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2004年08月29日

蜜柑と人の心 ~32年を生きて思うこと~

肌寒さに朝早く目覚める。
気温をみると20℃を切っている。
先週の日曜から一週間しかたっていないのに季節が変わったかのようだ。

今朝はロシア産の蜜柑を食べる夢を見た。
食べながらやまけんにくれてやろうと思った。
その蜜柑はキノコのように樹に生えていた。
不思議な蜜柑の植生にみとれていると蜜柑の木を守る老人が

「こちらの木をみなさい。この木には最盛期に200個の実がなったこともあるのだよ。ほら。」

といって枝になった蜜柑を手渡してくれた。
渡された蜜柑はとても固い。中がみっちりしている感じである。外見は蜜柑だが大きさと固さは別な果物のように思えた。皮を剥いてみると形のしっかりとした実が現れた。大きさは夏蜜柑くらいある。

すっぱい味を予想していたのでほんのり甘いのに少し驚いた。でもこれは夢なのだ。夢の中でも甘さやすっぱさがあるのだなと考えていた。それからしばらくして河原にいった。河原でロシア人の女性から本を受け取った。彼女は世界的に高名な作家でその本は彼女が自分の為に書いてくれた作品だった。

++++++

目覚めてから窓際に座って深呼吸しながら数分間を過ごした。
これまでの時間や日々について5秒だけ考えた。
意外に満ち足りて穏やかな時間だった。
多少は自分も成長しているのだなと思った。

この10年くらい自分は他者への依存によって生きていたように思う。それが大事な相手であれそうでない相手であれ他の人がどうあるかによって自分の心は揺り動かされていた。

正しくても正しくなくても人は自分が変わろうとしないかぎり変わることがない。人に変わることを強いればその代償は必ず自分に返ってくる。人と人のいざこざの原因の一つは互いに「こうあって欲しい」という思いが錯綜しコミュニケーションがズレていくことにある。

これを解決する方法は一つしかない。人や相手を変えようとしないこと。それだけである。正しいかどうかは問題ではない。どちらに理があるとか非があるということは大した問題ではないのだ。最終的に何を望むのか。どこにいきたいのか。何がしたいのか。自分の我を通したいだけなのか。ただ自分が理解されたいと願うのか。それとも本当に相手を理解したいと思うのか。問題はそこなのだ。相手を理解しようとするなら相手を変えようとしてはいけない。

人の幸せの根元とは「人を理解する、あるいは自分が理解されている」ことを実感できた時に感じられる感覚である。
良質なコミュニケーションとは相手を変えようとしない、人を変えようとしないことからはじまる。人は他人から与えられたルールや正しさを受け入れることはできない。それは自分でみつけなければならない。
相手を変えようとしないこと、そして相手に理解を強いないこと。
理解とはそこからしか生まれない。

それがこの数年で自分が学んだことである。

投稿者 TKM : 2004年08月29日 09:46

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