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2004年01月12日
3時間の魔法
新年になってからほぼ毎日走り込みをやっている。
そのおかげだろうか絶不調だった体調は日に日によくなってきている。
聖路加の前を抜けて隅田川沿いのテラスを走る。
走り始めて今日で一週間くらいになるが思うように足が動くようになってきた。
翌日に持ち越す筋肉の疲労も少ない。
数ヶ月ぶりに走ることを楽しめた。
人の心は段々と膨らんでいく力の液体ボールのようなもので放っておくとどんどん膨張していく。力は方向を常に探していて流れる方向をみつけたエネルギーはその方向に向かって強くなっていく。前向きだったり後ろ向きだったりというのは強さ・弱さではなく方向性の違いである。
心の力を使わずにいる状態が長く続くと何かちょっとした傷でもほころびでもあればそこに向かってエネルギーがガーっと集中していく。例えそれが内側に向かって入った亀裂でも。
限界深度まで潜行した潜水艦をイメージしてみるとわかりやすい。
ちょっとした傷で艦は圧壊してしまう。
心の場合も同じだ。
膨張したエネルギーをそのままに放置すると心にかかる圧力は段々と強まっていく。
わずかの出来事、何故?と首をかしげるような些細な出来事が萌芽となり圧壊への秒読みが始まる。
カミュが「シーシュポスの神話」の冒頭で「穴を穿っていった」と表現しているあの状態である。
良いことも悪いことも同じように存在する。
いや同じ物が良いことであり同時に悪いことにもなりうる。
現実がリアリティを持つのではない。
リアリティは内側にある。
心の力はマイナスでもプラスでもない。
流れをつけてやりさえすれば現実が変わってくる。
(正確には事象が変化するのではなく事象に付随するリアリティと意味が変化していく)
もしマイナスに傾きそうな自分を自覚したら何でもいい動くこと。
身体でも頭でもなんでもいいから3時間集中する。
本当になんでもいい。仕事でもカラオケでも音楽を聴くことでも、食べることでも、料理をつくること、なんだっていい。自分の限界まで集中すれば理想だ。創造的に過ごすことはできる。何をやったかよりも重要なのはどれだけ集中したかで。
歩くことでも走ることでもなんでもいいのだ。3時間、それだけに没頭すれば。
それだけで世界は変貌を遂げ驚くほどいきいきとして自分に迫ってくる。
投稿者 TKM : 2004年01月12日 15:21
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コメント
快復したようでなにより。走りこみ過ぎないように(笑
集中を何でしようと悩んだらアウト。
悩まず動く。集中する。漫画だっていいんでないかい?できれば体を使うことの方がすっきり感は高いと思うが。(経験談)
投稿者 志乃 : 2004年01月13日 17:47



















































































