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2003年09月30日

人を変えようとしない

そうだ、最近忘れていた。

「人を変えようとしないこと」

その人が変わろうとしなければ人は変わらない。
だから人を変えようとしてはいけない。

「何故、こうしないの?」

とキンキン声で叫ぶ人達をたくさんみかける。
人を変えようとしてストレスを貯めたり、怒りを覚えたり、ということは酷く不毛だ。

人生の時間は有限だ。
ならば怒りやら不満という思考で時間を浪費するのは無駄ではなかろうか。

「そりゃ、わかってるけどさ。でも、人って喜怒哀楽があっての人じゃない。」

という説もたくさんきかされた。けれど、そんなことはない。怒りやストレスや、不満、羨望はできるだけない方がいい。全く無くすることは難しいけれど、悦びを増やすために智恵を使った方が幸せだと思う。

投稿者 TKM : 2003年09月30日 13:49

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コメント

そうねえ、人は確かに変えられないかも。
でも、人でなくて動物だったら変えたほうがいいところは「変えなさい」と教える必要があると思う。(キンキン声でなくていいんだけど。)

子供は中学にあがるくらいまでは動物的なところが強いんじゃないかな。子供だけはいつもではないけれど(特に年を経るごとにその機会は少なくなると思うが)、ときには「変わりなさい」と言うことが必要だと私は思う。

「なぜ、こうしないの?」と気付かせるんだな。

いろんな視点があることを動物は理解しようとしないから。(それは人間だけの特権だと思うよ。)

でも、その言葉をいうときはポジティブにもっていける言い方でないとね。

投稿者 志乃 : 2003年09月30日 19:58

そうか、エントリーを読み返してみたらあの書き方だとちょっと分かりづらいね。

僕がいいたかったのは「コノヤロウこうしろよ」というやり方で人を変えようとしたらダメで、相手、自分、双方が嫌な思いをする。大抵の場合、なんでこうしないの、あんたはまちがってる、という感じで否定から入ってしまうので。

だから、桂さんのいうようにポジティブな言い方、やり方をするように意識しないとダメなんだよね。

オレは思うのだけれど人を否定したくなるときはそれが強いほど自分の本質に触れている場合でもあると思う。自分との相違点が否定の根幹にはあると思うのだ。

なので嫌だと感じたり、怒りや、苛つき、を覚える時はおそらく自分との相違点、自分が信じるものとの関係などが原因にあり、うまくつかえば、自分というものを知るチャンスなんだろうな。

投稿者 かがやとものり : 2003年10月01日 02:23

本質に触れられるのって傷口に触られるみたいだからね(笑

人によっては、それから傷口の種類や大きさによっては触られると痛いだろうなあ。

投稿者 志乃 : 2003年10月01日 16:31

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