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2003年11月25日

高田延彦

銀座のブックファーストで「泣き虫」(金子達仁・高田延彦)を読む。

高田の追想の形で何気なく書かれているが内容は衝撃的である。
ミスター高橋のあの本よりも遙かにリアリティがある。
猪木の付き人をしていた高田がIWGP決勝戦の後、渋谷のいきつけのバーで悶々と飲んでいたという独白。
例のアックスボンバーの夜のことである。
猪木はホーガンの放ったアックスボンバーで失神KO。
表向きはということになっている。
高橋もあれはいわゆる「アングル」であろう、と書いていたが実際に付き人をやっていた高田の口から語られるとリアリティが違う。

更に、猪木引退興行まで新日のドーム興行での最高動員記録をもっていた「武藤vs高田」の新日vsUインターの対抗戦は試合前に高田が足四の字で負けることが決まっていたと、高田はいう。Uインターを率いる高田の読みとしては初戦で負け、再戦で勝利、以後、五分五分にもっていって最終的にはUインターを盛り上げるというシナリオだったがこの条件についてのネゴシエーションは新日の方が一枚も二枚も上手だった。
実際には初戦の結果だけが人々の記憶に残り、以後、どんなに好勝負を繰り広げても初回の黒星によって「高田は武藤に負けた」という印象は薄れない。初戦敗北という結果はその後の高田、Uインターにとって決定的な一撃となった。
新日側のしたたかさである。

また、これも初めて知ったが高田の引退試合は実は「Dynamite!」が予定されていた。
相手は柔道王・吉田秀彦。
ところが不運にも二人の対戦は夢のカードとなってしまう。
理由は二つあった。
試合数週間前に吉田が肩を負傷。吉田サイドは打撃なしのルールを提示。打撃を封じられれば高田が圧倒的に不利。時期をズラして再戦という案もあった。しかし、その夏、高田はムカイとともに最後の希望をかけて不妊治療を目的とした渡米が決定していた。
そして吉田はホイスと対戦。
袖車による勝利で夏の夜を飾ることになる。

ヒクソン戦に関しても二戦目は高田vsヒクソンではなく前田vsヒクソン案が進んでいた。
一方、高田はヒクソンとの再戦を前にタイソンとの異種格闘技戦がほぼ決まっていた。
仮に高田が勝利していれば。
野獣タイソンと組み合う高田の姿が東京ドームにはあっただろう。

投稿者 TKM : 2003年11月25日 02:45

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