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2004年09月22日

営業マン特集と時間泥棒

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久しぶりに「ガイアの夜明け」をみる。
営業マンの特集であった。

ヤマダ電機、積水ハウス、プルデンシャル生命の営業マンを追ったドキュメントである。
ドキュメントもつくりものとはいえ演出のしすぎなのでは、と思うシーンが多かった。

気になったのはプルデンシャル生命の営業マンを追ったパート。
プルデンシャルでは週に三つの契約を取ることを「3W」と呼び、それを50週続けたワタナベさんが会社で表彰されるシーンがある。

オフィスのホワイトボードには営業成績を示すのだろうかブルーと黄色の丸い磁石がグラフのように並べられている。マネージャー格の男性が入社1年目のライフプランナーワタナベさん(33歳)を称え、

「特別にメッセージが届いています」

部屋の後方にあるスクリーンにはワタナベさんの奥さんの映像が映し出される。
おめでとう、あなたはスゴイ人だと思ってました。仕事がんばってください。というメッセージが流れる。ワタナベさんは感極まって少し涙ぐむ。

ふと僕は考える。
保険とは一体何者なのだろう。
それは何かを生産しているのだろうか。
顧客から保険金として資金を集め、集めた資金を種銭に投資事業を営む。
それが保険会社のビジネスだと理解しているがだったら保険そのものはあまり意味はなく単なる集金の手だてということなのだろうか。

プルデンシャルでの営業はいわゆる王道の営業スタイルとされる「口コミ・紹介」がメインである。上にいけばいくほど収入が大きくなる。
しかし全員に売り切ってしまって、入る人がいなくなったらどうするのだろう?

思想や細部は違うのだろうけれど海外で行われる大仰な社内表彰イベントや涙を誘う演出など宗教系の集金術やネズミ講やマルチと姿がかぶる。とはいえマーケットは存在するわけでそれがなくなるまでは続くのだろう。

僕は国保以外には保険というものに入っていない。
タイで出会った村人も保険には入っていないだろう。
1000年前の人々も保険には入っていなかったと思う。
200年くらい前の日本人も保険には入っていないはずだ。
つらつらとそんなことを考えていると数十年後に保険というものそのものが存在しなくなっていてもおかしくないなと僕は思ってしまう。

保険というものは役に立たないことが最も価値を持つ特性を持つ変わった商品だ。
もし保険が役にたったらその時は負けである。
保険会社は保険が貯蓄の変わりになるというが貯蓄と保険は異なる。詭弁というか煙にまくというかうまい集金口実をつくってくるものだ。それともともとシンプルだったはずの保険がライフプランナーとされる専門家がバリバリに専門知識で解説しないとベストの保険商品を買うことができないところまで複雑化しているのはどう考えても不自然だ。

もちろん不自然な複雑さにはわけがあり、仕組みの複雑さが商品価値とすり替わる。
こうなってくるとほとんど制度や法律と同じだ。
便利さや快適さを保証するはずが逆転して負荷になってしまう。

同じ番組でやっていたヤマダ電機の営業研修も結構なものであった。
自分だったらあの接客で迫られるよりはネットで買うな。
お客様の為といってはいたけれど結局は売り上げなわけで。

あたりまえといえばあたりまえだけれど「よりよい商品」と「相手が求めている商品」は違うわけで。僕は大手量販店にいってもあまり店員さんにきいたりはしない。大体の場合は店員さんに相談する必要なんかなく。最初から質問の答えは知っているけどちょっとだけ背中を押されたくて質問するんだと思う。

売れ、売れ、売れってのはやっぱりどっか不自然だよ。
逆に無理して売らなくてもいい世界にすべきだと思う。
問題の根本は偏りや歪みにある。
エネルギーだけでもフリーになったらだいぶ事情は変わってくるはずだ。

「それじゃあ働く意欲がなくなってしまい怠惰を助長するだけだよ」という意見もあると思う。けれど世の中のコンテンツなんてのはそのほとんどが怠惰からしか生まれてこないんじゃないだろうか?

実際に現場にいるとわかるけれどコンテンツに関しては競争しようにも無理だ。
競争からはいいアイディアなんてのはうまれないし具体的な競争相手がいるわけでもない。

それにコンテンツは基本的に水物である。
鋼の錬金術師のセリフじゃないけれどコンテンツに等価交換の法則はない。

コンテンツが存在しなくても人は生きていける。
しかし恋愛がなくなったら子供は消えてしまうわけで、恋愛って何かといったらそれはやっぱりコンテンツなわけで補完関係じゃないけれど生きるモチベーションがあって手段が必要になってきてと物事は関連し循環しているんだと思う。

そういえば昨夜はじめてミヒャエル・エンデの「モモ」を読んだ。
1973年の作品だが読んでいてゾンワリとした。
いまではしっかりと時間泥棒の世界が実現されている。
「モモ」についてはまた改めて。

モモ―時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語
大島 かおり, ミヒャエル・エンデ, Michael Ende

おすすめ平均
読み手により姿を変える本
色鮮やかなストーリー
大切なことを思い出させてくれる本です

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投稿者 TKM : 2004年09月22日 11:06

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