« もう饒舌はいらない -『物語時間』と『伝わる気持ち』と『プレゼン映画』- | メイン | ゴカイと三平の竿 »

2004年10月16日

FAXの音 音の未来

kubota.jpg

電話の音で目覚める。
受話器をとると電子音が流れている。
FAXの受信がはじまりジージーと紙をはき出している。

先日、ICCのイベントにいった。
久保田先生やアタウさんはじめ数人のアーティストによるコンサートが催された。

会場では暴力的な音がうなりをあげ床を揺らしている。
オペラシティは建物全体がホール状の吹き抜けになっている。
会場と外は一枚のガラス板で仕切られただけなので音は会場を抜け出し、
全館にノイズミュージックが鳴り響く。

これは「美」とは異なる体験なのだろうか。

心地いいだろうか?
時折、心地よく感じる。

面白いだろうか?
確かに面白い。
聴くというよりもこれは体験である。

そこにあるのは音と音楽の狭間である。
文字でいうならば擬音のようなもの、と言えるだろう。

ギャーという文字は意味を持たない。
けれど別な文脈で使われるならば意味を持つかもしれない。
擬音は文字と音の狭間にある。

ではコンピュータミュージックは?
これはノイズなのかそれとも音楽なのか。

いまは「音」の側面が強い。
アーティスト達も「音」をつくりだすことに夢中だ。

けれどその先がある。
コンピュータミュージックも変移する。

先日きいた「音」も10年前に聴いた「音」とは違う。
気持ちよさの方向性の違いといったらいいだろうか。

パフォーマンスはいくつかのパターンに分類される。
コンピュータミュージックという狭い分野にさえ志向の違いが明確にあらわれる。
なるほどこれは音の実験ではないのだ。

可能性の話だけれど音楽には「ココからはじまってココでおわる」。
という型がある。
しかしコンピュータミュージックが扱う「音」とその先にはその型が崩れる「可能性」を感じる。

コンピュータミュージックの面白さとはこの可能性なのだと僕は思う。
それは直接的な美とはことなる。
しかし、それもまた感覚的なものなのだ。

投稿者 TKM : 2004年10月16日 16:40

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.kagaya.com/mt3/mt-tb.cgi/3539

コメント

コメントしてください




保存しますか?