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2004年01月12日

「正しい」より「楽しい」を

人の問題について。

「正しい」。
それが正しい、あれが正しい。
自分が正しい、相手が正しい。
そうやって「正しい」を探していってしまうと物事は正しいと正しくないの二つに分けられてしまう。そうなると正しくないものは認められないから対立してしまう。

「あなたのその考えはおかしいよ」と言われたら反発したくなるのではないだろうか。
誰だって否定されるのは嫌なものだ。
「正しい」を探すからおかしなことになってしまう。
じゃあどうすればいいのか。
簡単だ。
「正しい」じゃなくて「楽しい」を探せばいい。

自分が正しい、相手が正しくない、そんなことは本来はどうでもいい。
どうやったら「楽しいか」。
ここがポイントだ。
最終的に「楽しい」につながらないならその正しさは偏った正しさでしかない。
自分が正しかろうと相手が正しかろうと、もし「楽しく」ないいまをつくってしまっているならやり方が間違っているのだ。正しいかどうかは重要な問題ではない。「楽しさ」へつながらない「正しさ」は間違った「正しさ」なのだ。

人の世界の諸問題は必ず解決法を持っている。
しかしそれらは正しいか正しくないかをシロクロつけるようなやり方では解決されることはない。
更なる対立を呼び込むだけである。
どうやったら「楽しい」につながるのか。
思考をそちらにシフトさせることができれば問題は解決への向かう。
それが世の道理である。

自分はAだ、自分はAだ、そう思いこんでいるとAなんじゃないか、Aだった、そう、Aだ。
と思考が固まってきてしまう。しかし、世界の本質は確定的ではない。
本来、確定的でないものを確定的にしようと足掻くから問題が生じる。
AでありBでいいのだ。その方が便利だからそうなっている。
と考えた方が楽しいはずだ。

どんな問題も解法がある。
解決できないのは「これはこうなのだ。こうならなければならないのだ」と「正しさ」を求めてしまうことに原因がある。
問題というのは何もマイナスの側面ばかりではない。
問題が起こるということはチャンスでもある。
行動や思考が「楽しい」からブレていくから問題が発生する。

問題を解決するには視点を広げるしかない。
それは世界を広げることだ。
問題とは世界を広げる為の遊びみたいなものだ。

「正しい」を求めても答えはでない。
「楽しい」を探さなきゃいけない。

投稿者 TKM : 2004年01月12日 10:58

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コメント

そうそう。正しいとは、一つの基準でみていることだからね。視点としては狭い。全てが正しく、全てがまちがい。いい加減という解釈もあるけれど、物事、AかBか、イエスかノーか絶対の答はないもの。

決めていいのは自分の人生に関してだけかな。

投稿者 志乃 : 2004年01月12日 11:33

観念的な話になるけれど、時間というものがあって。それらはずーと続いている連続したものなのだけれど同時に今の連続でしかない。

もし次の今が今いるいまと分離できたなら、いろんな問題は消えていく、と思う。過去に拘束されない今を感じることに収集したら世界は自由に溢れている。

時間とのつきあい方と思考の仕方というのは似ているような。ありがちな「今を生きろ」というものいいは少し言葉がたりなくて人によって持っている知覚できる時間の幅に違いがあり、ある人にとっての今は今を含む前後数週間かもしれないし、同じ重さを持つ時間の範囲が数時間の人もいるかもしれない。

時間が伊達巻きみたいなものだとして今というのはその幅が人によってまちまちで。つごうよく長さを調整できたら楽しいだろうな。

心理的にデカイ出来事や心配事はその時は一生それが続くのではないかと思うけれど、実際には段々と消えていく。薄れていく。この幅が「今」をはかる幅の一つの尺度なのではないかと。

投稿者 かがやとものり : 2004年01月12日 15:34

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