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2004年10月22日

テキストの可能性としての「電車男」

電車男」読了。

以前、まとめたものを読んでいたのだがこうして編集された書籍という形態であらためて読み返してみると違った質感がある。「読み」に対する自分のモードがぜんぜん違うのだ。リアリティがあるのかといわれるとあるようなないような。

ひとつ思うのはこれをリアルタイムに書き込んで、あるいは読んでいた人たちはどのように感じていたのかにとても興味がある。僕が読んだテキストはテキストとしては同じだけれど「固定されたモノ」という認識があって読んでいる。

しかしこれを掲示板で読んでいた人たちは違う状態で同じテキストに接していたわけで全く同じテキストであったとしてもその違いは大きいはずだ。2chのあのモードでこれを読むとはどのような体験だったのだろう。

これをリアルタイムに経験した人に話をきいてみたい。

僕が興味を持つのは「テキスト」の面白さと可能性で面白いテキストは本になっている、というとらえ方をけっ飛ばしたいのだ。もうちょっとくだけていわせてもらうと、出版社がつくる本、編集者がつくる本の多くはひどく「だるい商品」である気がしてならない。つくる人がいて著者がいて圧縮して「枠」にはめてつくられたテキストは綺麗である。時に心を動かされる。しかし、それでも、もう読めなくなってきてる気がする。(電車男を出版にこぎつけた編集者は偉いと思う。数年前だったらありえないだろうわけだし。僕だってこうして形ある書籍としてこのテキストがなかったら、ああ、そんなサイトもあったっけなでおわっていただろう。形があるけれど形がない、というなんかこうわからないものに出くわしている感なのだ。この感覚はおそらく対面して話せばつたえることができそうなのだがテキストとしてここに固定してしまうと伝えるのは難しい。僕の思考や実感はここにあるけれど、それを固定することはできないし、いや固定してしまうと変わってしまう。「こういうの」という言い方、それ以外で「コレ」といってしまうとそこで固定され質感は消えていってしまう)

それは「つまらない」という理由ではなく固定されたテキストと自分の頭の中のスピードがあわなくなってきている感覚による。

僕は本をたくさん読む方で平均すれば二日に1冊は読んでいると思う、それでも書籍の中にあるテキストを読む量よりもネット上のテキストを読む量の方が多い。クオリティとは関係なしにこの流れはもうとどまらないだろうと思う。紙の上に固定されたテキストを読む時のモードと画面の中のテキストを読む時の頭の中の時間が乖離してきている。

二者のどちらが優れているかという問題ではなく、同じテキストであってもそれらが別なものとして入ってきているように感じるのだ。書籍とネット上のテキストでは受け取る時のモードが変わってしまうといったらいいだろうか。

++++++

感想だけ述べると「電車男」は面白かった。
内容が云々とか言葉のクオリティがどうこうというのは全く関係なしに僕が2時間くらいガーっと集中して没頭するだけの「なにか」がそこにはあった。

文章の美しさや饒舌さでもないし、ストーリーの面白さとも違う。ひとことでいうとそこには「時間や人」のようなものがたたみ込まれているようなそんな感じなのだ。実際にひとりではなくかなりの人数の人々の「声」によってこの作品はなりたっている。

創作(な部分もあるかもしれないし、全体がそうだという言い方もできるが)によって生み出される「テキスト」とは異なる「なにか」がそこにあった。

創作されたテキストというよりもこのテキストの存在そのものが「リアル」なコミュニケーションの実際の姿であり、これ自体、ある「時間」そのものといってもいい。

「電車男」を作品としてとらえて論じるならばそのアラはいくらでも見つけることはできる。けれどそんなことに意味があるのだろうか?

この「作品」を読んで、いや作品を読むというよりも参加という言い方の方がただしいだろう。参加した人々がいて、そこで具体的に関わった人、読んで何かを思った人、時間を過ごした人がいた、それが全てではないだろうか。

これが文学的に綺麗かどうかを問う必要はない。文学という枠、小説という枠、書籍という枠、あらゆる「枠」で固定しようとするから、いや、してきたから作品から「創造性」が消えていったし、いくのだと僕は思う。

簡単なことだ「これはこれだ」でいいのだ。好きだという人もいれば嫌いだという人もいるだろう。くだらないとか、言葉がなってないとか、文章が稚拙だという言い方もできるだろう。けれどそれが何なのだろう?

本の形はしているけれどこれは本ではない。
小説でもないし、ドキュメントでも、ルポタージュでもない。

これは「これ」なのだ。

そういう意味で書籍としてこの作品が出版されたことは興味深い。これは書籍であるけれどそこにあるテキストは書籍ではない。自由という言葉が適切かどうかわからないけれどこんなにも存在自体が「面白い」テキストというのははじめてだ。

しかも「中野独人」という無名の人々の「声」の集合体がなぜこのようなストーリー空間を作り出せたのか。興味は広がり続ける。

また作品で用いられる(作品としてかかれたわけではないので作品と呼んでいいのかどうか判断に迷うが便宜上、作品と呼びます)「テキスト」はかなりの部分で日本語が用法的におかしい。けれどこれもOKだな、と僕は思う。

新聞や雑誌に記事を書いてみるとわかるが、驚くくらい文字の用法について細かいチェックが入る。そんな重箱の隅をつつくようなチェックするくらいならばコンテンツの本質についてもチェックしたらいいだろうにと思うのだが、とにかく世の中には言葉の使い方についてやたらと詳しいというか細かい人がいるのだ。

ところが「電車男」の場合はこれが全て逆に入っている。
こんな「日本語の使い方はない」という日本語がそこには溢れている。
しかし、これが面白いのだ。美しいとは言わない。けれど「面白い」。

「テキスト=書籍や小説」と考えるからおかしくなるのだ。
テキストはテキストでしかない。
そうとらえれば枠からは自由になる。

いやあらためてまとめるがこの作品は面白い。
決して深くはない。
しかし面白い。

複数の人間がテキストを書き殴りこれができる可能性はどのくらいあるのだろう。

テキストの可能性としての「電車男」。
僕はそう思う。

「管理」「秩序」の外からできあがってきた「作品」のできかたこの創作過程にもすさまじく興味がある。もう一度繰り返すがこれは小説ではない。

テキストである。
ただ「面白い」テキストなのだ。

創作過程を含め存在と中身の両方が未体験であったし、優秀な作家であればあるほど決してつくることのできない作品だ。アプローチが逆なのだ。

「創らないことで創る」というやり方によってつくられている。
存在自体が異化みたいだ。

僕はこれを作品として論じるような論考にはほぼ意味はないと思う。
比較が意味を持たないように思うのである。
比較の時点でもう「枠」がはまってしまっているというか別の軸の方がしっくりくる。
たとえば好きか嫌いかとか。
そういうとらえ方の方があってるように思う。

僕はこの場合、作品性を問うことがそれほど重要だとは思わない。作品と捉えた瞬間に薄っぺらな紙切れと同じくなってしまう。比較しないで体験する、なんかそういう参加の仕方をしないと何もわからないような気がする。

これまでの「読み」とは違う。いろいろな作品を読んでいるとそちらが先にはいってきてしまい「楽しむ」ためにはマイナスに働く。

人間の深層心理とか人間性の奥底を扱っているわけではない。
面白いけれどそうした精神のどこかをえぐって井戸におりていってくみ出したきた、みたいなスゴさはない。
けれどそれが逆にスゴいと僕は思うわけだ。
作品としてとらえるならばたいしたものではないのだろう。
でもたいしたものじゃないものを意図してつくるのはかなり難しい。
最も優れた作家であっても創作からこのテキストはつくれない。
書き手として優秀であればあるほどつくることが困難な種類のテキストだと思う。

こういう時に議論できたらいいのになと思う。

追伸:全然関係ないのだが先日「シガテラ」を読んだ。感じることはあるのだがまだでてこない。あれも論じる必要あるのだろうか。

◆参考URL

「電車男」まとめページ(これが書籍版のベースになっています)

電車男
中野 独人

発売日 2004/10/22
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投稿者 TKM : 2004年10月22日 04:04

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コメント

ぼくも読んでみた。
アスキーアートをページに収める調整が行き届いてるのが、書籍としての工夫というか手間なんだと思った。よく見ると収まりのいいようにフォントサイズを微妙に調整してある。
以下のページに編集者のコメントがあるよ。
http://www.shinchosha.co.jp/wadainohon/471501-8/01.html

投稿者 ake : 2004年10月24日 00:02

コメントどうもー。
そうそうフォントやレイアウトなど編集に工夫がなされて読みやすいよね。画面だとマシン依存になってしまうフォントや文章の位置などモノとして固定されることで質感が上がっているのもよかった。

数々のブログサイトもこのように編集されるとコンテンツとして別な質感で迫ってくるのかな。実際の書籍や雑誌よりも物量的にはブログのテキストを読む方が多いだけに興味深いです。

投稿者 かがや : 2004年10月27日 19:47

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