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2004年10月09日
メールを書いてて思うこと
ここ半年のことなのだけれどメールに返信するのが負担になってきているなと感じることがある。以前は来たメール来たメール全部に速攻で返事を書いていたのだけれどここ最近は顕著にそれができなくなってきている。なんかいつかデジャブでみたな。
メールの数が増えたせいでもない。
問いがないメールが多いというわけでもない。
友人へのメールは返すわけだし、自分の怠慢が原因でもないのだろう。
一番の理由は逆説的だけれど常時接続と全てが自由な仕事の形態にある。
ほとんど拘束がなく、自由自在なネット接続環境。
いつでもできるものだからありがたみがなくなって逆にやらなくなってしまう。
あとはノートではなくデスクトップがメインマシンという環境だろうか。
これはいまになってわかることだけれど僕のような職業の人間にとってデスクトップマシンがメインの環境というのはネガティブな要素だ。家にいる時間がながければながいほど力を使わない方向にいってしまう。わかってはいてもこれを自力で律するのは大変だ。が、大変なだけに面白いともいえる。いずれは人々がこうした形態へと向かっていく。ちょっと先を体験しているわけだ。また、そこで何が必要となり何が価値を持つのか、がわかった。
先のエントリーで「日はまた昇る」が示す男女の関係について触れた。同じことは男女に限らず人対人の関係にもあてはまる。
あれがこうだったからこの人とはこう、とかそういう関係性のつくりかたはどこか違う。損をとることができる重要性というか、それもこれもあり、というか。音楽的あるいは「俄的jなあり方もOK」が基本なのだと思う。人間なんて酔っているときと酔っていないときで随分ひとが変わる。けれど人はそういうものだとも思う。その時点でのその人でいいと僕は思う。ガーっと思考や考えを自由にほどいていって拘束を前提としない人と人のありかたみたいなものをつくっていったらいい。
時間の意味はそういうところにあるのだと思う。
投稿者 TKM : 2004年10月09日 07:24
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