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2004年07月12日

[雑記] 面白い人、つまらない人

濃い薄いという言い方が正しいとは思わないがとりあえず物事には濃い薄いという感覚がある。また何かをやったり、みたり、しているときに自分は「面白い・つまらない」を感じているわけだが何が面白く何がつまらないのだろうか。

面白いとつまらないの違いは一つには情報量だと思う。
つまらないもの、つまらないこと、は自分にとって有益な情報が圧倒的に少ない。

話をしていても「つまらない話」をする人もいるし、面白い人もいる。
つまらない話をする人はたいての場合、自分が重要と感じるような新しい情報を持っていない。
けれど同じ人が他の人にとってはとても「面白い人」である可能性もある。
僕にとっての「つまらない人」が他者にとっても「つまらない人」であるとは限らない。
また、言葉の内容がデータとして新しい内容を含んでいないからつまらない、ということでもない。自分が知っている物事についてであっても、その人の「モード」という情報が付加されることで全く別の印象と価値を生じさせることが多々ある。

雑誌やTVで著名人が商品を紹介するのはその人のモードによって商品自体の印象をかえるという目的もある。PRの世界はこうした手法で物やサービスを刷り込んでいく。

こういうのをパブリシティというのだけれどどんなに綺麗で派手であっても広告で宣伝される時、その商品はどこかうさんくさい。自社の商品を悪くいう広告はあまりない。ここがいいんだぞというウリをこれでもかという記号のラッシュでまとめこむ。

なので広告自体を楽しみはしてもそれで商品を判断するということは稀である。
そこで使われるのが前述のパブリシティという方法で商品を広告としてではなく記事や番組として刷り込んでいくという手法である。

この方法だと広告と違って商品の宣伝をしているわけではないから、商品を判断する基準になりやすい。例えばみのもんたがココアの効用をお昼のワイドショーでしゃべりまくったらココアの消費量と販売量が目に見えて向上した。

この場合、ココアという商品自体に革新的な改善があったわけではないがみのもんたというという著名人への信頼度によって商品の信頼性が向上したのである。勿論、ここでココアが紹介されたのは偶然ではない。ココアメーカーとPR会社の仕込みによって番組で取り上げられたのである。更に成功するPRの場合、これと同種の「仕込み」を各媒体で連鎖的に行っていく。一つが成功すれば他の媒体にもっていくときの成功事例になるので企画は通りやすくなる。

これらの企てがある程度機能的に働くとある程度のブームはつくられる。
これが本当のブームとして波及するかどうかを完全にコントロールすることはできないがメディア内部のブームに関してはある程度のコントロールは可能である。

話がそれた。
面白い・つまらないと情報量についての話だったのを忘れていた。
いや、こういうことをいま書いているのには理由があって人と会って話をしてもつまらない人が多い。それは何でだろうかと考えてみた。

自分がその人の面白さを引き出せないのか。
それともその人がもともと面白くないのか。
だとしたら何故その人は面白くないのだろうか。

と考えていくと簡単にいってしまうと「オヤ?!」がない人は概して面白くないのだ。
どんな業界のどんな職種の人でもこの法則は変わらない。
主婦でも面白い人もいるし、面白くない人もいる。
編集者でもTVマンでも広告マンでも全ての人が面白いわけではない。
つまらない人も大勢いる。

これは僕の心証なのだが「クリエイティブ」感覚のない人はつまらない。
何かしらその人の味というものがあって話であれ振る舞いであれ全てにそれが反映される。自分が相手から受け取るだけの姿勢でやってきた人と何かやってやろうと常に思っている人とでは空気が違ってくる。いろんな場面で。

TVとは人のみたいものをうつす奇妙なメディアだ。
TV番組は訴えたいものがあって創られるというケースは少ない。
人がみたいと思うからその番組はつくられる。
けれど、TVを観ているのと番組をつくるのでどちらが面白いだろう?

僕にとっての「面白い・つまらない」の違いはそのあたりにある。
というわけでかなり極論だが「創」の「エンジン」を内部に宿した人との対話は分野に関係なく面白い。

対話もいってみればある種の創造みたいなものでコミュニケーションによって場をつくっていく作業だ。すれ違うこともあるけれど初めての対話で人はお互いにどこがヒットするかその共通点を探り合う。

この探り合いのプロセスはクリエイティブ感覚といってもいいと思う。
その時、二者は互いの関係性を創造しているのだ。

人との間に対話を築くのが得意な人はそうした職業につくし、文字との間に関係を築くのが上手な人はモノを書く。

脱超能力者の清田氏に何故スプーンだったのか?と訪ねた時、彼は

「何故かスプーンとはコミュニケートできたんだ」

といっていた。同じように人々は自分がコミュニケートしやすい分野でその「創のエンジン」を発動していく。そしてこの「創エンジン」がつくりだす「クリエイティブ感」の有無が面白さを決めている。

料理でもそれは同じだ。
料理という表にあらわれたものの背景にどれだけの情報量がつまっているかが本質的な料理の価値だと思う。定量化はできないがまずい料理とうまい料理の情報量の差はパッとみただけでも明らかだと思う。

と話は散漫になってしまったがどれだけ他者を喜ばせることができるか、ということはどれだけ他者にとって価値のある情報を提供できるか、ということでもあり、恋愛や家族関係や人間関係、全ては「その人がどんな人なのか」つきつめていくと人の価値はそこに集約される。

++++++

※昨日の新庄選手のパフォーマンスがなぜ面白かったのか。
その理由はそこに「オヤ?!」があり、彼のつくりだす妙な雰囲気・空気があったからで、
その空気はあの場の関係性を通じて彼という存在がつくりだしたものだと思うのだ。
個性とは創造性とつながっており、逆説的だが多の同意を得るものは何らかのカタチで個であるが弧ではない。他者の内部にある何らかの感情を思い出させる鍵として機能する。言い換えると反応できるということはどの人の中にも同じ要素はあるわけで、それをカタチとして表出できるかどうかが「クリエイティブなモード」であるか否かを決めるのだ。(やろうと思えば程度の差こそあれ誰でもできるし、やっているとできるようになる。ようはやっていないだけ、ということなのだろう)

あと全然関係ないのだけれど「学問のすすめ」を読み進めていて、あちこちにぶっとんだ比喩が満載なので少しづつ紹介していきます。読んでいると福沢諭吉は何かしら新しいことをいってるわけではなくて、持論や正論を展開し説明するときに妙な繋がりをみつけるのが異様に上手でそのつながりの付け方が「新しい」のだ。

投稿者 TKM : 2004年07月12日 14:10

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