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2004年03月24日
[雑記] 今朝の時刻は7時25分 TOMAS・戦う学習塾 ~高田延彦が「おまえら出て来いヤー」と叫んだ時、オレとバシとヤマケンとヤマシンはドームにいた~
夜。
高校時代の同級生からメールがあった。
「入院するので。退院したら飲みに行きましょう。」
とのことだった。
この間、バレーボールの試合を一緒に見に行った時に膝を痛めているといっていた。
悪化したのだろうか。
退院する頃には桜は散っているかもしれない。
それでも花見に行こう。
花びらの一枚くらいは残っているだろうから。
++++++
夜、録画しておいた「ガイアの夜明け」を観る。
学習塾の特集であった。
僕は予備校も学習塾もほとんどいっていない。
二つも学校に通うと疲れそうだが小学生も高校生もみんながんばっている。
カメラは算数で落ちこぼれた5年生の生徒を追う。
彼は個別指導で有名なTOMASという塾に通い始める。
(そんな塾があることを知らなかった!有名らしい?!)
驚いたことにカメラは5ヶ月も彼を追う。
こうなると執念だ。
TOMASの先生は現役の大学生や大学院生。
それが個室でマンツーマンで指導する。
そりゃ学力は上がるさ。
にしてもこの5年生。
好きなモノは熱帯魚。
将来はペットショップの店員になりたいという。
だったら算数なんてやめて熱帯魚屋でバイトすればいいのに。
それができないのは日本が窮屈だからなのだろうか?
どうにも腑に落ちない。
舞台は変わってカリスマ塾講師が金沢に開校した進学予備校。
少し年配の著名塾講師が超党派的に各有名予備校から集まり指導する。
田舎の進学塾の趣。
全部が全部、不器用である。
僕は嫌いではないけれど少しズレているな、と感じた。
実際に働いてみればわかるが学校の勉強はほとんど社会では役に立たない。
大学もいきたければいった方がいいけれど会社員になりたいとか教員や医師になりたいという希望がないなら、あまりは関係ない、と思う。
(オレがいってもあまり説得力はないのだが)
そんなのとは関係なくいい男はいい男だしいい女はいい女だ。
男とか女を磨く方が豊かな人生にはプラスなんじゃないかな、と思う。
さて、話を5年生に戻そう。
中学受験を終えた6年生たちが合格発表に歓声を上げるころ、彼らの受験シーズンがはじまる。
ここでオレはかなりびっくりした。
5年生の生徒全員が教室に集められ
「一週間にどれくらいの時間、勉強できそうか。ちょっとでいいんで考えて何時間くらいかな、というのを書いてみてもらえるかな」
と塾の校長先生がいう。(学校じゃないのに校長というのはおかしいか。塾長だな)
書き終えた生徒達に校長先生が
「何時間くらいかな?」
ときいいく。
「35時間」
「35時間」
「35時間」
「25時間」
んんんんん?!
こいつら一日に5時間も勉強すんのか?
算数、国語、社会、理科、とあとなんだっけ、か忘れたが一教科1時間はやるってことだ。
あっけにとられた。
遊ぶ暇ないじゃん。
小学生の頃に遊ばなくていつ遊ぶんだヨ。
なんかつまらないガキが多い理由がわかった。
こしゃまっくれてる割に才能ねーなというのがいっぱいいるのはこういうカラクリか。
といっても、いい子もいっぱいいる。
たいていそういう子は勉強しなくてもスラスラ問題なんて解いていく。
ようにオレは思うんだけれどな。
まあそれはいいとして。
公立の中学にいかない小学生は辛いなあと思った。
自分の事例しかわからないけれど学校なんて公立いこうが私立にいこうが入るときは大学に簡単に入る。
確かに勉強の仕方を知らなかったからどうやったらいいのかを知るまでは勉強っていっても何をやればいいのかさっぱりわからなかったけどやり方さえ分かればあとは塾に行こうが予備校にいこうが独学だろうが一緒だ。
方法は一つしかない。
「出る問題をやる」
これに限る。出ない問題を1000問といても全く力にはならない。
この簡単で最強のルールを学校では教えないのだから不思議だ。
期末テストや中間テストなんて全部一週間前に問題を公開しておけばいい。
無駄な勉強をしないで一番効率よく実力がつく。
塾とか予備校をみてたら教えることの根本がズレてるなあと思った。
かといって文化やら芸能やらを教えるのもどうかと思う。
つーか、「教える」というのがいまいちわからない。
プロとか本物がいてその人の話をきいてインスパイヤされたら。
「後は勝手に学べ」がベストだと思う。
まあそもそもが社会の構造そのものが逼迫してるからしょうがないのか。
東京で朝の電車にのるとわかるけれど。
多くの人の表情はどれも違和感に満ちている。
これはオレの考えだけれど。
釣りやっても生きていける世界にしなきゃダメだよ。
そうなってはじめて個性が出てくるんではないだろうか。
あ、そうだ。
昨日読んだ本の言葉。
「たとえばイラクとアメリカが戦ってアメリカは勝ちました。しかし、どっちが勝っても人類全体から見れば、戦争をすること自体がすでに負けなのです。」
こういうことだと思う。
誰かが勝って誰かが負ける、それによってより良いモノが生み出され残っていく。
これがマーケットエコノミーの優れた効用、となっているが。
果たしてプラスなのかどうなのか。
勝ったなら喧嘩はいらないのではないかと思うのだが。
いまだにどこでもやってるのは「勝つぞー」だったりする。
「勝ったから次なにやろっか?」
みたいなトボケが面白いではないだろうか。
ああ勿論、競争によって悪いサービスが消えていくのはいいんだ。
悪徳とかいい加減とかインチキくさいのは無くなって当然。
それは歓迎、ウェルカムである。
問題はその先だ。
その先がぽっかり抜けてるから、
「あー、うー、あ、もう一回やるか」
みたいなのがこれまでの定石だったと思うんだが別のスパイラルをつくってもいいんではないだろうか。
「OK。とりあえず勝ったんで次はルール変えよう。その前にまず腹ごしらえしようか。オレのおごりでいいよ」
みたいな大らかさでもいいと思うのだが。
多分、夜空のお星様達はスピード競争やでかさ比べみたいなことはやってないと思うんだよね。
あと昨日メモした言葉を一つだけ。
「あるべき姿」
ってあると思うのだ。
あ、自然こそがあるべき姿で「自然に帰ろう」などと眠いことを言いたいわけじゃない。
違和感を感じるならそれは「あるべき姿」でない。
ということを言いたいわけで。
「あるべき姿」からの乖離があるならそれはどんどん減っていった方が、いや、減らした方が気持ちよいのではないだろうか。
何となく違和感を感じるものはどこかしら「あるべき姿」からズレていると思うんだな。
簡単に言うと自然でないってこと。
「不自然」ということだ。
それを感じる感覚が弱くなってるとしたらそれこそ何やっても最終的には「負け」だと思う。
もう、勝ち負けの先を問わなきゃいけないのかな、と。
(格闘技の面白さはまさにそこにある、と僕は思うのである。いい試合は勝ち負けとは関係ないわけで。)
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投稿者 TKM : 2004年03月24日 08:13
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