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2004年09月05日

悪戯と転と展の流儀

夜。
雨が止んだのをみはからって出かける。

帰り道。
すこし力が戻ってくる。
雨はまだ降り続いている。
築地を過ぎたあたりで傘をたたむ。
酔っぱらったおじさんが傘をクルクル回しながら歌を歌って帰っていく。
自転車で脇を通り過ぎようとしたらこちらの方によってきてぶつかりそうになった。

「おっと。スンマセン」

「いえ大丈夫ですよ」

おじさんの声には人の温かさがあった。

空を見上げると雲の切れ目から夜空が見えた。
オレも誰かに必要とされるだろうか。
少しゆらりときた。

もし自分に対して「かわいそう」を感じるようなら注意が必要だ。
それは自分の持てる力を使っていない証拠だし、なまくらに生きているということだ。
倒れるくらいまで力を使い切るようにして毎日を生きていれば円運動の法則によって振り子は一回転して忘れていた躍動が戻ってくる。

人生の秘訣は自分が円運動のどこにいるかを認識し、次の極(ポール)まで生き残る知恵を絞ることだ。なんだっていい、ずっと続くものなどない、ということを時々思い出すことだ。いいときもあれば悪い時もある。それが1年でも2年でも3年でも4年でも円運動の法則はミクロにマクロで機能しつづける。

人というのはそれを時々忘れてしまうのだ。

以前は「今」を変えたくていつもカンフル剤を注入するかのように自分を取り巻く人々や関係性にむかってやり場のない感情のエネルギーを咆吼のように放出していた。時にそれは勢いとうつることもある。けれど実際には絡まってしまい行き場がわからなくなったエネルギーの無駄な発露でしかない。

僕の場合は思考するというよりも書くことで調子が戻ってくる。誰かとの対話でもいいのだがそれができないときはとにかく「書く」。書くことがあってもなくてもこうして書いていると自分の調子、基本に立ちかえってくる。

男女差や個人差もあると思うが自分の基本形にコンディションをもどす方法は幾つかある。ベストは対話である。これが一番はやいし心地よいし転と展を同時に行うことができる。更に両者が開けば相乗効果が生じる。

問題は常にそれができるわけではないことだ。
常にそれができるような人間になりたいと思う。

音楽、絵、移動、場の要素を組み合わせることでも気分は大きく転じる。

簡単なのに人はこれを忘れてしまう。絶え間なく変わり続けるもの。それがこの世界である。そこで生きるには変化に大してオープンでなければならない。揺らがないというのは揺れがないのではなく自らも揺らぎを内包していることだ。

バイチャンス理論もその手法のひとつだ。
的確に使いこなせば毎日は俄的へと変わる。
それもまた愉快な人生だと思う。

世界は変わり続ける。
いや、簡単に変えられるから面白い。
何だっていいのだ。いきなり会う人みんなと笑顔で話をしていったら三日もしたら別な人生の扉が開き始めるだろう。そのくらい物事は柔軟にできている。
物事を避けるのではなくバイチャンス化していくこと。
それ以上の遊び、俄はない。

正しいと正しくないで物事を分類するとおかしくなる。
という話をどこかで読んだ。

確かに「悪戯」のマインドがないのにはロクなのがいない。

投稿者 TKM : 2004年09月05日 01:49

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