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2004年03月23日
[テキストのカタチ] 「杜子春・芥川龍之介」と電子ブックの未来
「杜子春・芥川龍之介」を読んだ。
といっても新潮社の文庫本で読んだわけではない。
青空文庫で「杜子春・芥川龍之介」のXHTMLファイルのテキストをブラウザに表示させ、ブックマークレットにある自動スクロールを利用して自動スクロールさせながら画面のテキストを読んだのである。
これまではPCだと横書きだし画面上で物語を読むのは苦痛だと思っていた。いや実際に幾つかの作品をT-Timeのような縦書きビューワーで読んだりもしてみた。しかしフォントが綺麗になり縦書きになっても読みづらさは払拭されない。
ところが自動スクロール機能を使って読んでみると物語がすらすらと頭の中に入ってくる。芥川龍之介の原作が素晴らしいのもあるけれど放っておくとスクロールして画面から消えていってしまうテキストを勝手に目が追っていくのだ。
本にしろ画面にしろテキストを読むときは結構な集中力がいる。
ところがテキストにモーションが加わるとこのハードルが一段下がる。
過ぎていくテキストは否応なしに反応と集中を高める。
人は動いているものがあると無意識に目で追ってしまうのである。
テキストの新しい読みのカタチだと思った。
RPGやアドベンチャーゲームなどテキスト系のゲームをプレイしているときもテキストを読むことがストレスになっているわけではない。これもテキストにモーションが加わっている為だ。
「本が読まれなくなっている」
と識者と呼ばれる人々の多くは嘆くがTVもPCもゲームコンソールも無かった30年前ならばまだしも紙の上のテキスト以外に膨大な情報に溢れている今、紙の本が読まれなくなったといって嘆くことの方がナンセンスである。人が処理できる情報量は無限ではない。能力の方が情報量に比例して拡張されていくわけではないので相対的にメディア毎の情報消費量は減っていく。
しかし、紙の上のテキスト消費量は減少傾向にあるとしてもテキスト全体の消費量は増えているというのが僕の考えだ。携帯やTV、PCのモニタ。紙以外の場所にテキストに浸食されている。ジワジワと領土を広げるようにテキストはその存在箇所を拡張している。
紙の上のテキストが無くなることはない。
利便性の上でも紙はまだ優位性を持つ。
しかし、さっき僕が画面で杜子春を読んだような「読み」はあり得ない。
紙の上のテキストではあり得ない「読み」が存在する。
これも事実なのだ。
それが故に僕は可能性を感じずにはいられない。
Σブックのようなハードウェアの出来について議論するのはあまり意味がない。
問題の本質はテキストとモーションの関係にある。
今年はSD-Book、ソニーの電子ブック端末など様々なビューワーが登場してくる。けれどそれらは「本」を模してつくられたものだ。各ハードウェアの本質部分はテキスト・画像の電子化による流通の改革に他ならない。
しかし、僕が可能性を感じるのはそこではない。
僕が惹かれるのはテキストとモーションの関係だ。
古いテキストもモーションによって蘇り、新たな命が注ぎ込まれる。
名作と呼ばれるテキストの持つ魅力は健在だ。
既存の本とは違うものをつくりたい、そういって人々は電子ブックの未来を語る。
しかし本来語られるべきは本の未来ではない。
本は媒体に過ぎない。
本質、ゲノタイプは「テキスト」にある。
何故、小説という表現のカタチがなくならないのかずっと不思議だった。
マンガの方が面白いし、映画の方が没入しやすい。
何故いまだに本なのだ?
そんな思いが強かった。
小説の本質はストーリー性にある。
それが故に小説が消えることはない。
ストーリー性を有するコンテンツの一つとしてマンガというカタチもある。
既存のマンガは紙の上で固定されている。
マンガの場合はテキストよりも直接視覚にはいってくるのでスピード感がありよりモーション性が高い。しかし、それだけではマンガも行き止まりだ。マンガもモーションによって生き返るはずである。
フィルムブックというものがある。
映画に強引にコマ割をつけてコミック化したものだ。
よくドラえもんの映画などがフィルムブック化されているので目にしたことのある人も多いと思う。
あれの逆もまたあり得る。
コマ割という文法が効かなくなるのでフェノタイプは変化するだろう。
面白さのポイントもズレるかもしれない。
しかしストーリーというゲノタイプが共通していれば伝わる情報もあるし、逆に劇的な効果をつくりだす場合もある。例えば紙の上のマンガには決して超えられない壁として音の問題がある。あるシーンでどうしても曲を流したい場合などよく音符の絵とともに歌詞が波打って描かれていたりする。しかし、どのような表記技術を開発しても紙の上では音は再現できない。midiレベルのチープな音でも描かれた擬音やテキストとは比較にならない伝達力がある。
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投稿者 TKM : 2004年03月23日 02:59
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