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2004年01月13日

異化について

ウェイキングライフのDVDが発売になっていることに気づかなかった。昨年、どこかの番組でみたときに「こんなコンテンツをつくりたい」と思った。

面白さにはストーリーの面白さや美しさ感動、本能、欲望さまざまな方向の面白さがある。
しかし中でも僕が愛して止まないのは「異化」の面白さである。

ディストーションの感覚がたまらないのだ。
まるで別な次元が介入してくるような感覚。
視点が歪み世界が別な姿で自分に迫ってくる。
視覚的に歪むのではなく概念や意味が捻れ、自分の見ている世界がグラリと揺れてしまうのだ。
あの「開けた」感は他の表現では感じられない面白さである。

例えばパルプフィクションでユマ・サーマンが空中に指で四角を描くシーンがある。
車の座席にすわり「四角野郎(頭の固いヤツ)」を表現するために彼女は指を宙に走らせる。
すると指の奇跡が白い点線となって画面に現れる。
指でたどった後が白く空中に浮かび上がるなど現実世界ではありえない。
この瞬間に世界がグラリと揺れる。

交差せず並行に進んでいく二つの世界。それらは互いに別々の法則にもとづいて成立している。
ところが頭の中でイメージした白い点線が画面に現れることで別な現実がこちら側の現実に入り込んでしまう。

「あれ?オレはどっちの世界にいるんだ?」

はじめてみたとき、視点がぐにゃりとうねる感覚を覚えた。

「エッ?!そんなのありなの」

別々の法則によってなりたっていた世界が交差した瞬間だった。

同じ手法は最新作「キルビル」にもみられる。
殺人者に見つかるまいとベッドの下で声を押し殺す少女。
刀がつきささりしたたる血。
少女の口から音が漏れていく。
その声が殺人者に聞こえてしまえば少女の命も失われる。
彼女は口からでた音を両手で抱えあわてて口につれもどす。
そのシーンでは音がモノ化しているのだ。
音の世界の法則にモノの世界の法則が介入している。
ああいった表現がたまらない。

※異化・デファミリアライズとは例えるならば文楽などの黒子がでてくる劇でいきなり黒子が話しだすようなものだ。リアリティの軸のもつれである。

投稿者 TKM : 2004年01月13日 18:26

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