« 渋谷アンダーグラウンド | メイン | スターバックスといかした服の会長 »
2004年09月03日
コミュニケーションの基本
今朝は遠くの夢をみていた。
面白い夢だったが詳細は忘れてしまった。
正午前、電話があった。
PCの使い方についての質問だった。
こうした質問をされることが多い。
僕に尋ねるのは構わないがこうした技術的な問題については社内で解決できるような体制をつくることが急務であろう。こうした問題をその場しのぎで解決してしまうからいざというときに思うように行動できずブレーキがかかってしまっている組織や会社が多い。
その電話で集中力の糸が分断されたので「そういう質問はせめてメールにして欲しい」と少しムカっときた。いやムカついたのは質問の内容が理由ではない。質問の仕方が原因だ。好きな人とか友人からの質問ならばそれがどんなものでも誠意をもって答える。というのは相手もこちらに対する誠意を持っているし、それが伝わってくる。コミュニケーションが心地よいのだ。だから親身になって答えもする。
が、そうでない場合もあり、多くの場合、信号理論の奴隷な人々によってなされる質問は人の気分を刺々しくする。自分を保全したいという気持ちが先にたっていると相手に対する思いやりや優しさ温かさといったコミュニケーションにおける基本的な姿勢が欠落してしまう。そして面白いことに思いやりにくらべ思いやりのなさは見事なくらいの正確さで相手に伝わるものである。
故江藤先生には学術的なことは何もならわなかったが違うことはいろいろ教わった。授業に望む際の心得としてこんなことを言っていた。
「加賀谷君。あのね、学生というのはそれが優秀な学生であってもそうでない学生であっても。そう授業になんてほとんど出たことがないような学生であっても教員がその授業にどれだけの熱意とやる気をもって臨んでいるか本気で授業に取り組んでいるかどうかということについては本当に敏感にわかるものなんだよ。だから教員はどんな授業でも気を抜いてはいけないんだ。授業をきかない学生がいるといって嘆く教員がいるけれどそれは教員の側の姿勢が見抜かれてしまっているんだな。」
この言葉も時々思い返す。上手、下手とは関係なく、相手が本気で自分に向き合ってくれているのか誠意や思いやり、温かさを持っているかどうか、は確かにダイレクトに言葉抜きで伝わってくる。言葉数が少なくとも優しさ、温かさのある人というのは何故か気になるもので自然とその人の琴線にふれていたいと思う。それは知的な会話ができるとかそういうこととは無縁だ。アーティストと呼ばれる人々はこうした感覚を直球で放ってくる。そこが面白いし、触れると気持ちが優しくなれ。
男でも女でも自分が素直になれる相手と一緒にいれば間違いない。違和感を感じることがない人と時を過ごすことは心を育てていく。そうした経験がないと人に対して温かく接することができなくなっていく。感度が鈍るのである。
物事はバイチャンスである。(この場合のバイチャンスはバイチャンスタケザワ理論の意)
その人のパフォーマンスが最大化するような行動や質問をしてこそコンテクストがダイナミズムを帯び活性化してくる。細部こそ手を抜いてはいけない。あらゆる言動、行動、思考において特に些細な場面でどう振る舞うかが他の全ての状況下でのその人のあり様を決めていく。
ふと気づけば金曜日。
街の空気が微妙に違う。
空気が活性化している。
こうこう雰囲気の日は落ち着かないのだがこれこそチャンスだ。
すぐそこに変化の渦がある。
何も考えず素直に感覚に集中すればいい。
要は頭を使わないことだ。
とここで父から電話。
先ほどの電話とは別世界なフィーリングが伝わってくる。
人とのコミュニケーションにおいて最も大切なのは相手へのいつくしみなのだ。
それは昨日今日にできる技ではない。
その人の振る舞いのあらゆる部分が影響しているのだ。
投稿者 TKM : 2004年09月03日 12:55
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.kagaya.com/mt3/mt-tb.cgi/3496