« タイトロープと間合いの取り方 | メイン | 「痛快さ」を忘れてないか »
2004年09月25日
老害は信号機か?
この間、道を歩いていてふとおもったこと。
「年配の人を敬いなさい」「目上の人を敬いなさい」といわれる。
なるほどそうだよなと思うのだがちょっとまって欲しい。
その前に大前提として彼らは「敬われるにあたいする目上の人、年配の人」である必要があるはずだ。
はたしてどれだけの人が敬われるにあたいする大人あるいは年配、年上の人であると言えるであろうか。
さらにもうひとつメモ。
「日本停滞の一因は老害によって引き起こされている」とする議論。
これも至極イメージしやすい問題提起である。
適切な意思決定ができない老人が組織の上の方にいつまでもいることが組織にマイナスとなり、それが日本のいたるところで「信号」として機能してしまっている、という見方はたしかに説得力がある。
組織とか日本という場の停滞とか構造問題というのはまあわかりやすい理由ではある。
けれどそれらは些細な問題でヤバイのはありきたりすぎて僕らが気づかないところにある危機だ。
現在、人が活動できるステージは世界に広がっている。
日本だとか中国だとかアメリカ、ヨーロッパ、アジアという枠でとらえるから堅苦しくセコくなり思考が縮小してしまう。けれど実際には笑ってしまうくらいにエキサイティングな状況にあるんじゃないだろうか。
にもかかわらず問題をローカルに還元して考えようとしてしまうからおかしくなり、その姿勢がセコい考えを導いてしまう。
この際、誰が悪くてもそんなことはかまいやしない。
気にくわなければ何もウジウジと地元の悪口やグチなどいっておらず、新しいグローバル文化をつくっていったらいい。(おっさん二人が月島西仲商店街の主らしくイベントのグチを延々と話しているのをきいていたらそう思った。よく思うのだが話し合いというのは無駄話であることが9割ではないだろうか)
なんなら国をつくってもいい。
とさえ思う。
野球の問題にしても何にしても視点が狭すぎる。
いつまでも国家がいまの形であるという前提はグラングランに揺れている。
地球儀にひかれた線に人はこだわるけれどそれもここ数百年の出来事でしかない。
星にいけるようなったら線の価値はだいぶかわるはずだ。
触れることのできる範囲でいいから現実を見る。
メディアは基本的にきらびやかなネオンのようなもの。
あれも一つの「信号」である。
※ここで僕が使っている「信号」はシグナルという意味での信号ではない。昼間の都市部を自転車で歩くときに体験する不必要に多い信号機とブレーキ頻度という意味での信号である。
投稿者 TKM : 2004年09月25日 23:37
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.kagaya.com/mt3/mt-tb.cgi/3517
コメント
僕にとって年上の上司は、大切な存在です。
県に入った一年目に先輩から
「これから仕事をしていく上で「上司の使い方(ちょっと言い方変かも。)」ってのは大事だよ。大げさに言うときっぺいが考えた企画を県の一担当が提案するのと、知事が県知事の意見として発言するのは全然違うでしょ。」
とアドバイスをもらいました。
投稿者 きっぺい : 2004年09月29日 21:58
そのアドバイスのお陰で僕の仕事への意識が変わりました。
年上の上司に対して能力があるとか無いとか、わからないし、偉そうな事は言えませんが、確かに「この人はすごい」と思う人がいれば「この人が何を言っているのかわからない」という人もいます。
でも、後者はもちろん、前者とも上手く仕事をしていくためには、それぞれある程度の戦略をもって接する事が大事じゃないかなと思います。
基本的に年上の上司は僕たち若者とコミニケーションをとりたいと思うし、コニケーションをとらないと戦略もたてられません。
投稿者 きっぺい : 2004年09月29日 21:59
でも最近上司が気を使って飲みに誘ってくれても、「就業時間以外はプライベートですから」と断る人もいます。
そんな悲しいことを言わず、上司とコニミケーションがとって、うまく上司を使い、使われるような関係を築いていったら、良いのにーって思います。
それに上司が信号になってしまっているのは、その部下のせいでもあるのかもしれないしね。
PS:コミニケーションとってみると、「おっちゃん達は結構アナドレナイ」と思うことがしばしです。
投稿者 きっぺい : 2004年09月29日 21:59
でも最近上司が気を使って飲みに誘ってくれても、「就業時間以外はプライベートですから」と断る人もいます。
そんな悲しいことを言わず、上司とコニミケーションがとって、うまく上司を使い、使われるような関係を築いていったら、良いのになーって思います。
それに上司が信号になってしまっているのは、その部下のせいでもあるのかもしれないしね。
PS:コミニケーションとってみると、「おっちゃん達は結構アナドレナイ」と思うことがしばしです。
投稿者 きっぺい : 2004年09月29日 22:00
加賀谷の文章に刺激されて日ごろ思っていることを一杯書いちゃいました。
また飲みながらいろんな話しようね。
今度政治の話も聞かせてね。
投稿者 きっぺい : 2004年09月29日 22:02
コメントありがとう。
「人とどうつき合うか」は自分にとって大切なテーマです。
キッペイのいうように自分の側に壁をつくってしまうとその人とシンクロできる部分があっても気づかなくなってしまったり、「この人はこういう人だ」という思いこみによってコミュニケーションが歪んでしまい、すれ違い、ちょっとした違いが増幅され修復不可能な問題にまで発展したりすることも多々あるかと思います。
我々個人間での意思疎通ですら往々にしてそうしたズレによって対立を生じさせたりするわけで、ましてや政治の世界、国際政治の舞台など「こうだからこうなんだ」という態度では常にイガミあうことになってしまう。
相手を理解しようとすること、できるできないに関わらずその態度が人と人の間をつないでいくのだと思います。と、いうのは簡単だけれど常にそれが実践できるかといったら自分も難しいわけで。
と考えていると沖縄の日々を思い出します。
なんかね、あの空気なんだよな。こう、なんというかあの距離感がつねに持てればいいのだけれど。
東京に限らず都市部にいると親切にすることが損みたいな空気がやっぱりあって、自分ではそうじゃないだろ、とわかっていても、その空気があまりにもでかすぎて押される時がある。
このゆがみがメディアやらなにやらを通じてやっぱり伝播してて。それが逆に働けばみんなが「親切」とか「人を大切にする」とか「気持ち」とかそういうものがOKなんだって思うようになるんじゃないだろうか、と思う。
また、話をしましょう。
今度は島で海みながら話しましょうね。
では!
投稿者 かがや : 2004年10月01日 04:14