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2003年10月26日

KILL BILL に想うコンテンツの世界と人のモード

killbill.jpg

夜中過ぎ。「KILL BILL」を観る。
ヤラレタ、そう来たか。
たどたどしい日本語、日本刀、日本。
舞台は日本であった。
しかも、これは前編で。
春に後編が公開される。

完結するものだと思って観ていたので「エッ?!終わり?!」感が強かった。
しかし、マンガのようなヴァイオレンスである。
ほとんど「覚悟のススメ」だ。
永井豪と石川賢の世界である。
ノリは劇画だ。

プロダクションIGがどこで絡んでいるのかいまかいまかと待っていたら唐突にそのシーンがはじまった。
そうか、劇中アニメってこれか。

ベッドの下に隠れた少女が思わず「waa...」と声を出すシーンがある。
しかし、彼女は声を出してはいけない。
声が聞こえれば殺られる。

声は文字となって空中に舞う。
あわてて少女は文字を口の中に押し込む。

デフェミリアライゼーション。
僕が好きなのはこういう表現なのだ。

禅問答も似ている。
山、山にして山にあらず、というあれである。

同じ殺陣でも座頭市とは全く異なる。
向こうは時代劇。
こちらは活劇である。

ウマ・サーマンの衣装からしてわかるようにブルースが生きている。
そして「仁義なき戦い」オンパレードで舞台が進む。

笑ってしまうくらいに全てが遊びである。
ヴァイオレンス、ヴァイオレンス、血みどろ、血しぶき、狂気、乱舞。
しかし、それでも異化を存分につかってくる。

俳優が日本語を話す時点でやられた。
実物の俳優を使っているけれどやっていることはアニメだ。

「KILL BILL」。
たっぷりと映画であった。
あれはTVでは不可能だ。

何故、日本でこれが撮れないのだ?
この問はすごく重要な問題を含んでいる、と思った。

「あずみ」もなかなかパワフルだったけれど「KILL BILL」とはモードが全く異なる。
あのウマ・サーマンの舌っ足らずの日本語は日本人の俳優では不可能だ。

評論家は日本映画とか○○映画というくくりに意味を持たせたがるがそういう定位や定義で何かを確保しようとするその姿勢はどこか時代において行かれているように見える。

「踊る大捜査線」や「TRICK」のようなTV的な面白さも悪くないなと思う時もあるし、くだらなすぎて辟易するときもある。そうだ、思い出した。「踊る大捜査線」や「トリック」のようなTV的な映画はよくできたプレゼンテーションみたいでこちらが感じる前に感じ方までガイドしていってしまう。だから映画を期待してみにいくとベタツキすぎて気持ち悪く感じるのだ。

TVは万人に「わからせる」のが第一だからそうならざる得ないのだろう。
面白さには方向があるのだと思う。
TVは得てして逆表現になっている。
本来、表現とは「削ること」なのだがTVだとほとんどが「プレゼン」になっている。

「プレゼン」を否定するTVのチャンネルがあったら最高だ。
おそらくネット家電としてTVモニターがネットワークにつながれる頃にはチャンネルは解放され、「プレゼン」を否定する形の番組が流れ出すだろう。

映画館で見ると面白いのにTVモニターで見るとつらい映画ってたくさんあるけど、あれは映画館という「場」の拘束によって見る時のモードが変わっているからだ。

TV見るとき人はプレゼンをきくモードで対するけれど、ネットワークに接続されたTVがコンテンツ用のデバイスとして機能しはじめると「みる」モードが変わるから偶発性や異化を内包するアートよりのナビゲーションがありうると思う。

「昭和名せりふ伝」今日こそは読み終わりたい。

投稿者 TKM : 2003年10月26日 04:35

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コメント

僕も昨晩観た「KILL BILL」にはヤラレタ!。
単に好きなものを詰め込みました、というだけではなく構成力や画のおもしろさは、タランティーノの力量なんやろな。

TVは万人に「わからせる」という面もあるけど、同時に「スポンサーへわからせる」方に意識を向けているから、かがやんの言う「プレゼン」になっているんだと思います。
TVドラマの映画版なんて、TV局がスポンサー付けてカネを集めて暴力的な程にCM流して…だとテレビやね。
多くの日本映画は今や「制作協力:○○テレビ」と出てくるからねぇ。テレビ放映権無しでは映画作れないんだろうし。

プロデューサが金を集めて、劇場での観客からの興行収入で回収するビジネスモデルでない限りは、自由な表現はできないんだと思います。

その点、Vシネマはレンタルという直接の消費者から金を取るという点で制約が少ないので、かえって自由な表現ができるフィールドみたいやね。三池崇史とか黒沢清のVシネはかなりおもしろいよ。

投稿者 やましん。 : 2003年10月26日 15:03

うーん、ヤマシン、的確なコメントありがとう!
こうして整理してもらうとわかりやすい。
Vシネマは竹内力がいまだに高校生役をやっていたり、かなりかっとんでるよね。三池崇史のやりたい放題なあの感じは映画だよな、とも思う。

ま、ここ最近みた映画の中では「KILL BILL」はNo.1に映画であった。拘束がない状態でどうやってカタチにできるか、という部分が日本映画にはないのかもね。

デッド・オア・アライブをもっとドライブさせていったら「KILL BILL」越えると思うんだけどな。そういう意味ではアニメはスゴイと思う。「彼氏彼女の事情」で行われている転換と異化は凄まじい。

投稿者 かがやとものり : 2003年10月26日 15:12

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