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2004年12月31日
2004年の総括その1 ~党首の力、やまけん力について~
昨夜、というか今朝方にモロイさんとSkypeで話すと党首やまけんがどうやらカゼらしいとのことだった。昨夜、集計作業を終えて食い倒れグランプリの結果を送ったのだがリプライがなかったので寝込んでいるのではないかと心配したら果たしてその通りであった。
午後にメールがきて、熱を出したとこのことだった。
基本的には野生児で丈夫が取り柄なので問題ないと思うがカゼの場合は内面から穿ってくるので辛さのモードが骨折などの外傷とは大きくことなる。熱のために真っ先に食事がマズくてしかたなくなる。
人間生きていて食事がおいしければ身体はだいたい問題がない。
食べるというのは生きる基本だ。
何せ世界中の人が欠かさずやっている。
中には食べるをやめてしまった人もいるけれど100%に近い数の人間が毎日何かを食べている。
これはいつも思うことなんだけれど「味わう能力」が高い人というのは「幸せ力」が高い人だ。
(エントリを投稿してからテーマについてはもっと深く考察したくなった。味わうというのは感じることでよりよく味わうとはつまり外の何かではなく自分の感覚を信用してやらないといけない。評論的にでなく個人がダイレクトに関わるポイントといったらいいのかな。食べているその人しかその味はわからないのだ。なんていったらいいかな。「食べる」には個人の創造性がより強く要求される。ウマイという感覚は外じゃなくて内側により強く存在するんだなおそらく。なのでウマイを感じる力は誰かに頼んでも高まっていかない。逆に自分がちらっと変われば劇的に変化する。ウマイものを求めようとして不味いモノを食べないようにするというアプローチはおそらく間違っているのだ。そうではなくウマイをつくり出す能力を高めていくことでウマイが集まってくる、というのが僕の感覚だ。そして同じことは生活や人間関係、音楽でも映画でもなんでも様々なコンテンツ、仕事、生きるなどなどに共通している。といっても自分マンセーで生きろといってるわけではないし、お気楽に生きるべきといってるわけでもない。手法というかアポトーシスなアプローチでいくのがいいと思うのだ。アポトーシスというのは例えば人間というのができてくときに指なんかは段々と生えてくるものだと思われていた。ところが研究がすすんできたら全然違っていて、ドーンとまず手の原型みたいなものができてそこから指の形に細胞がきえて手がでちていくのだ。僕はこういう概念がビジネスでも生きる上でも重要だと感じている)
どんなものを食べても「ウンチク」ばかりで味わうことができない自称食の達人が多すぎる。ウンチクをいって食べることに意味はない。どれだけ美味しく味わうことができるかがポイントなのだ。
うちの党首の場合はそのあたりがズバ抜けていて、というか抜け落ちていて、とにかく食べ物を美味しく食べてしまう能力が桁外れに高い。
「食い倒れグランプリ2004」へのコメントをみていると党首の大食に対する賛辞が多い。しかし大食なんてものは聖書でも大罪とされてるくらいだから大して褒められたものではない。なので僕があえて宣言しておこう。
うちの党首の凄さは決して食べる量ではない。
「美味しく食べる能力」
この能力がおそらく世界的なレベルにあるのだ。
実際、世界中どこにいっても美味そう食べると思うよ。
美味そうに食べる能力があればとりあえず食には絶対に困らない。
食べ物というのはお金と似ていて美味そうに食べる人のところに集まってくるようにできている。なので美味いモノが食べたいと思ったらまずは目の前にあるものをどうやったら美味しく味わうことができるかということに集中したらいい。
一歩目がうまくいけばあとは簡単だ。
向こうからどんどん集まってくるようになる。
これはビジネスや人間関係も一緒だ。
内容はそれほど重要ではない。
それを味わうことができるかどうかが全てだ。
感じる力といった方がより近いか。
ともかく何でもいいのだそこにクリエイティブを発生させればいい。
「より良くやるには」とか「より面白くするには」「より速くやるには」そこに意識を集中させていく。外観や世間体やどう思われるかは閑な時だから重要に思えるだけだ。集中にはいってしまえば相対的な価値はほとんど意味を持たない。自分の感性、価値観、感じる力が前面にでてくる。幸福とか豊かさというのは本来こちらに属する指標なのだ。
他者に価値の主軸を渡してしまったら何も楽しいことなんてない。
つきなみな言い方だが目の前にある仕事に全能力を出し切る、仕事にとりかかる時はイヤイヤでもそう決めてやっていくと、終わる頃には自分は天才なんじゃないかと思えてくる。集中状態をキープし、あるモードに一度入ると脳がノってくるのだ。
これを自在につくりだせるようになれば人生も何もかもがあれよあれよと転がりだす。
問題はそこに入りやすい環境とそうでない環境があっていつでも自在に集中状態をオンにできないことだろう。
そこでオススメなのが自分が「ああオレっていま集中してるかもしれない」と感じたり、ある仕事や作業を終えたあとで「なんかいいなこの感じ」と思ったら、それがどんな時で何をやっていたのかどこだったのか、などを詳細に記録していく。そうすると自分がオンに入りやすい環境というのがおぼろげに見えてくる。
これは僕の場合だがコンディションに最も影響を与える外部要因は「人が動いているかどうか」である。今日は大晦日で多くの人は休みだ。街は静かで穏やかである。こういう状態は僕にとってベストで感覚ややる気が一番ドライブする。また外国や知らない土地への移動というのも集中状態をオンにする大きな要因になる。
脳は慣れてくると怠けるのだ。
移動でもなんでもいい活性化させていくと目覚めてくる。
プランニングに才能なんてものはいらない。
特別な才能はない。
要は極限まで集中状態を高めていけばいい。
それが簡単にできる人とそうでない人がいるだけだ。
アイディアは絞り出すわけじゃない。
パっとでてくる。
そこを勘違いしている人が多い。
人に見せる形にしたり、視覚的なイメージで伝えられるように変換する作業に時間がかかることはあっても、
アイディアが出る瞬間だけ切り出せば一瞬だ。
おそらく1秒もかかっていない。
その1秒にいきつくまでに時間がかかるのを長い時間をかけて考えたアイディアとかいうわけだがバカバカしい。全てはパッと出てくる。そっちが真実だ。
僕はプランニングの仕事は夜にすることが多いのだがそれにも理由はある。
夜は他にすることがないから集中状態をつくりやすい。
逆のアプローチで脳を活性化させるのである。
人が起きて活動している時間帯は街のざわめきというか人の意識がはいってきてしまい集中が分断される。
というわけで雪降る大晦日。
最高である。
素晴らしく幸せだ。
iTuneではオリジナルラブの曲がかかっている。
サンシャインロマンスを聴いたら学生時代に仲間のバンで毎週通った箱根への道を思い出した。夜の西湘バイパスを帰路につくと海が見えた。海の上には月が輝いていた。白い光が海面に反射してキラキラと輝いていた。あの時もこの曲が流れていた。
時間をリアルに感じた記憶はいつまでも鮮やかだ。
投稿者 TKM : 2004年12月31日 15:56
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