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2003年10月31日
ピラミッドと北斗七星
中西とエジプトにいく夢をみた。
ピラミッドに向かうバスに乗る。
川が近づく。
白人が浮き輪を持って川に入ろうとしているのが見えた。
無性におかしくなった。
笑いをこらえようとしているとエジプトの女の子に「あ、笑いこらえてるでしょ」と言われた。
中西はバスの前の方にいってしまった。
そのちょっと前、サッカーの試合をしていた。
勝つとドラゴンボールがもらえる。
こちらのチームがゴールを決めてドラゴンボールをもらったと思った瞬間。
直径1kmくらいの観覧車が登場した。
???
と思っていると。マイケルジャクソンがゴールの近くでキャッキャと騒いでいた。
なんとマイケルの夢の世界が実現してしまった。
しばらくそこに滞在した後、地上の星が見える場所に移動した。
そのホールから外を眺めると北斗七星の星の一つ一つが通常の100倍くらいの光度と大きさでみえた。
「東京とは随分違うな」
中西にそう話しかけると
「うーん、あっちの窓からみてみたいな」
そういって向こうの方にいってしまった。
投稿者 TKM : 10:58 | コメント (0) | トラックバック
流れない時間
なんだまだ10時30分か。
そう思ってしばらく読書。
時計を見る。
なんだまだ10時30分か。
メールを書く。
時計を見る。
なんだまだ10時30分か。
ん??
よくみると秒針が8のあたりでいったりきたりしている。
カチっと進むと一つ戻る。
しばらく時間が止まっていた。
++++++
どうにか「昭和名せりふ伝」を石原慎太郎がでてくるあたりまで読む。
異様に疲れるのは肩の怪我だけが理由ではない。
歴史についての本はやはり歴史の本であって歴史の本なのだ。
投稿者 TKM : 02:05 | コメント (0) | トラックバック
2003年10月30日
女子高生の集団とバトルロイヤル
昨夜、有楽町を歩いていると黄色い声援とともに突然50人くらいの女子高生が僕を取り囲んだ。みんな一斉に押し寄せてくる。
何事?!
いきなり200%の乗車率。もみくちゃにされながら何事かと周りをみるとビックカメラでのラジオの収録を終えたアイドルグループが店舗の階段から手を振っていた。丁度その前にオレが自転車で通りかかったらしい。
集団心理なのだろう全員が我を忘れている。周りは完全に消えて全てのパワーが階段の上のアイドルに向かって渦巻いている。それが一気に向かってくる。自転車ももみくちゃ、オレももみくちゃ。こうなるとほとんど肉弾戦である。バトルロイヤル開始だ。倒れないようにするのが精一杯である。
女の子でも集団になれば群衆と同じ。海水浴で波に巻き込まれて足掻いても体勢を整えようとしてもどうにもならずグルグルまわって、波打ち際へと運ばれていくあの感覚とそっくりだ。
アイドルが去ると浜辺で波が小さくなり消えていくように彼女たちのパワーが失せていく。
ロウソクの火がきえるようにフッっと静寂が訪れた。
オレや通行人に謝る子は一人もいなかった。
数人の女の子同士で押したの押さないので言い合いがはじまっていた。
振り返ると制服姿の集団が駅へと向かって消えていった。
投稿者 TKM : 03:35 | コメント (1) | トラックバック
今日は普通の日記
ようやく一日が終了。
長いような短いような。
あちらこちらと移動、移動。
楽しい一日だった。
はじめて東京海上研究所にいってきた。
ブログやCMSについていろいろと説明。
説明していて思った。
NotePCに動画のデータをつめこんでそれで説明するのが一番かもしれない。
Appleのイベントでのジョブズの説明は上手だ。
そして家に帰ってきて気づいた。
楽しみにしていた「古の武術に学ぶ」を見逃してしまった!!
甲野さんのトークを聞いて背筋をビシっとしたかたのだが。
肩の具合だがかなり良好である。
こうしてキーボードを打っている分には怪我をする前と同じくらいまで回復した。
驚異的な回復に焦る。
投稿者 TKM : 03:05 | コメント (6) | トラックバック
2003年10月29日
月島で安岡力也と久保君が並んでメシをくっていた
夜。
月島の魚仁で久保君と会食。
久保君が今日の授業の最後に生徒に書いてもらったというアンケートを見せてくれた。
ポテトサラダを食べながらカードを読んでいると後ろから
「4人、入れる?」
「いらっしゃーい、いらっしゃーい」
と声がした。
長テーブルの隣に4人組がはいってくる。
僕はカードをみていたので誰がきたのかは気づかない。
久保君が
「加賀谷さん、僕たちが奥につめましょうか。」
というが壁際だと肩が押されるので
「いやいいだろこっちで」
といってるとドヤドヤと人の気配。僕はまだカードを読んでいる。久保君が何かいうので
「んー」
と顔を上げると焦った。久保君の隣に安岡力也がいた。
リアルホタテマンである。
久保君と安岡力也。
このツーショットもなんだな。
かなりレアである。
久保君の隣で「いらっしゃーい、いらっしゃーい」と鼻歌を歌っている。
店のおじさんが案内してきたのだと思ったら彼が案内してきたようだ。
安岡力也とは以前、横浜文化体育館にリングスの試合をみにいったときにトイレで隣あった。縁があるのだろうか?向かい合うのは初めてだが実物に目の前でニヤっとされるとまたなんだな。そして文体では気づかなかったが異様に腹が太い。ゴツイ。そしてデカイ。
4人組はみんなガタイがいい。
安岡が芸能人だとわからなければヤクザの集団以外の何者でもない。
しかし、である。
全員、
「おい、お茶、ウーロン4つ」
と酒は飲まないのであった。そのかわり、食事の量は尋常ではなかった。大皿が4枚。やまもりのほっぺ焼き、カマ4人分(魚仁のまぐろカマは一つで30cmくらいある。それが4つゴロンと乗っていた。これだけで1kgはある)、特盛りの刺身盛り合わせ(通常の店ならば7~8千円くらいだが魚仁だと2~3000円くらいだ)こちらもぎっちりとトロから何からのっている。
で、オレと久保君も刺身と白米で
「うめー、うめー」
を連発していたので彼らも
「お、オレらも白米いこう。ご飯4っつなー」
と叫ぶのであった。隣の集団、身体も声も食事も豪快である。まあ、ウマイものを食っているのでみんな笑顔で仲よく醤油とか七味とかをやりとり。
「醤油ありますよ」
と久保君が醤油を渡す。
「サンキュー」とかいいつつなんとも不思議な夕飯が進んでいく今宵の月島であった。
「いやー、うまかった。なんか食べたり無いものあるか、久保君?」
と声をかえると久保君と安岡力也がにんまりでこっちをみていた。
投稿者 TKM : 00:55 | コメント (3) | トラックバック
2003年10月28日
モーターショーと選挙
外をみると雨。
これは好都合。
病院にいったその足でモーターショーにいってきた。
レントゲンの写真をみると骨は離れていた。
しかし、だんだんと骨ができてくる、との説明だった。
数ヶ月かかるらしいが。
雨の幕張は予想どおり空いていた。
読みが当たった。
4つくらいブースを回った時点で段々と意識がぼんやりとしてきた。
うーん、なんなのだろう。
簡単にいってしまうと飽きた。
トヨタブースのPMは車というよりもゴーカートみたいだった。
が、乗るならあれに乗りたい。
モーター駆動の車はエンジンがついている車とは別なものだと感じた。
よりPCとか家電よりだ。
OSが実体化したような印象を受ける。
また、来場者をずっと観察していたが車の外観ではなくコクピット周りに興味が集中しているようだった。カッコいい=コクピットがかっこいい、というコンテクストで「カッコいい」が語られていた。
意外にポルシェの911GTが印象的だった。
ベンツのガルウィングも悪くないがでかすぎる。
繰り返しになるが電気の車はPCに似ている。
この類似性は実に興味深い。
インターフェイス、運転の感覚、そういうものがOS的なのである。
電気とガソリン。
石油がいらなくなったらアラブの王様もいなくなる。
ここまで書いたら、iTuneから加山雄三の歌が流れてきた。
そうだトヨタブースにいた赤いドレスの女性(何人かいると思うのだが)の顔はびっくりするほど小さかった。
回転するステージで車と一緒に彼女はゆっくりと回っていた。
帰り道。
駅の近くで自民党の候補が選挙演説をはじめようとしていた。
通りすがりの若者達が「○○さんがんばってねー」「○○さーん」とはやし立てていた。
候補からの返事はなかった。
投稿者 TKM : 17:56 | コメント (3) | トラックバック
TOYOTA PMにヤラレル
スズキのバイクはアキラのバイクみたいで一度乗ってみたい。
そしてPMである。
なんじゃこりゃの世界だ。
トヨタブースにずっと詰めていたペンちゃんにIMで話をきくとブース設営は相当大変だったらしい。
それにしてもトヨタ。
日本一の企業はダテじゃない。
動画もここでみられる。
高速モードにきりかわるとほとんど未来の世界だ。
2010年には100万円くらいで出したい、という。
正直なところとても欲しい。
車はこういう方向にも変わっていくんだろうな、と思った。
動画はこちら。
http://impress.tv/im/article/knn.htm
投稿者 TKM : 02:09 | コメント (2) | トラックバック
2003年10月27日
理由
眠れない。
痛みがなくなってきた証拠だ。
この一週間、夜はスッっと眠れていたのだが。
眠れない頭で思索してみた。
違和感について。
抜けきらない感覚。
何なのかずっと気になっていた。
「聞く」力が落ちているんだと思う。
感覚のドライブが止まっているのだ。
++++++
12時間前、電車の中で「人間の土地」の最初の10ページを読んでいた。
食堂で笑みをみせた飛行士の話のシーンだった。
投稿者 TKM : 06:22 | コメント (2) | トラックバック
屋根に登る
メールを書いていたらふと思い出した。
大学を卒業してからいすゞ寮に一年住んでいたのだがその頃に秋葉台の体育館の屋根に登ったことがある。
朝方5時くらいだろうか。
側面のはしごみたいな形状をした部分からてっぺん目指して登っていった。
徐々に傾斜は緩くなり、ベコベコと屋根が軋む。
見つかったら怒られるだろうか。
と一瞬考えたが犯罪にはなるまい。
そのまま登っていった。
てっぺんからあたりを見渡すと向こうの方に朝日がのぼってくるのが見えた。
うっすらと赤い、綺麗な色だった。
3年前の元旦にかちどきばしの欄干に横になって見上げた夜空も綺麗だった。
昔からいろんなところに登っている。
投稿者 TKM : 03:07 | コメント (0) | トラックバック
打ち上げと帰り際のカッコ良さ
天王洲でHCDの打ち上げだった。
学生と一緒の酒席は久しぶりだ。
大勢の学生と話をするのは数年前のレディースオープンゴルフの仕事以来ではないだろうか。
対個人ではいくつも仕事をしているが大勢でというのは久しぶりだ。
途中、抜け出して運河沿いで涼んだ。
夜風がひんやりと気持ちよかった。
天王洲の店をきりあげて、オーナーのしんぺいくんの車で品川へ。
ゴルフのエンジンはかなりいい音をさせていた。
しばらく仲間と語らい、帰りはタケと一緒に有楽町まで帰った。
帰り道、ヤマケンの「今日はオレは帰るぞ」という引き際はカッコいいよな、とタケと二人で話した。
結論としてはオレらには無理だな、でまとまった。
誰と飲んでいてもそうなのだが帰り際というのは実に難しい。
何がってのは言えないけど何かを創るとか為すということと同じくらい人と語らうのが好きだ。
が、そこでまた思う。
全ては優先順位なのだ。
自分はからっぽである。
飲んで語らう以上に大切なことははっきりいってしまえばいまこの瞬間にはない。
別な瞬間にはそれ以上に大切なこともある。
しかし、さっきはなかったし、いまはこうして書く以上に大切なことはない。
そうやっていろいろな瞬間瞬間を一番大切だと思うことを中心に意識はまわっていく。
昼間みたドキュメントで銀座のママさんがいっていた「あたしも楽しい、お客さんも楽しい、それでお金までもらっちゃう、いいのかな、と思う。あたしは恵まれてるんだな、と思う」。
無理もしてないし、頑張っているわけでもない、騒ぐわけでもない。
小栗とは別な文脈で話しをしたがものごとは自然に還る。
一週間経って肩の痛みも大分和らいできた。
そうそう、大事なことを忘れていた。
抽選でMP3プレイヤーが当たった。
やはりツイている。
引きの強さは変わらず抜群である。
こればかりは生まれもってのギフトだと思う。
投稿者 TKM : 01:23 | コメント (0) | トラックバック
2003年10月26日
銀座にいるのは誰だ?
日曜の午後。
銀座のクラブのママたちのドキュメントに見入ってしまった。
普段自転車で通っているあたりのあのビルの中はあんな風になっているのか。
女の人達はまあよく見かけるので違和感はない。
やりてのオーナーママさんのあの感じもわからないではない。
一番、わからなかったのは集っている客の素性である。
大概、地味なネクタイにグレイのスーツだ。
けれど、その店は座れば7万円。
客の多くは恰幅がいい。
一番最初にでてきた女性は記憶力が抜群でNHKの科学番組にもでたことがある、といっていた。
みるからにやり手である。
頭脳派だ。
金融をやった方が向いていると思った。
彼女の父親は数多くのビジネス書を書いている。
血は頭脳にも影響するのだろうか?
二番目のママさんはカッコ良かった。
最初の人とはタイプが全く違う。
ハートでいくタイプの人だ。
女を捨ててないなあ、と感心した。
見た目は夏木マリみたいだった。
その後にでてきた人達と店はなんとなくわかるかな、という感じで印象は強くない。
最初の人と二番目の人の世界観の違いに驚いた。
頭脳派の彼女はどう考えてもビジネスとしてわりきって商売をやっている。
狙っている層が全然違うのだ。
大した付加価値をつけるでもなく構造によってビジネスを回転させていくその手腕は今風のスタイルだと思う。
二番目の人の店の方がいっては楽しいと思う。
が、全く客層は異なるだろう。
一言でいってしまえば客単価が違う、ということなのかもしれない。
でも、やっぱり誰がいってるのか。
そこが一番の興味だ。
あれは誰なんだ?
ある種のクローズドなコミュニティを感じた。
銀座であろうと値段が高くても安くても関係なく。
コミュニティが心地よいからということなんだと思う。
投稿者 TKM : 15:06 | コメント (2) | トラックバック
緩和していく、包み込まれる
これは骨を折った直後から感じていたことだが朝起きて少し動いた後などなぜか気持ちが柔らかく幸せ感につつまれる。そして必ず心地よい眠気に襲われる。なんらかの脳内物質がでているのだろうか。
春の風と優しいような切なさが同時にフワっと湧いてくる。
左回りに力の矢印が下から上にまいていく。
空気に包まれていく。
投稿者 TKM : 13:12 | コメント (0) | トラックバック
KILL BILL に想うコンテンツの世界と人のモード
夜中過ぎ。「KILL BILL」を観る。
ヤラレタ、そう来たか。
たどたどしい日本語、日本刀、日本。
舞台は日本であった。
しかも、これは前編で。
春に後編が公開される。
完結するものだと思って観ていたので「エッ?!終わり?!」感が強かった。
しかし、マンガのようなヴァイオレンスである。
ほとんど「覚悟のススメ」だ。
永井豪と石川賢の世界である。
ノリは劇画だ。
プロダクションIGがどこで絡んでいるのかいまかいまかと待っていたら唐突にそのシーンがはじまった。
そうか、劇中アニメってこれか。
ベッドの下に隠れた少女が思わず「waa...」と声を出すシーンがある。
しかし、彼女は声を出してはいけない。
声が聞こえれば殺られる。
声は文字となって空中に舞う。
あわてて少女は文字を口の中に押し込む。
デフェミリアライゼーション。
僕が好きなのはこういう表現なのだ。
禅問答も似ている。
山、山にして山にあらず、というあれである。
同じ殺陣でも座頭市とは全く異なる。
向こうは時代劇。
こちらは活劇である。
ウマ・サーマンの衣装からしてわかるようにブルースが生きている。
そして「仁義なき戦い」オンパレードで舞台が進む。
笑ってしまうくらいに全てが遊びである。
ヴァイオレンス、ヴァイオレンス、血みどろ、血しぶき、狂気、乱舞。
しかし、それでも異化を存分につかってくる。
俳優が日本語を話す時点でやられた。
実物の俳優を使っているけれどやっていることはアニメだ。
「KILL BILL」。
たっぷりと映画であった。
あれはTVでは不可能だ。
何故、日本でこれが撮れないのだ?
この問はすごく重要な問題を含んでいる、と思った。
「あずみ」もなかなかパワフルだったけれど「KILL BILL」とはモードが全く異なる。
あのウマ・サーマンの舌っ足らずの日本語は日本人の俳優では不可能だ。
評論家は日本映画とか○○映画というくくりに意味を持たせたがるがそういう定位や定義で何かを確保しようとするその姿勢はどこか時代において行かれているように見える。
「踊る大捜査線」や「TRICK」のようなTV的な面白さも悪くないなと思う時もあるし、くだらなすぎて辟易するときもある。そうだ、思い出した。「踊る大捜査線」や「トリック」のようなTV的な映画はよくできたプレゼンテーションみたいでこちらが感じる前に感じ方までガイドしていってしまう。だから映画を期待してみにいくとベタツキすぎて気持ち悪く感じるのだ。
TVは万人に「わからせる」のが第一だからそうならざる得ないのだろう。
面白さには方向があるのだと思う。
TVは得てして逆表現になっている。
本来、表現とは「削ること」なのだがTVだとほとんどが「プレゼン」になっている。
「プレゼン」を否定するTVのチャンネルがあったら最高だ。
おそらくネット家電としてTVモニターがネットワークにつながれる頃にはチャンネルは解放され、「プレゼン」を否定する形の番組が流れ出すだろう。
映画館で見ると面白いのにTVモニターで見るとつらい映画ってたくさんあるけど、あれは映画館という「場」の拘束によって見る時のモードが変わっているからだ。
TV見るとき人はプレゼンをきくモードで対するけれど、ネットワークに接続されたTVがコンテンツ用のデバイスとして機能しはじめると「みる」モードが変わるから偶発性や異化を内包するアートよりのナビゲーションがありうると思う。
「昭和名せりふ伝」今日こそは読み終わりたい。
投稿者 TKM : 04:35 | コメント (2) | トラックバック
2003年10月24日
ルールと流れと人を変えようとしないこと
突然、田舎の母が見舞いに訪れた。
朝、父から電話がかかってきて
「これからお母さんが新幹線でいくからよろしく。オレはこれから札幌なんだ。」
3時間後、母が東京に到着した。幾度か電話で連絡をとりあいながら部屋まで誘導。拘束具をつけなおしてもらい、昼食を食べる。夕方、妹も合流して、3人で夕食を食べる。久しぶりだ。
午後10時、妹の家へ二人は帰っていった。
「昭和名せりふ伝」を少しづつ読む。肩胛骨の痛みは少しやわらいだが肩がズキズキと痛む。動かしすぎたせいだろうか。
母はいろいろと部屋を片づけていた。僕は部屋に人がいるのに慣れないので落ち着かなかった。1年前の自分だったら怒鳴って喧嘩になっていたのではないかと思う。母には母の世界観があり、その視点で生きている。親の言葉の端々に苛立ちを覚えたり、ムカっときたりするのは自分との間合いの問題だと思う。
親にとって子供とはいつまでも子供なのであろう。
父とは飲み友達ということもあってその距離感が酒というメディアを通じて確立されている。父の言葉にムカっとくることはまずないのだが母の言葉には苛立つ時が多い。ルールを押しつけられる時に僕は苛立つのだとわかった。しかし、母の視点に立ってみればそんな振る舞いも当然なのだろう。
思ったのは人を変えようとしない、ということだ。
これまで何でいらついてしまっていたかというと「そうじゃないだろう、こうだろ、なんでこうしないんだ」という気持ちが前でてしまうからだったと思う。そこを変えてみた。すると事象や物事の運びに流れがでてきて、いろいろとうまく運んでいった。ちょっとづつだがこうやって自分を開いていけばいいのだろう。
投稿者 TKM : 00:05 | コメント (4) | トラックバック
2003年10月23日
老人と海と魚影の群れ
「魚影の群れ」を思い出した。キャストは緒形拳、夏目雅子、佐藤浩一だったと思うが現実にこのサイズを釣り上げているのか。知識として知っていてもビジュアルで魅せられると壮観である。
「漁師人生で一番の大物」とは釣り上げた宇恵野さんの言葉。
漁師人生という言葉が心に響いてきた。
投稿者 TKM : 11:04 | コメント (2) | トラックバック
New iBook G4
いつのまにかiBookG4が発表されていた。しかし、12inchは800Mhzである。
何故こういう構成になるのか疑問だ。14inchの方が売れているのだろうか。
OSは標準でPantherがのっている。
finderの体感速度がかなり上がっているとのことなので800Mhzでも快適に動きそうではある。25日のPantherの発表と同じタイミングでiBookG4のリリース。ブラウズ、メール、オフィスをメインに使用するのであればG4 iBookは買いだと思う。USBが2.0に変更になっているのも評価できる。コストパフォーマンス的には大幅にPowerbookを上回る。同じG4なら間違いなくこちらの方が格安で買いである。
Macを買いたい、しかし、Powerbookは高くて....。と躊躇していた人にとってiBook G4+Pantherという組み合わせはかなりオススメである。
投稿者 TKM : 07:35 | コメント (6) | トラックバック
国学者とアラブの王様と剣術と石油とフリー
ひさびさにNHKにやられた。
「人間学講座 古の武術に学ぶ」。
現在も武術家という人がいることを知らなかった。
肩が痛かったので休憩しようとTVをつけるといきなり打ち込みの解説であった。使用しているのは袋竹刀にみえる。甲野さんの動きをみていると合気道の高岡さんを思い出した。最初は柳生心影流かと思ったが全然違った。古武術をベースにした独自の理論に基づく武術である。
打ち合いをしながら甲野さんが解説をしていく。
端々に「流れ」という言葉が現れる。
武術の基本には動きの良さ、流れがあって、身体を装置化し、エネルギーをどう使うか、それが武術なのだ、と甲野さんはいう。甲野さんが醸し出す雰囲気が時代と無関係に独自路線で良い。
最近は身近にこういう人をみない。
「ガサラキ」に出てくる西田啓みたいな人はまだ日本に存在するのだろうか?
この作品をみてはじめて穀物モラトリアムという単語を知った。また穀物商社カーギルの存在を知ったのもこの作品がきっかけである。ハーバードの教授がアニメを研究しはじめたのも「アキラ」をみたときに「アニメでこれをやっていいの?」と感じたのがきっかけだったといっていた。
「ガサラキ」の設定では西田は国学者である。
国学者とは何であろう?
調べてみると「古事記・万葉集などの日本の古典を研究して、日本固有の思想・精神を究めようとする学問。 」とあった。本居宣長 (もとおりのりなが) ・平田篤胤 (ひらたあつたね )か。
現在、国学者はいるのだろうか?
ネットでも本屋でもどこでも「金持ち本」ばかりだ。
現象的にとても面白いので片っ端から読んでみた。
みんなうまいこというなあ、実にトークがうまい。
不思議なくらい読者を気持ちよくさせていく。
しかし、である。
構造がズバリわかってしまった。
殆どの「金持ち本」はビジネス書の「シドニー・シェルダン」「赤川次郎」である。
本質は"Killing time"。
暇つぶしである。
語られるのはマインドやコンテクストであって、読むのに脳を使う必要がない。
では、面白くないのか?といわれればそんなことはない。暇つぶしとしては実に面白かったりする。が、その一歩先が僕は気になる。構造的にこの世界の富は格差によってなりたっている。よって、環境と貧国に全てのしわ寄せがいくようになっている。
ここまで書いたらズキリと肩に痛みが走った。
投稿者 TKM : 00:13 | コメント (0) | トラックバック
2003年10月22日
共通性とZONE
荒濱さんからWJ(長州が設立したプロレス団体)のwikiサイトの情報がメールで送られてきた。
骨折の痛みと格闘しつつサイト構成をつくっていたところだったのでwikiだったら簡単だろう、と思ったがCMSツールには向き不向きがある。
いまやっている仕事のようなサイトだと既存のCMSでは高機能すぎて逆に使い勝手が悪くなる。立ち上げ時はローカルで管理する形だが、いずれはWebアプリケーションの開発ということになっていくのだろう。本来はスタート時点でWebアプリケーションとして開発すべきものだと思うが、来月から開発開始という流れだろう。
ところでWJだが
最初の1~2回の興行についてはTVやメディアもフォローしていたがいまや見る影もない。フロントと選手の乖離も進んでいるし、谷津も退団した。wikiサイトをみていると賃金の未払い問題で揉めているようなことも書かれていた。
話題になった15歳でVT戦デビューを果たした中嶋勝彦は現在、何をしているのだろう。気になるところである。under20のVTというのがあったらそれはそれで面白いのだろうか?そうだ、昨夜は後楽園で闘龍門だったはずだ。一度もいったことがないがオーナーのセンスは鋭い。あのプロレスは魅せるプロレスである。華がある。
TVをつけたら偶然マスクをかぶったノゲイラと藤田がレスリングの試合をしていた。素晴らしいマッチメークである。これまでノゲイラvs藤田はPRIDEでは実現していない。
マネーといえば昨日みつけた「人生は後戻り出来ない白い一本の道」という記事がなかなか面白かった。腕立て伏せの事例がでているのだがこれとおなじことをスケートの清水選手もいっている。筋肉はズル賢く、一度やった動きは覚えてしまうので毎回違う動きを与えて筋肉を新たにつくっていくのだそうだ。
清水選手の話で一番印象的だったのは「ZONE」のコントロールである。
そんなことが本当にできるのだろうか?
できるのだ、と清水選手はいう。しかし、他の人が同じやり方で「ZONE」に入れるとは限らない。清水選手の場合はという話である。
「ZONE」について興味がある人はこの本が参考になると思う。
M・チクセントミハイのいう「フロー」 も似ている感覚だと思うし、SONYが基幹戦略として提示してきた「クオリア」も通じるものがあると思う。ZONEやフローといった感覚のドライブの意味をまだ自分自身理解していないが現象としてとても興味深い。
それぞれの言葉によって表している状態は異なると思う。
しかし、域はそう遠くない。
分野、モノを問わず、何においてもZONE的なもの、フロー的なもの、クオリア的なものが存在する。
それらが何なのかはわからない。しかし、確かにそれはある。
人の魅力や勢い、力というものも同様であろう。
運という考え方も似ていると思う。
ZONEに入りやすい瞬間は異分野であっても何らかの共通性を持つ。
それは何なのか?
考察すべき問題だ。
投稿者 TKM : 00:18 | コメント (2) | トラックバック
2003年10月20日
月島での診療結果
聖路加の紹介状をもって月島の整形外科を訪ねてみた。
待合室に座って待っていると
次から次へと昼時の吉野屋なみに老人が押し寄せてくる。
どの老人も傍目にはどこが悪いのかわからない。
2時間も待たされてレントゲンと概要、方針の話。
聖路加の救急の先生には聖路加だったら一日はかかるからね、と言われていたが月島でも大差はない。
矯正してから鎖骨バンドをきつめにしめる。
いっきに肩胛骨が痛くなる。
右の腕がぱんぱんになる。
どう考えても締めすぎだがこうするほかないらしい。
手術について話す。
通常なら手術をやってもおかしくないし、骨が離れているのでやる方針の病院ならばすぐに手術のケースだが鎖骨の場合は手術しない方が治りが速い場合がある、のだそうだ。あとは病院の方針しだい。持っていった聖路加の紹介状は手術なしの方針だった。
取りあえず数週間様子を見る。
その時点で骨がくっつかないようだったら改めて手術になる。
鎖骨バンドがきついせいでキーボードを打つときに負荷がかかり両手をそろえるのが難しい。
この状態だと15分が限界だ。
投稿者 TKM : 13:15 | コメント (2) | トラックバック
2003年10月19日
骨の鳴る音
昼過ぎ、妹が介助にきてくれる。
いつのまにか掃除や片づけがとても上手になっていて驚く。
電話が鳴ったのだが取りに行けない。
ベッドからは一番遠いところに置いてある。
妹がとってきてくれた。
「かなりの確率でタドちゃんからだよ」
何故わかる?
手渡された受話器の画面をみると「タド」と書いてあった。
見舞いの電話であった。
弱っている時のこうした励ましは素直に嬉しい。
ありがとう。
夕方、ジョシュの試合をみながら妹と一杯だけビールを飲んでみる。
肩の痛みが酷く、ベッドで休む。
その間に妹が台所や洗濯物を畳んでくれた。
よくできた妹である。
夜、痛み止めを飲んでから机に向かって仕事を開始した。
1ページつくった段階で肩に痛みが走った。
激痛というよりは鈍痛である。
作業スピードは全快状態の1/2くらいであろう。
ベッドに横になった状態で上腕を動かすと骨がグキグキと鳴る。
折れた骨がぶつかりあっているのだろうか。
自分にだけ聞こえる音である。
投稿者 TKM : 22:11 | コメント (6) | トラックバック
2003年10月18日
覚悟のススメ
肩はバリバリに痛いが思考は復帰した。
RSSリーダーで記事を追っていたら画家として活動している3歳の男の子についてのNewsを見つけた。子供は目がキラキラしている。なんでだろう?
病院にも子ども達がいた。
1~3歳くらいの子ども達が3人いた。
親の視線はとてもやさしく暖かだった。
子ども達の眼はキラキラと輝いていた。
急な病気だったのだろうか。
治療が終わって帰る時、
「だっこする?」
と母親がきくと彼女は微笑んでうなずいた。
地下に降りていって鎖骨バンドの料金を払おうとするがうまく手が動かない。
別な病院から預かってきたレントゲン写真がテーブルの上に落ちた。
「大丈夫ですか?それじゃ持ちずらいよね、ちょっと待って」
そういってレジのおばさんが袋をもってきて、テープでとめてくれた。
3時過ぎに家に帰ってきて、痛み止めを飲んで眠った。
横になると肩の骨がパキパキと音を立てる。
起きてから買い物にいこうとするが痛くて服がうまくきれない。
がんばって外にでた。
怪我したのは肩なのにうまく歩けない。
コンビニさえ遠く感じる。
オリジンが近くにあったのは幸いだ。
小さな橋なのに坂道がきつく感じた。
咳をしたらズキリと痛みが響いた。
部屋にもどって弁当を食べた。
右手はあがらないのでフォークを使って左手で食べる。
しばらくして思考が復帰した。
人生はゲームだ。
要素は組み合わされるのを待っている。
愛情や信頼はどこからくるか?
覚悟とそして、
自分への自信。
そこからはじまるんではないかと思う。
人がどうあれ毅然とした覚悟でいたい。
投稿者 TKM : 23:27 | コメント (3) | トラックバック
骨折
昨夜、壁にぶつかって右の肩を負傷した。
動くだけで激痛が走った。
救急車を呼べばよかったのだが朝に病院にいった。
レントゲンをとると鎖骨が折れていた。
骨折である。
鎖骨バンドで固定したので多少ましだがそれまでは少し動くとボキボキと骨が鳴っていた。
スポットに入った時の痛みは尋常ではない。
虫歯の治療のズキーンとしたあの痛さの10倍くらいが肩と胸でグキグキと神経を刺激するのだ。
今もかなり痛い。
実験でPCに向かってみたが長時間の作業はきつい。
投稿者 TKM : 16:15 | コメント (8) | トラックバック
2003年10月17日
食い倒れと魯肉飯

いつものように渋谷の打ち合わせの帰り道にひげちょうで魯肉飯(るうろうはん:写真) を食べる。
いつものように速攻で出てくる。週に一回いってるので店員さんとも馴染みになりつつある。
魯肉飯の魅力はその味付けにつきる。甘すぎず、しょっぱすぎず、ご飯にかけて食べると絶妙のバランスなのである。牛丼とは根本的に別な食べ物である。タイにいったとき、似たような料理で豚ではなく牛の煮込みをかけた丼ものがあった。あれも格別で暇さえあれば食べていた。タイに惚れたのはあの飯に惚れたのかもしれない。また、アラハマ師匠から紹介してもらったカオマンカイも最高であった。
あの店のカオマンカイもタレの味が絶妙なのである。甘さとしょっぱさが脳を誘惑する。
今夜は食い倒れ亭日記にもあるように食い倒れ亭にてボンバイエである。楽しみだ。
投稿者 TKM : 17:57 | コメント (0) | トラックバック
2003年10月16日
オリビエからのメール
オリビエからメールがきた。
ようやくパリでの住まいも決まり、レーシングカーにのっているような日々が始まったとのことである。
マリレンは今日から新学期。
オリビエも月末にはクラスが始まる。
文末には「会いたい」とあった。
オリビエとオレは何を理解しあっているんだろう。
何かはわからないのだがフィーリングが伝わるのだ。
どんな人かというぼんやりとした流れみたいなもの。
何をしたかとか、どんな話をしたか、ということじゃなくて。
流れとか方向みたいなもの。
投稿者 TKM : 01:42 | コメント (0) | トラックバック
ムカ力と子供のラン
ムカつくということについて考えてみる。
ムカつくのはたいてい自分が否定される時だ。
軽視されたりバカにされたり、自分を大事に扱ってくれない時にムカつくのだと思う。
自己の防衛と関連している。
本能的に自己を防衛したいという本能があり、それが「ムカつく」をつくり出す。
ムカついている、ということが対象に伝われば「ムカ力」(ムカつきエネルギー)に流れができる。
しかし、大抵は伝わらない。
だから、生じたエネルギーが行き場を失って、貯まっていく。
内部に貯まる場合もあるし、伝播していく場合もある。
エネルギーは基本的に動的だ。
留まらない。
何らかの形で転換していく変換していく、ということをやらないと不順をつくりだす。
子供が優れているのはここで記憶を切り替えることができることだ。
子供はいつも身体を動かしている。
いつも走ったり、転がったりしてエネルギーを転換している。
エネルギーが貯まると記憶の切り替えが難しくなっていくのではないだろうか。
人のいざこざはこうした「ムカ力」やいろんな想いみたいな想念が転換されない、伝わらない、から生じているように思う。伝わるにしても「ムカ力」に関しては伝え方が間違っているケースがほとんどである。
「ムカついた」ことを「ムカついた」といっても何も伝わらない。
「面白い」という言葉では「面白さ」は何も伝わらない。
それと同じだ。
やらなければならないのは「ムカ力」の転換である。
転換できれば伝え方も変わってくる。
一つの方法は脱構築プロセスである。
心情を脱構築してみる。
このプロセスによってエネルギーは転換される。
が、独りで脱構築を試みるのは難しい。
だから、みんな新橋の飲み屋で話をするのである。
話ながらエネルギーを転換し、脱構築をしていく。
話力と聞力があれば
人に起因する問題の多くは解決できる。
投稿者 TKM : 01:13 | コメント (2) | トラックバック
電話と言葉
電話について考える。
電話は声を運ぶ。
声は言葉を運ぶ。
だれかとの電話について本気で話すのはカッコ悪い、という先入観がある。
電話くらいどうでもいいだろう、という客観的な自分と受話器と電線とがつくりだすつながりへの希望に翻弄される自分。
コミュニケーションのチャンネルがフルに稼働したら人の生活は一変するだろうなと思う。
嫌な思いも気持ちよさも妬みも悦びも憎しみも悲しみもコミュニケーションから生じる。
根本には人は「独り」であるという問題がある。
独りであるが故にコミュニケートしたいと願う。
コミュニケートしたいという欲求は理解されたい、したい、分かり合いたい、という本能的な欲求だと思う。こうして言語化してしまうとパワーを感じないが人の根本には理解されたい、つまり、独りから逃れたい、という欲求がある。
映画「Akira」で好きなシーンがある。
とても地味なシーンだ。
老人化した施設の子ども達が言う
「理解しあえる仲間にであえたもの」
うろ覚えだがこのセリフをきくと脳の奥が焦臭くなる。懐かしさと似た変な感覚である。
理解しあえるというのは信頼ということでもあるだろう。
しかし、人を信頼するのは難しい。
何故難しいのか。
信頼はする方がリスクを負う可能性が高い。
失敗すれば裏切られ傷つき、心のボールはベコベコに凹んでいく。
この凹みが怒り、憤り、悲しみ、憎しみになり、パワー(マイナスの場合もある)へと変移していく。怒っている人は楽しんでいる人とよりも迫力も馬力もある。が、たいていそのパワーは人を心地よくはしないし、本人も疲弊していく。
踏み込みと拒絶、距離と断絶、それらは恐怖だ。
電車で隣り合った人にいきなり話しかけることができないのは拒絶の恐怖があるからだ。
踏み込んで、それで絶対に拒絶がない人っているのだろうか。
子供にはそういうところがあると思う。
子供は拒絶しない。
チャンネルが開いている。
何故だ?
何で子供だとそれができて歳を重ねると難しくなるのだろう。
何をするにも真っ直ぐにいけなくなるのは何故なんだろう。
どっかに理由もあるし、歪みがある。
真っ直ぐにいけなくなる理由は防衛本能だろう。
だが何を守ろうとしているのだろうか?
こうしたい、こうありたい、という自分があって、でも、それが破られる。
自分が軽視されバカにされると心のボールはボコボコに凹んでいく。
守りたいのは心のボールだ。
心のボールを傷つけボコボコにするのは現象そのものや言語、関係性、コミュニケーションではない。
記憶である。
理解と信頼は心のボールを再生させる。
理解と信頼につつまれている人は魅力的だ。
子供がパワーをもっているのは親からの揺るぎない理解と信頼があるからではなかろうか。
それはGeneレベルでの仕組みにも見える。
理解と信頼にはいくつかのパターンがある。
理解や信頼のレベルをビュンとドライブさせるには特殊な出来事、体験、記憶が必要なんだと思う。
おそらくそれは忘我と関連している。
開き方が深まればそれだけ理解と信頼も深まる。
では自分を開いていくにはどうしたらいいんだろうか。
感じるままを口にできないのは何故なのだろう?
関係性や関連というよりも言語そのものに仕掛けがあるような気がしてならない。
言葉の本性がちらつく。
+++++++
本が読めるのは先行的理解が働いているからだ。
理解と信頼も似ている。
先行的理解があるから理解し、信頼できる。
全部を理解し、信頼できる、というわけではない。
理解も信頼もコヒーレントなものだと思う。
逆にいえばだから理解がありうるということか。
内部にある自己は同時に他者の中にも先行的に存在する。
対象としての認識が生じた瞬間に立ち現れる複数の自分である。
自分は自分という存在であるけれどそれは関係性の中での自分だ。
絶対的な自分は存在しない。
投稿者 TKM : 00:38 | コメント (1) | トラックバック
2003年10月15日
ゴッホのひまわりとマッサージチェアー
ゴッホの「ひまわり」をみる。
本物である。
外は雨が降っている。
42階でルーラン夫人と三幅対で飾られたひまわりをみていた。
今朝の渋谷は人影もまばらで音がなかった。
駐車場の管理のアルバイトの青年が壁を相手にサッカーボールを蹴っていた。
昨夜。
ハーブティーを飲みながら意志決定についてメモを書いた。
人について考えた。
いまも考える。
人の数だけ世界は存在し、何事かがそれぞれの因果をおうようにうごめいている。
それらを見ていた。
午後はいつものようにルーロー飯を食べた。
ダブルがけにしなかったので少し物足りなかった。
スーツを着た25歳くらいの男性がお土産のルーロー飯を取りに来た。割引チケットはもらえないのですか、とゴネていたがもらえないとわかって帰っていった。店の壁には金城武と志村けんが笑顔でルーロー飯を食べているポスターが貼られている。
実は何も考えていないのだが考えているような気分になった。
ウェンディーズで三段重ねのバーガーを食べようと思ったのだが止めてうどんを食べた。
雨が降っていたからだろう。
100円のうどんは温かく普段よりずっと美味しく感じられた。
隣の席に座っていたサラリーマンのオジサンはズルズルと音を立てぶっかけうどんをすすっていた。食べ終わってからしばらく彼はお茶をのみ息を整えたのち、おもむろに立ち上がり去っていった。油の汗が彼の全身に膜を貼っているのを感じた。
外に出ると雨が強くなっていた。
傘はもっていなかったのでビルの間をはねまわるようにして走った。
損保ジャパンのビルをでたあたりで水たまりにはまって靴下が濡れた。
靴を脱いで確かめてみたらつま先はぬれていなかった。
ビックカメラの40万円のマッサージチェアーで腰強化コースをじっくりと体感した。
親に買ってあげたいと思った。
投稿者 TKM : 06:36 | コメント (0) | トラックバック
2003年10月14日
食い倒れボンバイエ
ミスターくいだおれ宅にてカルボナーラを腹一杯ごちそうになる。食い倒れ亭は独りで住んでいるとは思えないだだっ広い部屋で台所は山岡士郎状態にさまざまな調理器具が溢れていた。さらに日本酒通だけあって幻の名酒がたくさんころがっている。
食い倒れ曰く。
「オレの部屋は散らかってる」
しかし、散らかっている部屋の方が妙に居心地がよかったりするものだ。
はたして食い倒れハウスもそうであった。
ぐびぐびと日本酒を飲み干していたら最後に食い倒れが「高菜ご飯が食いたい」とおもむろに釜飯用の小さな釜でご飯を炊き出した。即席高菜ご飯に納豆をたっぷりとかけて韓国の海苔と一緒にガツガツと食べた。そうだ、食い倒れ亭の冷蔵庫は5人家族がつかうような巨大な冷蔵庫だった。
なんて具合に食い倒れハウスにどっぷりとつかった夕べであった。
そして名酒の効力か今朝は全く「残る」ことなく清々しく目覚めた。
食い倒れボンバイエな夜であった。
投稿者 TKM : 09:05 | コメント (3) | トラックバック
2003年10月13日
雨は嫌いじゃない
まだ昼の2時なのに外は真っ暗だ。
小学生の頃もこういう日が年に何回かあった。
ある日の午後、給食を食べ終えると外が真っ暗になった。
「なんだよー、夜だよー」
と騒いでいたら突然ガラガラガラードーンという爆音とともに校庭に雷が落ちた。昼間の話だぜ。クラスのみんなで色めき立った。
「なんだいまのオイみたかー」
もう授業にならないわけだ。ところがオレらがまたバカでもう嵐みたいになってる中を傘さして帰るわけ。それでヒロトあたりが傘をわざわざ風を受けるようにして
「おおすげー空に飛ぶぞー」
なんてやってたら傘がひっくりかえって逆になる。するとまた
「キノコだー」
と珍道中をやりながら家まで帰る頃にはビショビショ。水たまりなんかがあるとまた喜んで入っていって、どこまで浸水しないで耐えられるかを競ったりする。すぐに浸水して結局は川とか側溝にはいってグチャグチャになって帰る。
ところがこれがやたらと楽しいのである。
と、外に目をやると集中豪雨なみの滝の雨である。
雨の日が嫌いだという人は多いが、僕はそんなに嫌いではない。
家にいてじっとしている分には気分が落ち着いてゆったりできる。
水が空気の伝播を遮ってくれる、そんな感じだ。
投稿者 TKM : 14:13 | コメント (2) | トラックバック
やまけん号ドイツ行
やまけんとドイツにいく夢をみる。
帰りのバスで寝入る。
スパイ事件に巻き込まれ、用水路のような場所でピエールが撃たれる。
それを夢の中でみていた。
バスは実家につく。
荷物をバスから下ろす。
二人分の荷物は100Kg。
人力で運ぶのは無理そうだったので母を呼ぶかタクシーを呼ばなければいけない。
ラーメン屋を探してくるというので少し待った。
確か、このあたりには豚骨ラーメンの店があったはずだ。
江藤先生の声がして、そういえばさ、と話はじめた。
巨大なスーツケースにお皿を詰めていく。
「最初にバイトがくるとさきまってなくなるお皿があるんだって。誰がやってるんだろうね、って話してたらさ誰もやってなくて、じゃあ、ナニがやってるんだろう、って。」
少し話したら寒気がしたので止めた。
投稿者 TKM : 13:07 | コメント (1) | トラックバック
美人論と昭和名せりふ伝
ようやく
を銀座のブックファーストで発見。この間、モニターでもらった図書券を使って購入。読み始める。のっけからいきなりノックアウト気味にぐいぐいと引き込まれる。まだ数ページしか読んでいない段階で脳のモードが切り替わる。
「何が彼女をさうさせたか」という流行語から「鬼熊」事件を経て、中央集権国家体制へと移行する国家の歪みを浮き彫りにしていく。この論法、どこかでみたことがある。そうだ井上章の「美人論」に似ているのだ。美人論は偶然本屋で見つけた。
学生時代、江藤先生の授業でこんな課題がでた。
創作過程論という授業だったと思う。
学期末に課題がでた。それは漱石と新聞小説についてだった。
「教務の方に当時の新聞のコピーが人数分あるので任意の一枚を持っていき、新聞小説について3000字のレポートを書いてくるように」。
僕が手に取ったのは明治の頃の朝日新聞。「虞美人草」の連載ページだった。
何故その紙面を選んだのかは覚えていない。福助の絵があったからだったと思う。
文字も読みづらく。レポートにはなかなか手をつけずにいた。
た。虞美人草は朝日新聞のコンテンツ戦略の切り札として雇われた漱石が最初に書いた新聞小説、当時でははじめての連載小説である。
「紅(くれない)を 弥生(やよい)に包む昼 酣(たけなわ)なるに、春を 抽(ぬき)んずる 紫(むらさき)の濃き一点を、 天地(あめつち)の眠れるなかに、 鮮(あざ)やかに 滴(した)たらしたるがごとき女である。 」
フジオという女性についての説明である。この一文で正直、しびれた。それまで漱石の本は読む機会はほとんど無かった。「こころ」も「坊っちゃん」も持ってはいたが途中までしか読んだことはなかった。初めて最後まで読んだのが「虞美人草」だった。
ストーリーはあまり頭に残っていないのだが上記の一文だけはハッキリと覚えている。この文が好きで何度かそのページだけ読み返した。
話を「美人論」に戻そう。虞美人草は簡単にいってしまうと美人が不幸になる話である。虞美人草の美人は心がギスギスした美人である。利己的で自己中心的な女である。
僕がたまたま手に取った新聞の紙面にはこんな記事があった「美人コンテスト開催」。
この言葉がどこかに残っていたのだろう。たまたま僕は本屋で「美人論」を手に取った。それによると、
当時はまだ修身という授業があってその教科書には、美人というものは悪しきものである、不美人は心が美しく幸せになる。美人は幸せにはなれない、幸せは美人ではなく心がきれいな女性に訪れる、と書かれていた。
ところが現実はそうではない。
前述の「美人コンテスト」。このコンテストに見事優勝したのは福岡県小倉市長の令嬢で,16歳の末弘ヒロ子さん。義兄が勝手に写真を応募してしまい彼女は日本一の美人に選ばれる。しかし、彼女はこの入賞を理由に学習院を退学させられる。
ところが、話はここで終わらない。学習院院長の乃木大将は退学させた末広さんの縁談をまとめ仲人まで務めている。(たしかニュースになるくらいのシンデレラストーリー的な結婚だった)
教科書では「美人というものは悪しきものである幸せにはなれない。幸せは美人ではなく不美人に訪れる」という一方で現実には美人が幸せも手にしていく。
話が違うではないか?
美人は不幸になるはずではなかったのか?
そうなのだ。
美人は不幸にならなければならないのである。
現実がどうあれ教科書が正しいのだとすれば美人は絶対に不幸にならなければならないのである。
漱石は朝日新聞の切り札として雇われた。絶対に失敗は許されない。人々の意識には釈然としないモヤモヤがある。これを解消する為の一級の娯楽として漱石は「虞美人草」でフジオを殺してみせる。そして熱狂的に人々に歓迎されるのである。
昭和名せりふ伝の最初の数ページを読んでいると時代がかぶっているせいもあるのだろうけれど虞美人草とその背後にある世間との関係を思い出さずにはいられなかった。
作品と時代の関係。体制が変わる時に生じる歪み。
そういうものは見過ごしてしまいそうな日々の出来事の中に埋もれているんだ。でも、それにはなかなか気づけない。流行っているものは無意味に流行っているわけじゃない。それらには必ず理由があって、表面的なものじゃなくもっと人間の深部に関わっている。
ティッピングポイントという考え方も突き詰めていけば人間の問題にいきつく。人はどこにいくのだろうか。いつも最後は同じ問になる。人はどこにいくのだろう。
と書いていたらいつの間にか朝である。
これから「昭和名せりふ伝」の続きを読む。
何せまだ最初の数ページしか読んでいないのだ。
追伸:とうとう
を読了。猪木像が別物になる。と同時に裏社会と興行の癒着、ある層を越えた所にある横同士の緊密感みたいなものに「またか」という感覚を覚える。どこにいっても、どの分野でも同じことが起こる。
投稿者 TKM : 05:00 | コメント (1) | トラックバック
2003年10月11日
HCD終了

今日、10/11は「ホームカミングデイ」。無事、終了。感想は後日。そしてTVをつけると「極道の妻」。
投稿者 TKM : 03:27 | コメント (6) | トラックバック
朧月とヨシアキのソフトクリーム
今日も終電近くの帰り道。
しかし、気分は良い。
先月や先週や最近のどの日々よりも気分はよい。
何かやっているというのは気分がいい。
そして何よりオフィスの空気がキャンパスみたいで気分がいい。
帰り電車に乗ったら、隣の席のサラリーマン二人の会話が聞こえてきた。
大学の話をしているみたいだった。
「英語と数学で、あと小論文…」
という言葉にハッとする。こいつも湘南の卒業生か?
しかし、その上司のおっさんはいい感じに呂律が回らない。一生懸命、中国での逸話を話している。
「ねえ、もしかして湘南の卒業生?」
とここまで出かかったのにきけない自分であった。彼らは門仲で降りていった。
しばらく何故言葉がでなかったのか考えた。
一つにはオレのパワーが落ちている。
もう一つはどうしても話したいと思ったわけではなかった。
しかし、ここにはデカイ問題が潜んでいると思った。
僕たちは気軽に知らない人には話しかけられない。
何故だ?
馴染みのバーだったらできる。
場とお酒は人を開いていく。
主に場の力が大きい。
何かを共有していることで人と人は近づく。
それがなければ距離的にどんなに近くにいても、例えば隣同士にいても、心理的には冷戦時代のロシアとアメリカだ。
子供達はそんなのはおかまいなしだ。
思考と行動が一致している。
年齢が小さいほどそれが顕著に思える。
海外にいった時も人を縛り付けているこの枠が緩む。
何故だ?
海外にいくと独りでは生きられないので人との関係に対する感覚が開くのだ、とどこかで読んだ。確かにそれもあるかもしれない。しかし、それだけが理由ではない。
「場」のチカラが働いているように思う。
それは「ほどける」感覚である。
ここではない他の場所。
そこでは自分をしばりつけているもろもろの意味からほどかれる。
そこでは自分は誰でもない。
この自分である。
あの自分でも、
その自分でもない。
明日から残りの生涯を無人島で暮らさなければならないとしたら。
それでも何かはやるし考えるし、感動することもあるかもしれない。
感動といえば夜にetoオフィスに向かうときトリトンの向こうに見える高僧ビルの上に朧に月が輝いていた。綺麗だった。橋の上で「朧月(おぼろ月)だよ」と声を出してしまった。「朧月」は小中学生の頃の同級生のタカノヨシアキの家でつくっていたお菓子の名前なのだ。小学生の頃は「なんだよ、萩の月のパクリじゃねーのかよ」とかいって笑っていた。ヨシアキはいいヤツで、とうか田舎にはイイヤツが本当に多かったのだが、よく店のソフトクリームをごちそうしてくれた。夏になるとヨシアキの家かホシ君の家に寄って帰ったものだ。
ホシ君の家はパン屋だった。
で、彼の家には当時珍しかった「シェーク」のマシンがあって一緒にかえるとホシ君のお母さんが「こんにちはー。シェイク飲んで帰りなさいね。」とマックシェイクのSくらいのサイズのカップをくれるのだった。ホシ君もいいヤツで、よく卓球をやったりした。
彼はスゴク色白で日焼けしても一日か二日で戻ってしまうので僕たちは白人とか呼んでいた。彼と宮本君(漁師の息子で砂浜から10メートルくらいのところにデカイ家があった)あと誰か、確かサカイかな、とで北畑先生(3年生の時の担任の先生)の家にキャンプしにいった。田舎ではよくあることだがどの家も庭でキャンプができるのは当然なくらいに家がでかい。決して豪華というわけではないのだがとにかく広いのだ。池がある家なんてのもざらでサカイと道に面した人んち池で鯉を釣っていたら怒られた。
鯉なんてどこでもつれたな、そういえば。
親友のトシマサは天才釣り師と呼ばれており、オレとトシマサはほぼ毎日、いってはいけないと言われているにもかかわらず海や川や池につりにいった。そして決まって全校集会で怒られる。
怒られるといえばこれは怒られなかったが鯉の養殖をやっている池で釣りをしていたらでかすぎる鯉がかかってあっさり逃がした。あたりまえだが養殖している鯉は釣ってはいけない。一匹いくら、という売り物である。そうそう、鯉は群れないと思っていたのだが実は池の中をものすごい大きな群れで回遊していることをその時しった。
釣りに関してはほぼ無限とも言えるくらいにエピソードがある。
ヤバイのは解禁前の鮎を釣りまくったことだろうか。
アサマ(コイツもオレとよく釣りにいった、そして釣りが上手)と砂防ダム(川を調整するのに設けられた小さなダムみたいなセキ)の下の淵にいってテンカラ(毛針)で狙ったら案の定、入れ食いも入れ食い、バカみたいに釣れた。ちなみに見つかった場合、オレらは小学生だから怒られればそれで終わりだが大人がやっていた場合、半殺しとはいかないまでもかなりヤバイ状態になる可能性がある。警察沙汰というよりは地域社会では生きていけないほどのダメージを負うかもしれない。つまり、外道扱いになるわけだ。ということを悪ガキであるオレらは毎年やっていた。これがまた楽しいのであった。
小学生の頃の友人達はみんな元気だろうか。
投稿者 TKM : 02:58 | コメント (0) | トラックバック
2003年10月10日
Earthizm
そういえば今日から名古屋でEarthizmというイベントである。
坂本さんのiChatAVのセッティングでヤサカさんも現場入りしているはずだ。
いつも思うがイベントの現場はいい。
何がいいってどんなハプニングがあっても時間がくればイベントは必ず終了がある。
緊張感もあるけれどそれは永遠ではない。
終わったときの気持ちよさは緊張感との対比によって生まれている。
が、明日は大学のイベントの幹事で久しぶりにキャンパスにいかなければならない。
投稿者 TKM : 14:02 | コメント (0) | トラックバック
ダーク・ブルーの青年は海面に激突する前に何を思ったのだろう
![]()
フィンランドにいる直子さんからスナフキンのポストカードが届く。
直子さんは週末からはドイツにいくそうだ。
ムーミンの中でもやはりスナフキンは別格だ。
高等遊民であり吟遊詩人。
優しさは強さ。
静かなのは穏やかだから。
彼の豊かさがそうさせる。

ダーク・ブルーDARK BLUE WORLDで友人のパイロットを助けるために飛行機で海に激突し沈んで死んでしまう青年。彼が海に落ちる直前にちょっと唇を噛みながら(記憶ではそんなイメージがある)救助に戻る。あの時一瞬に凝縮されたひたむきささ。そして心が開く感覚。自分はあの感覚が好きだ。
++++++
世界中の銀行のコンピュータが一斉にダウンしたらどのくらいのMoneyが消えるのだろう。
Money。情報とモノの中間物。
投稿者 TKM : 07:09 | コメント (4) | トラックバック
text
いま哲学といったらみんな浅田彰かと思うくらいに言葉が全く心に響いてこない。記号がサラサラ流れている。
一方で「調和」とか「楽しいことを考える」、肯定的に考えることで人生は広がる、世界は楽しさに満ちている、という流れにもっていこう、という勢力もある。勢力と呼ぶべきではないのでしょうけれど僕にはそうみえる。
投稿者 TKM : 01:55 | コメント (0) | トラックバック
モニターこそ天職か?はたまたアソシエイトか?
etoオフィスから戻ると部屋の留守電の光がピカピカと点滅していた。
暗闇にグリーンの光が点滅していると急いできかなければならないような気持ちになる。
留守電を残すなんてのは誰だ?
余程切迫した何かか?
という疑問に包まれながら再生ボタンを押す。
「録音時間は5秒です」
やけに短い。なんだろな。
少し背景の音があって、おそらくそう言っているのだと思うが
「クロダです」
と女性の声。全く不明。誰かも不明だし、目的も不明である。間違い電話の可能性は99%。そういえば昼間にPHSにも
「望月さんでいらっしゃいますか?」
と元気な男性の声。感じとしては会社員かなあ。相手の番号も出ていたので完全に間違い電話だと思われる。一日に二件の間違い電話。これの意味するところは何なのだろう。
++++++
全然関係ないがetoオフィスでアマゾンのアソシエイトの話になった。なんと年間数十万円を稼ぎ出す猛者もいるらしく、だったら「本カフェ」もかなり儲かっているのだろうか、と四方山話。それなら男性向けの萌えアソシエイトとかアダルトとかで本カフェやったらいいんじゃねか、という話になる。調べてみると知らなかったというかアマゾンはすごかった。平気でアダルト商品も山ほど扱っていた。
恐るべきアマゾン。
そして恐るべきアソシエイト。
広告よりもアソシエイト。
この手法がこんなに広がるとは全く思ってもみなかった。ちなみに僕のサイトからも少しは売れているみたいだった。テキスト作成が一段落したら個人アソシエイトサイトに変身すべくパワフルに活動開始しようかな。実は評価とか商品を選ぶのは自分の得意分野なのだ。
よく街角で「アンケートお願いします」とかモニター調査をやっている。CMをみて印象や感想を答えていくあれである。みんな避けるけれど結構好きでよく回答する。そうだ図書券も貰えるのだ。
毎回、答える度に思うのだがあの仕事、つまり見て答える、見て考察、という仕事だったら一日中やっていても飽きない。ああいうのが好きなのである。仕事としてそういうのは成立しないのだろうか?本でもゲームでもDVDでもCMでもTV番組でも居酒屋でもラーメンでもなんでもいいプロのモニターとしていくらでもなんでもほぼ無限に答えることができるし、考察していたい。
そんな仕事ってあるのだろうか?
あったら天職だ。
投稿者 TKM : 01:43 | コメント (1) | トラックバック
2003年10月09日
麺堅めと焼酎ロックの類似点
ふと思ったけれど「ラーメン麺堅め」と「焼酎ロックで」というのは似ている。
焼酎だと飲み始めの時の濃い時と氷が溶けて丁度いい感じになった時を楽しめる。
麺の場合もまだスープを吸い込む前の固めの麺の感触とスープと良く馴染み味を吸い込んだ後の二つを楽しめる。
ところで愼之介雑記帳にコメントした寺島進ネタだがやはり寺島進と楢崎は似ているとのコメントがあった。やはりなあ、ということで感慨深く感じた。そして同時に何故か嬉しいのであった。
さっき渋谷のブックファーストで「アントニオ猪木の謎」をほぼ全部、全体の4/5くらいまで読んでしまった。実に面白い。猪木像が全く違うものになっていく。オススメである。(椅子のある書店は僕にとって天国だ。ああやって本を読んで、紹介するだけでいい仕事があったらどんなに安い賃金でも喜んで従事する。本屋のライブ感覚はリアルインターネットを感じさせてくれる)
渋谷は人が多くて面倒がっていたけれど慣れてしまえば最高に面白いマチだなあ、と実感した。帰り道に天下一品で食べたら運気がもどってきた。レジでくじを引いたら大当たり。「あたりです!」と天下一品の器をもらった。
交差点で空をみあげるとマークシティと駅の間の漆黒に綺麗な月が輝いていた。
投稿者 TKM : 02:19 | コメント (3) | トラックバック
2003年10月08日
トリトンとサイコと夢と川とエレベータアクション
8時30分。
今日も朝に起きる。
目覚ましがガンガンになっていた。
夢までバッチリと覚えていた。
ドラえもんの道具。
はじめて目にするものだった。
道具というよりも生物だった。
羊を円形にしてマンガのデフォルメを加えた。
ピョコタンみたいな名前の生物に空気入れのような道具でイメージを送り続けると身体が膨らんでフィールドのようになる。そのフィールドの中が温泉になっていてそこは世界中とつながっているのである。
その少し前。
中学時代の友人。
ケイゾウがエンドウに椅子でボコボコにされていた。エンドウが何やら意味深なことを言っていたのを覚えている。教室の床に転がりながら10メートル先のエンドウをみつめた。
そのもうちょっと前。
飲み屋にいた。飲み屋というよりもクラブのような場所であった。
女性と何かを話していた。川沿いの話をしていた。だからだろうか店を出て川に向かった。
そのまたちょっと前。
エレベータを下りると3.5階についてしまい、あわてて飛び乗るとエレベータの上に乗ってしまい。相当に狼狽えた。ファミコンのゲームでエレベータアクションというナイスなのがあるのだがその気分だった。スパイになってエレベータをつかって上へ下へとやっているあれである。関係ないがあのオープニングで「ヒュー」という音とともに綱をビルに張って忍者ばりに「トゥクトゥク」とよじ登っていくシーンの醸し出す「抜け感」は抜群だ。初期のファミコンゲームは全てが「エッ?!」の連続だ。スペランカー、そして、アドベンチャーの「なんでこれで死ぬわけ??????」という「超ヤラレタ感」は子供心にも印象的だった。「オイ、コンピュータ、なめんなよお前!」とかなりの部分でコンピュータに対して全く対等に接していたのだった。
そんな夢から目覚めると今朝も朝が来ているのだ。
ヴェランダで水を飲みながら川を見つめた。
毎回水面を見つめていると吸い込まれそうになる。
高いところにいくとやはりフワっと吸い込まれる。
そんな気持ちを抑え込み太陽を見つめた。
雲がガードしているのでまぶしさはなかった。
トリトンの方に目をやるとビルに向かうエスカレータに人がぎっしりと詰まっていた。
その映像を見ていたら。
エヴァンゲリオンでシンジの心象風景のシーンで流れるの音楽が聞こえた。
さあ今日も一日がんばろう。
と言いそうになってやめた。
何でも考えるとうまくいかないのだ。
横尾さんがいってたように「あのねー、考えるってことを止めるといいと思うんだよね。だから考えない。ベストの行動って宇宙の摂理みたいなものだよね。」な感覚である。
あるがままに泳ぐのが性に合ってる。いまはアジアに住んでいる大学時代の友人に言わせればオレは「泳ぐ」というよりは「走る」イメージだそうだけれど。
朝ご飯に大根おろしを食べよう。
投稿者 TKM : 09:16 | コメント (6) | トラックバック
エジソンの秘密
夕方、部屋の電灯をつけると天井についている電灯(電球が二つついている)の電球が一つパッと消えた。
意味はないのだが手に持ったスイッチにつながる紐を二、三度引っ張って本当に切れたのか確認した。
紐を引くときの重さは同じなのにとてもスカスカな感じがした。
コンビニにいって電球を買ってきて交換した。
古い電球を台から外すとカラカラと切れたフェラメントの音がした。
これをエジソンが発明したのか。
昔、竹をつかってたんだよな、と感慨深げにみつめるのであった。
学生時代に文藝春秋で読んだエジソンの逸話を思い出した。
皆さんは知っているだろうか?
「99%の努力と1%の閃き」
エジソンといえば電球の話とこの言葉のイメージが強い。
小学生の頃に刷り込まれたように思う。
「だから努力しなければならないんですよ」
と教師や教科書。
ところがである。文藝春秋のその記事によればエジソンのこの言葉の後ろには奇妙な記述がある。うろ覚えだが大体このような話であった。
「99%の努力は1%の閃きがなければうまれない。1%の閃きが全てなのだ。私は1%の閃きを得ることに最大の労力を払う。そして、その1%の閃きをもたらすのは私の力や努力ではない。私の頭の中にいるリトルマンインブレインが私にその閃きを与えてくれるのです。」
と1%の閃きと彼がリトルマンインブレインと呼ぶ力について説明するのであった。
このレポートはとても面白かったのを覚えている。
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話は飛ぶが
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カルト資本主義?オカルトが支配する日本の企業社会
もかなりオススメの一冊である。読み物として実に面白い。



