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2005年02月26日

躍動感やダイナミズムについてふと思うこと(改訂)

窮屈だと感じることが多いのはいつものことだが少し油断するとそちらにもっていかれそうで慄然とする。
こんなのにまともにあてられたらツライだろうそれは。

TVからCMというものが消えたら面白い。
広告モデルがなくなったらコンテンツは視聴者を志向しなければならない。
ルールが変わるのだ。

コンテンツ至上主義はコンテンツの多様化を引き起こす。
環境という括りではなく個人のセンスによって分化が進む。

マスやメジャーは特定層にとってそれでしかなくなる。

それが健全であるか否か。
あるいは効率的であるか否か。

それは問題とされない。

別のルールが機能する。
最適化に向かう前に現象は膨張するだろう。
オプティマイズは果てしない相互作用の後におこなわれる。
それを制御することは不可能だ。

それこそが健全であり自然なのだ。

現在のネット上のメジャーなコンテンツは厳密にはコンテンツではない。
それらは機能であり器官だ。

一人の影響力は一人にしか及ばなくなる。
それがぼやけているのはコミュニケーションが不在だからである。

全てのコンテンツは個人にオプティマイズされて提供されるのが理想だ。

過度のカスタマイズは偶然を抑制する。
情報の個人化が進めば一時的にダイナミズムは低減していく。
しかしそれはマスの消滅ではなく新たなパターンの創出へと向かう動きである。

そこから生じるパターンはそれ以前のマスと似ているが否なるものだ。
プロセスの違いが情報の本質的な意味をかえてしまうのである。

更にいうとシステムは個人の嗜好を学習する必要はない。
システムに要求されるのは質の最適化である。

そういう方向に機能するならば評価システムとリンクした情報のあり方は有用だ。
ライブドアが提示したランキングシステムはあまりにもプリミティブなモデルだ。 (実際フィードバック回路が働いていないのでシステム自体が学習をおこなわない。だから情報の自己組織化も進まない)

けれどその先には可能性がある。
要するにコンテンツの問題とはつきつめていけばシステムの問題なのだ。

最適化の前段階としてメディアは発達した。

いま存在しているTVコンテンツの多くは無料であるという理由で視聴されている。
友人のしんのすけの家にはTVがない。
いや、友人達の多くはTVを観ない人である。

対して自分はどうだろう。
案外、視聴している時間は多い。けれど完全にタイムシフトはさせてあるからまだましだろう。 リアルタイムにTVを視聴することは直接的体験の希薄化を加速させる。

どこでだったか忘れたのだけれど比較によらない判断や意思決定みたいなことについて書かれた文章を読んだ。
いい文章だなと思った。人にたいする普遍性の有無は言動、行動、その他コミュニケーションに関わる全ての事象に反映される。

この50年くらいを考えると現存する人間のほとんどは50年前にはいまのカタチと全く違う状態にあったし、 国や組織やなにやかにやも全然違うものだった。この世界といったときに思い浮かべる今の風景や人間もたかだか数十年くらいのものでしかない。

躍動感やダイナミズムは増幅と封印の両方向にバイアスがかかっているなあ、 と僕は感じているのだがこういう働きも作用反作用みたいなものでトップダウンというよりは局所的な振る舞いの相互作用によって生じている群体的な振る舞いなのだろう。

僕の関心事はそういうことなので実生活とはあまり関係がない。
学者ほどに本を読んだりしていないし、思想家ほどに思考しているわけでもない、 ビジネス系の人々のように世の中のアセンブリーに徹しているわけでもない。

流れの際でおもむくままにやっている。
中国から帰ってきたばかりの頃、野知さんとはいろいろな話をした。

己に内在するダイナミズムの萌芽を希薄化させていくことほど人にとって大きな不幸はない。

以前、しんのすけが「興味があるもの:フェムト秒レーザー」とどこかに書いていたのを唐突に思い出した。
いや、全く関係がないのだが言葉は急に浮かんでくる。

情報の振る舞いのダイナミズム値をあげていくには情報を切るのではなく取り込む装置(システム)が必要だ。 ブログにはというよりも言葉それ自体にはその機能がない。人間が介在しなければならないのが問題だ。 システムが思考を表現するようにデザインしなおす必要がある。

僕の目下の興味は集中から生じる静かな躍動とダイナミズムが何を引き起こしているのか、とかそういうことだ。 創造性とか創造は自己組織化によって引き起こされると僕は信じている。

閃こうと思って閃きがやってくるわけではない。アイディアや閃きは制御系の方法論ではつくりだせない。「ゾーン」の部屋と一緒だ。 ただし潜在意識の働きかけによってなされるというものでもない、という立場を僕はとる。 考え続けることで解があらわれるように見えるのはそれが情報の自己組織化を引き起こすトリガーになっているからで「問い」 は重要だがより重要なのは情報同士の相互作用である。

「つなぐ」「つながる」を実感する時、
自分をかこむ世界がいきいきとしはじめ、生命の躍動に似た情報の息吹を感じる。
無関係の情報にリンクやパターンがみえだすときの感じ。

この種のパターン認識を閃きというのだと思う。

投稿者 TKM : 2005年02月26日 01:34

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