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2005年02月22日
雑誌SPA!にやまけん登場
■コンニャクソング
「コンニャク、グニャグニャー。コンニャク、グニャグニャ~」
母親とスーパーに買い物にきた3歳くらいの女の子が歌っていた。
グニャグニャ感の表現があまりにも自然だったのでケータイでメモして自分あてにメールした。
あの歌はなかなか歌えない。
そもそも閃かない。
深夜、夜食を買いにコンビニにいった。
パンでも買おうかと棚をのぞく。
ヤマザキダブルソフトを選んだ。
このパン。
取り立てて「ウメー!」というパンではないが一般的な食パンと比較すると革命的な存在である。
これを開発したことで山崎製パンはどれほどの売り上げを得たのであろう。
そして誰がこの商品を開発したのだろう。
プロジェクトXの題材になりそうな商品だ。
話は飛ぶがコンビニで売られているパンはそれほど美味しくない。
ベトナムの街角にあるパン屋のパンはかなり美味しかったのだが…。
菓子パンとかカレーパンとかではなくて、 バゲットとか食パンとかそういったベーシックなパンになると日本のパン屋のパンはどこでも大差ない。(うまい店のはうまいけれど)
昨日、山本益博さんの出ていた回の「ソロモンの王宮」を観た。
素晴らしい食材のオンパレードをみていたら食について少し考えさせられた。
食事は日々のことなのにおろそかにしがちだ。
早速、実家に電話してオイシイお米を送ってもらうことにした。
ところで山本益博さんのウェブサイトだがこれだけ高名な人なのにインフォシークの無料サービスで運営されている。
このあたりのセンスは理解不能だ。
ウェブサイトなどどうでもいいということなのだろうか。
僕の個人的な意見だがフリーランスの人はオフィシャルのサイトを自分のドメインで運営すべきだ。 ☆さくらインターネット☆
だったら300メガの容量をフルに使えて月に125円しかかからないし、
自分のサーバスペースを持っていると気持ちもいい。また、
URLやメールアドレスも自分専用になるから広報的効果だってあるはずだ。何故みんな使わないのだろう。
僕が思う7不思議のひとつだ。(バシ師匠、ビール一杯やる値段でお釣りきますよ!)
サーバを借りてブログやオフィシャルサイトをやってみたいという人は相談して欲しい。
ぼったくりじゃないコンサルティング料で導入をサポートします。
機会損失はもったいなさすぎる。
こういうちょっとしたことも日本全体でみていけば巨大なロスになっているはずだ。
■雑誌SPA!にやまけん登場
山本益博さんの名前で連想したのは「やまけん」。
そう「やまけん」も同じ「山本」性なのである。
いずれやまけんも達人としてメディアに登場するのだろう。
夕刻、やまけんからメールがきていた。どうやら録画セットを忘れて旅立ったらしく、
「録画わすれた~。明日のPRIDEの録画よろしくおねがいします~」
とのことだった。
夜半過ぎ、モロイさんにブログ導入のサポートをおこなった。モロイさん自身にもいくつか作業をやってもらった。
多少なりともブログシステムの「感じ」をつかんでもらうのが目的だ。
夜食を買いにいったコンビニでSPA!をパラパラとめくるとコラムニストの神足氏とやまけんの対談が掲載されていた。
前にやまけんから
「おう。今度、SPA!に出るからさ。見てよ」
と言われていたのはこれか。
パっと読み進める。やまけんの持論が展開されている。
僕は農業についてはド素人なので印象くらいしか言えない。
それでもこの世界にはうまい野菜もあるということは体験を通じて知っている。
食の優先順位が下がっている背景には食事の希薄化があるように思う。自分の生活にあてはめても、 普段の生活ではひとりで食事をすることが多く、イベントとしての食事の機会が減っていてただ食べているだけ、という場合が多い。しかし、 やることが多すぎて落ち着いて食事をするまもなく追い立てられている、というわけではない。
単に習慣の問題だろう。
手間暇かければありきたりの食材でも豊かな食卓をつくりだすことはできるはずだ。
山本益博さんの話に戻ろう。
彼は「すきやばし次郎」をこれ以上ないというくらい絶賛していた。
僕は次郎の鮨を食べたことがない。
TVのドキュメントでみただけだ。
次郎の鮨は二人で7万円くらいのプライスという不思議な価格の世界である。
(ある食のポータルサイトのレビューをみると5つ星と1つ星のレビューがならんでいた)
高い鮨でも安い鮨でも栄養価(カロリー)はあまり変わらないだろうから(栄養価も10倍とか10分の1だったらすごく面白いのだが)
価格のほとんどは食材の選択と編集という人側のソフト的な部分にある。
食材の価格にしても生成や収穫のプロセスのコストが反映されているわけだから情報価値が価格に反映されていると言えるか。
そう考えると不思議な感じがする。
食べることは料理という媒体を通じて情報を食べていることでもあるのか。(料理自体も情報だが)
食の価値というのは主観的なものだ。
その鮨が幾らであるか、とか超有名である、
とか前もってインフォメーションがインプットされた状態で食べるのと全く予備知識なしで食べるのとでは全然味が変わってくると思う。
これは味わいの問題だ。
人は舌で食べ脳で味わっている。
脳の状態によって味わいは変わる。
あるレベルは存在するが絶対的な味は存在しない。
味もまた確率的な存在だ。
酷い二日酔いの時は次郎の鮨も「食いたくない」だろうし、チキンラーメンを最高にウマイと感じるかもしれない。
食事の価値も変動しているのだ。
ということをふまえた上で食について考えていかなければならないな、と思う今朝です。
■山本益博さんのブログ
http://stylog.jp/masuhiro/
投稿者 TKM : 2005年02月22日 04:46
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コメント
子供がいる場合、食育だとかよくいうけれど
毎回のご飯を家で作って、みんな揃って楽しく話をしながら食べていれば自然と食べることの好きな子になると思うし、そうすれば大きくなっても美味しいものを食べるには自分で作ろうと思うし、そのための食材に意識が向かうことになると私は信じています。
外食、中食もいいけれど、も少し家で作って食べようよ・・・っていうのがヤマケンの思っている問題意識を解決するのに効くことかもね。
投稿者 志乃 : 2005年02月22日 15:13
見たよ
結局、子供のうちから家族が一緒に食事をとらなくなったこと。
(一人だと味や礼儀作法がどうでもよくなる)
テレビなどを見ながら食べる。
(注意力が散漫になる)
などコミュニケーション不足が招いている事態なのかなと思うねえ。
大人の社会の問題か。
投稿者 moro : 2005年02月22日 16:17
食は手段であって目的ではない、というのが自分の考えです。
パラニューロン的にも味わっているけれど人は脳で食べてると思います。
それがいいとか悪いということはおいておいて。
以下、話はとびます。なのでだらだとわからない文章が続きます。
極論になりますがオレはシステムに注目します。全員が同じ方法でそこにいく必要はないけれど生命は生命的であってしかるべきだし。在るものはあるべき姿にいきたがっている、というのが自分の基本思想です。
システムレベルでのせめぎ合いもまた生命の不思議です。
主義と主義が転換するのはこれまでもずっと繰り返されてきたことでそのバランスポイントが「際」にはみえかくれします。
連続しているはずの時間と時間の切れ目みたいなパターンですね。
国も国の姿というのは「際」でしかみえないし、地と図の転換ポイントにエネルギーというのは集中する。緊張は逆に本性でもあるのかな、と。
投稿者 かがや : 2005年02月23日 03:33



















































































