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2005年02月26日
マジンガーZはロボットか? 永井豪のトランス世界にひきこまれしばし現世を忘れてしまう
■切手との遭遇
先日、KAGAYA.COMの注文商品を配送しに郵便局にいった。
窓口の女性に荷物を渡し、送料の会計をすませると受付テーブルの厚手のビニールの敷物の下に若干斜めに配置された紙切れを見つけた。
新しく発行される切手のお知らせのようだが色合いがアニメそのものである。
まさか…。
じっくりとみてみる。
なんと往年のスーパーロボットマジンガーZではないか!
しばしみいってしまう。
ブレストファイヤーはともかくルストハリケーンはあり得ないだろう。
そしてロケットパンチってそんなのあっていいのか、
といった感じでツッコミどころが12トントラックにダイナマイト満載であるところの名作アニメ「マジンガーZ」
との予期せぬ対面がそうさせたのであろう躊躇なく
「すみません、この広告もらえませんか」
と係の女性にお願いしていた。
あちこち探しまわったのち、
「すみません、もうなくなってしまったようです。ごめんなさい」
とすまなそうに郵便局の女性は答えた。
ところで僕の周りには人垣ができている。
みんなこの切手に興味があるのだろうか。
いやそんなことはない。
彼らはATM詣でを試みる群衆である。
金曜日ともなると郵便局は通帳への記帳を求めて中年以降の人々が群れをなす。 以前も書いたがこれは日本全体でみたらものすごいコストだ。このエネルギーを別なものに向けるべきである。 競争力の低下はこうしたエネルギーのロスがつみかさなって生じている現象である。
話をマジンガー切手にもどそう(ATOK15は「きって」と入力すると候補には「切って」が必ず初出する何故だ?)。
僕は切手というものの価値がわからない人間であったのだが、この日、はじめて「コレクター」な人々の悦びを少しだけ理解した。これは… このマジンガー切手は…欲しい。
切手の機能とはおよそかけ離れたマジンガーZという記号がそこに付加されることで切手が機能以上の情報価値をもって自分に迫ってくるのであった。 これがキャラクターの力であろうか。
■意外とグロテスクな原作版マジンガーZ
さてそんなこともあって昨日よりマジンガーZについての興味がふつふつとわき上がってきた。
この作品、マンガ版とアニメ版ではテイストが随分違う。(マンガ版は昨年イーブックで入手した。画面上で読む漫画も悪くない。
というよりも物理的な理由からこの方がよい。これを100倍くらい快適にして「何処でもマンガ喫茶」というのをつくりたい。経済性、効率性、
衛生面、快適さどの観点からもそれがユーザとってベストなサービスの一つである。自信をもって断言する)
デビルマンもそうだったがマンガ版のマジンガーZでも永井豪節は炸裂であり、人がバンバンちぎれ飛んだりする。 グロテスクな描写がそこかしこに見受けられる。主人公の兜甲児の印象も異なる。
TV版では声の影響もありまっすぐな「青年」という感じだがマンガ版でのはかなりエキセントリックな人物に描かれている。 デビルマン同様、マンガ版は主人公は永井豪テイストな45°の目つきだ。視線は読者を向いていない。 劇中でも重要などこかを見つめているわけでもなく、彼ら自身の脳内宇宙に向けられたある意味神懸かりな視点がそこには存在する。
このマジンガーZだが子供の頃の記憶をたどってみてもシステムとしてかなりユニークな存在であった。
何せロボットのくせに空を飛ぶことができない。
操縦されるまでこのマシンは起動しないし、パワーと機能のわりにマシン自体のインテリジェンスはかなり低い。
それが話の複線になることもたびたびだったのだが。
何話頃かわすれたが放ったロケットパンチが消失してしまい片腕のまま戻ってくるシーンは子供心にもかなり異様であった。
というわけでこの稀代の名作をこの度、見直してみることにした。
続報はいずれ。
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※アニメ化された永井豪作品では下記の「真ゲッターロボ」とOVA版「デビルマン」 の二作が原作の永井豪テイストを再現している。描写はグロテスクであるが凄まじい躍動感が動画で再現されているので未見の人は必見であろう。
これはゲッター線を巡る壮大なミステリー作品である。本来あるべき姿のゲッターロボ。アニメ版とは合体システムを共有しているが世界観、
ストーリーの奥行きは家内制手工業と多国籍企業くらいの差がある。宇宙論、
進化論が入り交じりすさまじいスピード感で展開されていくスートーリーにはクラクラとした眩暈を感じずにはいられない。
最終話前後は絶賛です。「アベノ橋魔法☆商店街」
でもパロディの題材としてとりあげられておりこちらも出色の出来。
執筆者みずからが「デビルマンはトランス状態で描いた。どうやって描いたのか覚えていない」
と語るように原作には溢れんばかりの生命力の息吹がほとばしっている。
紙面からとびかかってくるかのような絵はベルセルクとも通じるモノがある。
その原作のパワーを忠実に再現したOVAはTVのデビルマンとは全く異なる。この作品を観ていない人を羨ましく思う。
投稿者 TKM : 2005年02月26日 17:54
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コメント
なるほどー。OVAだと地上波テレビのような規制が無いからハードな世界観とヘビーな描写が可能なわけやね。
今は映画でも特に邦画は、「○○製作委員会」とかテレビ局がメインスポンサーの場合、プロデューサが投資先の顔色を伺うことしかしないので、結果として監督もスポンサー寄りの作品作りになってしまい、エッジの効いた表現上の冒険ができない状況らしいしねぇ。
そういう意味で、以前かがやんとも話したような気がするけど、OVAやVシネマが最も自由に作品作れて表現として突き抜けたものもOKなんやろね。
先日、近くの定食屋で「デビルマン」を読んで壮大な世界観と終末感に圧倒されたので、OVA版見てみるかな。
(あと、怖いもの見たさで昨年の映画版のDVDが出たら要チェックかも)
投稿者 やましん。 : 2005年02月26日 18:18
OVAオススメです。
アニメ・マンガ・小説、いやコンテンツ全般にいえることは「マイナー」であることがコンテンツの質を向上させるね。ここにはなんらかのシステムが機能している。どんな監督・クリエイターにおいてもこの法則はあてはまるからね。
プレゼン目的のコンテンツは消費はされるけれどそれが更なるクリエイティブを喚起する方向には働かないと思う。これが最大の問題だろうね。
コンテンツにポイントシステムとして独自の指標をもうけるしかないなあ。いまはコンテンツに対して通貨が定量的なポイントとしてうまく機能していない。
投稿者 かがや : 2005年02月26日 18:30




















































































