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2004年08月23日

高校生と過ごす週末

昨日の恐竜博以降、BlogWriteというツールをつかってエントリーを書いている。土日は太と過ごした。高校生と話をしていて気がついたのだが彼らは普通に素直である。勿論、粗もある。ここがダメというところはいくらでもみつかるし「オイ、お前何やってんだ!!」と一喝したくなる瞬間もある。

親であればそこで声か態度が出てしまうのだろう。しかし自分は保護者ではない。説教や矯正をするためにいるわけではない。友達だから一緒にいるわけだ。だから自分にも学ぶところがたくさんある。詰めの甘さや考えの甘さがあるから逸脱し新しいものをつくる力を発揮することができるわけで老成よりはマシなのだ。

さきほど次の宿泊先である太の親戚夫婦との待ち合わせ場所に送ってきたのだがヤツもよくやる。先方と連絡がとれたのは昨夜の深夜。それまで相手の住所も知らなかったそうだ。相手が月島にいるならもっとはやく言えよな、という心境ではあったがその甘さを否定しようとは思わない。変われといっても本人が変わろうとしない限り人は変わらないし、相手がどうあれ自分がそれに影響される必要もない。

湘南の友人にはリーダー的な役割を担う人が多かったように思う。そのせいか気の利かない人をみるとつい「何でそのくらいの気がまわらないのかな」と思いがちだがそこは二律背反していたりもするわけで気が回りすぎることで逃している何かもある。

無理矢理でも「笑顔」をつくれば気持ちも多少は笑顔になる。という話を二人でずっとしていた。ことの発端は銭湯にいたおじさん、若者が一様にムスっとした表情で彼らは何故風呂にまできてあんなにムスっとしているのだろうか?ということについてサウナで話をした。

どちらが最初かというのが問題なのだろう。面白いことがないからムスっとするのか。笑顔をつくらないから面白いことが起きないのか。これは自分の考えだがまず方向性がありきだと思う。心の笑顔をつくれれば自然と行動にもその気配が満ちていく。店にはいっても注文の時は「●●をお願いします」と自然に笑顔がでるかもしれない。そうすれば相手も笑顔をかえしやすくなる。

相手ではなく自分だと僕は思う。自分がどうするかは自分で選択できるわけで相手がムスっとしていたからこちらもムスっとする、では意味がない。相手がどうあれ自分の心は笑顔でいれたほうがいいはずだし、ムスっとしている人はどこか心が堅くなっているのだと思う。それに合わせる必要はない。とはいえその連鎖が段々と人を閉鎖的にしているような気がする時もある。

それでも自分が変えられるのは自分なわけで自分がそうならないように気をつけるとか、笑顔がでてないなと思ったら形だけでもいいので顔の筋肉を動かしてみる、などやってみれば何かは変わってくる。

小さいことだけれどそれが時間の流れの中で反復増幅されれば少しづつ自分の周囲が変わっていくのだろう。

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本棚に積んであったノートをパラパラとめくって太が叫んだ。

「何だこの絵!絶対Tシャツをつくって欲しい。この絵でTシャツがあったら絶対に買うよ!」

と。なるほどあの絵は面白いのか。下手だなあという思いしかなかったのでよくわからなかったが自分のノートは面白いらしく、太はトイレにまで持ち込んで熟読していた。やはり高校生との対話は面白い。

投稿者 TKM : 2004年08月23日 18:22

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