2004年09月03日
時間の使い方
メールバックやサイトの更新などが遅れている。
時間配分と効率が落ちてきているのだ。
集中力の低下が原因の一つなのだがもう一つ環境の問題も大きい。
基本的に家にいる限りPCやネットワーク的な環境では問題ない。
しかし移動や打ち合わせ、外での作業などが介入するとその間、ネットワークを利用したコミュニケーションのチャンネルが閉じてしまう。
メールやネットワークでの作業ができないからといって直接、仕事に支障がでることはないようにみえる。けれど僕はここに大きな落とし穴があるような気がしている。ふと思ったときにメールバックできなかったり、調べたい時にオンラインでなかったりすることで時の気配やタイミングを一度失ってしまうとそれを取り戻すには数倍の労力と時間を要することが多い。
仕事や作業もやる気があるときにガーっとやってしまえばすぐに終わるが元気のある時に別などうでもよい事柄にそのパワーを振り向けてしまうとそのツケはすぐにやってくる。大事な時にエネルギー不足に陥り、精神的、肉体的に数十倍の負荷を余儀なくされる。
こうした流れは確かに存在する。感覚的なものなので見過ごしてしまいがちだが一日の中でも自分の力がピークまで登っていく時間とそうでない時間がある。このピーク時に現在の自分が抱えている最も大切な物事に集中していくことができればそこから変化が生じ、流れへと転じていく。
「いま」という時間の自分は人生という大きな時間の単位、或いは一日、一週間、一ヶ月、一年という短期、中期という時間の中でどの位置にいて何をすべきなのかを一日の中で少しだけ考える。それだけで時間の使い方は変わってくるはずだ。
よく言われることだけれど時間というものは誰もが等しく持っている資産である。その資産をどう使うかによって現在・過去・未来は変化していく。どの時間もいまというこの瞬間の自分に折りたたまれているといってもいいだろう。この時間の積み重ねが過去と未来をつくる。
ではどのようにいまを過ごせばいいのか。
答えはない。というのは結局のところ自分が何を求めるかによって全ては変わってくるからである。またその希望も固定されたものではなく次の瞬間には別なものに置き換わっているかもしれない。おそらく啓蒙書でいわれるような「具体的な目的」というものはそれほど重要ではない。具体的な目的に向かっている時のその流れ、あるいは時間、気配、自分という存在が集中していること、のような対象ではなく関係性に価値があるというのが僕の考えである。
それをある人は「勢い」と呼ぶだろうし「流れ」という場合もある。だがそれも違うのだ。勢いや流れではなく自分というこの身体をもった存在が活動していることこそが重要なのだ。循環といったらいいだろうか。
入ってきたものがロスゼロで別なエネルギーに転じ、時にはそれ以上の出力に変わるような感覚。おそらくそれらは躍動の体験として認識される。
時間の認識能力。自己の状態の認識能力。それを鍛えていくことで分野や対象に関係なく能力を向上させていくことができる。
できる人とできない人の一番の違いは時間の使い方にある。
投稿者 TKM : 2004年09月03日 01:33
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