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2004年02月22日

「いい飲み」とハーブティーの朝、こんな朝の日曜にやまけんと河原で茶を飲んだっけ

恵比寿で仕事を終え、たっぷりとごちそうになり、楽しい時間を過ごし、更に新宿で矢坂さんと合流しグビリと語らい月島に帰る。しかしである。今朝は全く気分が良い。気候がいいせいもあるのだろうか。

一昨日はたいした量を飲んだわけでもないのに銀座からの帰り道にグラついた。昨年、かちどき橋にぶつかって肩の骨を折ってから注意していたのだが。そして、翌、金曜日はかなり使い物にならなかった。

昨夜は恵比寿、代官山、新宿と久しぶりに「いい飲み」をやった。
「いい飲み」は基本的にいい人との時間によってつくられる。
「飲み」においては「何を」よりも誰とが重要である。
そういう意味でも内容も「いい飲み」であった。
「いい飲み」。
それは幸せのひとつのカタチである。

それにしてもずいぶんとごちそうになってしまった。
明け方の新宿と銀座では人々がそれぞれ「家」に向かって帰っていく。
僕も家に向かって帰るのだが、まてよ、と少し考えた。
人は家に帰るわけだが何故人はそうまでして「家」にかえることに情熱を燃やすのだろうか。
「家」とはなんなのだろう。

家とは巣みたいなもので自分を守る場所なのだろうか。
どんな人も無意識のうちに住み慣れた場所に帰ろうという本能がある。
ホテルでも2~3日もいると愛着がわいてくる。

安心して寝れる場所。
寝る場所。
無防備になってもいい場所。

ということは人は無防備になりたい、ということだろうか。
そうだとしたら何故、家以外では無防備になれないのだろう。

怒りとか憤りは何かを守ろうとする意識のあらわれである。
カーっとなるとき、何かが破られるから頭にくる。
何故その何かを守ろうとするのだろう。
それは自分にとって何なのだろう。
それこそが自分の核なる何かにつながっている、という気もする。

ハーブティーを飲んで今日は寝よう。

投稿者 TKM : 2004年02月22日 06:44

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