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2004年02月29日
「現代美術入門」本江邦夫 入門書恐るべし! 芸術とそれ以外をわけるものとは?
図書館の新刊本のコーナーでふと目についた一冊である。
手に取ったのは1ヶ月前。
少しづつ読み進めていたが昨夜一気に読み終えた。
もともとは「●▲■の美しさって何?」という題名で子供向けに書かれた現代美術の入門書である。
本屋では児童書のコーナーにおかれていたそうだが「優れた児童書ほど大人がよむのですよ」という編集者の言葉に動かされ一般書として再発行されることになったのだ、とあとがきに書かれていた。
中高生向けとサブタイトルがうってあるように素人の僕でも現代美術の大きな流れについて「なるほど」とうなづきながら読み進めることができた。本書の80%は現代美術に対する解説なのだが問題は「補章」として書かれた最後の20ページである。
この20ページ。200ページの本なのでちょうど全体の20%にあたるこの部分にこの本の核がある。それは
「芸術と芸術以外の違いとは何か、何が芸術なのか」
という著者の問いである。
現代美術の大まかな知識を知りたいと思って手に取り読み始めた本だがラスト20ページでおこなわれた「問題提起」に僕は強烈にインスパイヤされた。
「モノの面白さ」とはいったい何なのだろう?
著者が事例としてとりあげたのはアンディ・ウォーホルの「ブリロ・ボックス(Brillo Box)」である。
1964年に発表されたこの作品はブリロ・ボックスというアメリカのスーパーにいけば山積みになっている洗剤の箱の模造品(コピー)である。実物のブリロ・ボックスはボール紙で出来ているがアンディの作品は板でつくられている。
この作品が引き起こした騒動は想像を絶し、当時の美術界はまっぷたつにわかれたのだそうだ。
写真をみただけだとなんでこんな箱で美術界が揺れたのかいまいちピンとこなかったのだが問題提起の内容を知って愕然とした。
この作品によってなされた問題提起とは簡単にいうと「アンディの手によるブリロの模造品が芸術だとするならば実用品(本物のブリロ)と作品の違いはどこあるのか?」ということで「芸術とは何か」という問いかけに対する真っ向からの挑戦であったのだ。
アンディのブリロ・ボックスは板でつくられているのだから厳密には全くのコピーではない。
しかし、視覚的には二つの間に違いはない。
では何が「芸術」と「モノ」の違いを作り出しているのだろう。
ここで著者はコレクターであったアーサー・ダントの講演を例にとり、芸術であるか否かを決めるのはアーティストの仕事の量や質の違いではなく、作品を取り囲むコンテクスト(文脈・状況)、つまり美術界(具体的には画商、評論家、キュレーター、コレクター)に認められるか否かという問題なのだ、これはとても危険な考えではあるけれども一面の真実をついているのではないか、といっている。その上で、もしかししたら我々の認知能力は我々が理解している以上の可能性を持ち、見えている以上の違いを認知しているのではないか。あるいはコピーとは本当にコピーに過ぎないのか?それ以上の価値を持つのではないか。()
という問題提起で本書を終えている。
「美術」についての入門書は解説という枠を超え人の可能性に対する希望、そして芸術とは何かを問いつづける静かな覚悟を感じさせる。
哲学的な問いによって生み出される緊張感と危なっかしさは極上のエンターテイメントであり、感情と理性がギリギリのバランスでもたらすテキスト空間のゆらぎと秩序の狭間を泳ぐ楽しさは極上の読書体験と言える。
久しぶりに知的な興奮を味わった1時間だった。
++++++
80:20の法則(20%の商品が80%の利益をつくりだす、というビジネス書によくでてくるたとえ話)ではないが本書もその法則にもれず全体の20%にすぎないラストの20ページによって本全体が最高のエンターテイメントに変質している。しかし、その20%もそこに行き着くまでの無駄に思える80%がなければコンテクストとして存在しない。
投稿者 TKM : 2004年02月29日 04:29
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