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2005年01月28日
プレゼンな映画と意味を隠す映画 ~帰りの電車での雑感より~
久しぶりに代々木界隈を歩く。
紀伊国屋などいってみた。
代々木のフレッシュネスバーガーでメモをしていたら警備員のおじさんが二人こちらをみつめていた。 植え込みになにやらあるらしいがここからはわからない。帰りの電車で思索していると電話が鳴った。
共時性か。
さっきのメモを思い出す。
時間についてのメモであった。
「いまという過ぎていくこの時間は誰にとっても同じ時間なんだよな」
あたりまえのこと、であるわけだが、その意味はよくわかっていない。
心臓の鼓動のスピードが子供と老人とでは随分違うらしく、それによって体感時間が違うのだ、という話をどこかで読んだ。
でもさっき浮かんだのはそれとはちょっと違っていて時間は流れているわけじゃなくココという一点にあるみたいなイメージだった。 うまく言えないのだが。
外を歩いている人たちも自分も同じ時間の点を共有していて、「あの人はこうだ」とか「この人はこんなで」 という違いはあれど同じ時間にいるという共通点の方がそんなものよりも遙かに大きいように思えてきたのであった。
この時間にいる人たちってパラレルな自分ではないのか。
あなたが感じてる時間と僕が感じてる時間は違うんだろうけれど、それでも我々は同じ時にいる。それってどういうことなのかな。
電車は大門を抜け、月島に向かってゴーっという音に包まれて疾走していく。
ひとつの音もそこから何を感じるかは人によって全然違う。
それは文脈によるものなのだろう。
文脈超えってあるのだろうか。
あるのかなやっぱり。
そういうのを言葉で表すには本来の使い方では難しい。
言葉の連なりの裏にできていくパターンを使うのだろう。
いい映画はプレゼンの対極にあるように思う。(何がいい映画かは人によってちがうのだけれど、
より深く自己に入り込んでくるようなものとしておく)
伝えないことで伝えるというやり方でしか伝わらない質感。
それを伝えるには逆説的だけれど意味は隠される必要がある。
そういうカタチでプレゼンをおこなったら笑えるだろうな。
「???」
が並ぶんだろうけれどわかる人にはわかるだろうし、伝わるのだろう。
こういうのは恋愛と似ているのかもしれない。
愛情表現の言葉って具体的じゃないし、そもそも、あんまり言葉がない。
理路整然と演説して惚れ合う男女が描かれてるのはハリウッド映画くらいだろう。
投稿者 TKM : 2005年01月28日 21:41
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