマイナスとプラスががせめぎあってできている。
どの時点でどちらに転じてもおかしくない。
二者は地と図の関係にある。

創造性について考える場合、まずはここに注目しなければならない。
記号はそれが単独で存在するかぎり無と同意である。
唯一、他との関係性が成立する時、相対的に記号化し、意味が生じる。
分節とは関係性のはじまりなのだ。

投稿者 TKM : 2004年08月11日 04:03

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