2003年09月20日
六本木会合終了。第二次大戦の時の関東軍を思い出す。そして敗因は一杯のビールにあったと気づくが時、既に遅し。
今日で六本木ヒルズでの会合も最後。
いろいろあったが会合を通じて友達がたくさん出来た。
それは素直に嬉しい体験だ。
学校を卒業していらい組織に属したことがなかったので会社の楽しさみたいなものをちょっと感じた。
面倒も多かったし、(まだイベントは終わってないが自分のステージはほぼ終了)主体が決まっていない、誰がやりたいのかもわからない、という状況で組織ができそうでできなく、機能しそうでしない、そんな感じで物事が進んでいくのを実体験として経験したことはラッキーだったと思う。
主体がないというだけで(つまり強制力がない)これだけ面倒なのだから国をつくるのは全く別の視点とかやり方じゃないと無理なのだろう。(ゼロからシステムをつくっていった時の政治家は偉いと思う。元手は心意気と信念だけだ)
あのレベルの人数のイベントで物事を決めていくのは普段、仕事としてやる場合はなんてことはない。一瞬ではないにしても簡単に進んでいく。企画を決めて、予算を決めて、スタッフを集めて、まわしていく。結婚式のパーティと人数と場所が違うだけでやっていることは同じなのだ。
単純な話、拘束されてない状態で立場が曖昧だとプロジェクトは進行しないのだろう。
まわりださない、まわりづらい理由は簡単で主体の不在にある。
実行委員会なりなんなり専任の組織が核として機能しない限り、拠を持たない集団である自分たちは拘束条件がないため機能を発揮できない。いまもこの部分は不明瞭なままだと思う。
はっきりいってしまえば誰も主体という役回りはやりたくない、というのが本音だろう。教授も大学の人達も学生もオレたちも。このすくみの構造がうまい具合に機能している。だから軋むのだ。
核がないと物事は進まない。自律分散で進行が可能なのはヴィジョンという核を共有している集団においての話であって万能にみえるオルフェウス・プロセスはヴィジョンの共有なしには機能しない。
こういう体験は極めて稀だ。ルールが異なる未体験ゾーンである。それだけに考察として最高に面白い素材だ。集まってる社会人の人達は組織でもそれなりに上にいて、人をつかって仕事している。使える人が集まっているのにブレーキがかかってうまくまわらない、というこの現象には理由がある。責任がないから拘束もないのである。リスクゼロだ。もし、一人一人が額に関係なく働きに応じて賃金をもらう契約関係にあったら拘束と責任が生じスムーズに全てが進んだ、進む、だろう。
と、ここでいきなり話は飛ぶが、イベンターが存在しないイベントというものもありだと思う。おそらくそれがVersion2.0だ。Version2.0はプロセス自体が面白くなると思っている。予想不可能性が介入する。自律分散的に成立するイベントの面白さである。非管理の管理。非制御の制御。
++++++
今日もいつのまにか朝だ。
唐突に恐ろしく平和だ、と気づいて慄然とする。
昨夜の会合にしても、自分が書いてるこの文章にしても、実体はない。
あと何時間かしたらやっぱりみんな昼ご飯を食べたり起きて動いたりする。
これは何なんだろう。
みんな変わりなく普通にご飯を食べ、眠り、起きる。
問題というものは世界中にいくらでもある。この問題とその問題でどちらの問題の方がより重要であるか、という絶対値は存在しない。問題の重要度とは主観的な判断によって決まる。
この世界の本当の問題はそう多くない。
ほとんどの場合、問題とは「暇」によって導き出される脳の戯れだ。
おそらく思考の元には何もない。
そして、唐突にまた閃いた。
なんでいままで一回もビールのみながら会議やらなかったんだろう。
たった一杯のビールがあるかないか。
問題の本質はそんなところだと気づいた。
六本木アカデミーヒルズ。
都心の魔界である。
ビールのパワーが見事に封印されていたとは。
投稿者 TKM : 2003年09月20日 05:16
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