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2005年03月30日
時間について雑感
夜、Skypeで友人達と話す。
みんなは仕事を終え、家にかえってゆっくりしている時間だ。
自分の場合、昼間は調査や請けの仕事や雑務で自分の仕事をはじめるのは夜11時頃からになる。 この時間帯から朝までやって11時頃に起きる。
午前中にかかってくる電話にはほとんどでない。
たいていは急ぎの内容でもないからウチの電話は常に留守電になっている。
用事のある人はメールかメッセージを残してくれるから問題はない。
明日は午前中から三田でミーティングである。といっても大学ではない。
明日の用事は別な場所である。
昨日は『オーマイニュース』の挑戦を読んだ。
韓国は熱いな。
日本だと2chがこうしたエネルギーの集積所になっている。
同じネットのメディアでもモードは随分ちがうものだ。
日本でこの種の論戦が成立するのかは微妙だ。
以前は匿名以外では本音を言えないような環境は最低だと思っていたが考えが変わってきた。
匿名で語られる言葉については批判や苦情がおおい。実際、 批判や苦情をいいたくなる内容も多いのだがそれが何であれそこにエネルギーがあるならそれを否定すべきではない。 表現形だけをみてあーだこーだいうのは誰でもできるし意味がない。それこそエネルギーの浪費だ。
エネルギーは同じ形に固定され続けることはない。
けれどそれがどのような形でどのタイミングで相転移するかを予測することは難しい。
新聞やジャーナリズムについて言及しているブログもたくさんある。 遠回しな言い回しが多いので読むのは結構時間がかかるし疲れてしまう。 しかしあれだけの量のテキスト群が無償で公開されているのはスゴイことだと思う。
よい本や面白い本を見つけるのは難しい。
売れる本がいい本である、という議論もある。
しかし、売れるかどうかはシステムの振る舞いによって決まる。
絶対にハズれない商品など存在しない。
ものごとは無限の直線ではなくカーブにそって進んでいく。
狙って売れるものもある。
しかし中につまっている情報が売れたのではない。
モードが同期したのである。
エネルギーとはそういう性質のものだ。
今のタイミングだとコンテクストが変わるまで日本ではオーマイニュースのようなメディアが受け入れられることはない。だが、 それを嘆く必要もない。
政治意識を持てと危機感を煽る人がいるがそれを語る人でカッコいい人には出会ったことがない。
僕は政治のシステムに興味はあるけれど政治好きな人は好きじゃない。
いい政治というのは人々が政治の話などしようと思わないような政治だ。
使うべきモードを間違えた正論は役立たずなノイズだ。
チャンネルの周波数が違っているならメッセージの内容を変えずにモードを変えればいいのだ。
簡単なことだと思うのだが。
小学生の頃の道徳の教科書に「怒り」の重要性を論じたエッセイがあった。
怒りには効用はない。
文句をいう時間と労力の無駄である。
問題はアソビなノリで解決する方が得だ。
飲み屋で交わされる議論の100%は唄のようなものだ。
それは話であって実行ではない。
内容にかかわらず話すことが楽しいから話すだけである。
そういう割り切りがないなら、話をとっとと切り上げて帰って眠った方が幸せである。
石井先生もいっていたが能なんかで眠るのは悪いことじゃない。
古代の宇宙観的リズムが心を静めていくのだ。
心地よい眠りへの誘いは穏やかにうけいれればいい。
それが自然だし、クラシックだってもとは貴族の子守歌だ。
あがめて奉るのはかまわないがバカ騒ぎの輩は早々にご退陣ねがいたい。
小澤征爾も「一番後ろの席で眠るのが最高に心地よくて大好きな聴き方なんですよ」といってたし。
面白さもなく、刺激もないならそれは対話ではない。
拷問だ。
分かり合うというレベルのコミュニケーションをやろうと思ったら、虚空に舞う他に方法はない。
つまりコミュニケーションのコツは断絶を許容することでもある。
不自由さは嘆くほどの問題でもない。
刺激の数は無限大で時間は有限だ。
自分が夢見ていることはそう多くない。
シンプルだ。
ハードルではなく好みによって人は最適化される。
それは真理だ。
陸上競技に限らずハードルは非効率な存在だ。
ハードルそのものをとっぱらってしまえばボトムアップの知が起動して最適化が実行される。
お金の効率を今の10000倍くらいにした状態をイメージして欲しい。
価値とはコンテクスト依存であって絶対的なものではないことに気づく。
あるものを好む人もいればそうでない人もいる。
ハードルがなくともパターンは自然にできあがる。
また、歪みは最小化され事象は最適化される。
投稿者 TKM : 03:17 | コメント (0) | トラックバック
2005年03月29日
今晩もプロジェクト
というわけで今宵もプロジェクト会合。
ディスカッションしてアクションにうつってとあっというまに時間が過ぎていく。
長いことアタマをドライブさせる議論をしていなかったのでこういう時間は自分にとってエンターテイメントの極みである。 ラクではないが楽しすぎだ。課題やグループワークで学校に泊まったりしてた頃、以来ではなかろうか。
追伸:やましん、録画、アドバイスなどもろもろありがとう!
投稿者 TKM : 04:32 | コメント (0) | トラックバック
2005年03月28日
音声入力の新兵器
かわむらさんに教えてもらったのだが最近のICレコーダーは音声認識ソフトと連動しているものがあって録音した音声をテキストに変換できるのだそうだ。
ナニ!?そんなことができるようになったのか?!
と驚きつつも「どーせ音声認識といっても大したことないだろうな」
くらいに思っていたのだがかわむらさんが音声認識機能をベースに作成したテキストなどをみると「もしかしてつかえるんじゃないのか?」
と印象がかわってきた。
僕は取材は好きなのだがそれを原稿におとす作業が死ぬほど嫌いだ。
全くの不毛に思えてしかたがないのだ。
誰かが全部をテキストにしてくれてそれを編集していくならいいのだがアレを自分でもういちど聞きながら適時テキスト化し、
再編集というプロセスは人生という有限な時間の無駄遣い以外の何ものでもないと確信している。
これまでにもいくつか音声→テキスト変換ソフトを同封したICレコーダーはあったけれど芳しい噂はきいたことがなかった。
なのでかわむらさんのICレコーダー体験記はかなり興味深く読んだ。
ICレコーダーやケータイが音声データをテキストに変換する機能を持てばいま世の中にあるテキスト情報の生産力が劇的にアップするんじゃないかと思う。 ブログというプラットフォームができたおかげで様々なテキスト情報が発信されるようにはなったけれど生成されている言葉の量としてはまだ話されているワード数の方が書かれる量よりは圧倒的に多い。
話されている言葉群が情報として検索可能な形でにじみでるようにテキストとして生成されるようになったら情報のかたまり具合というものが変わっていくだろうし、 かなり興味深い。
例えば映画を見終わった後の人々の会話というものがテキスト化され収集される、みたいなことが上映毎に行われたらどうだろう。 そうした情報提出作業に対しては対価が発生するだろうけれどそれを入場料に反映させるというやり方もある。 あるいはインターフェイスの問題であって、エンターテイメント性を付加することで作業ではなくアソビに転換するやりかたも考えられる。
アンケートもいまだと退屈な作業でしかないが、あれが対話型になったら随分違う。飲食店などでもそうだ。人が感じたり、 思ったりするその情報はいままでその多くが活用されることなく個人の心証として眠ってしまっている。 それらは単独ではたいした価値をもたないけれど集合的知として再生されることで別な情報へと姿をかえる。
僕が興味を持つのは情報のダイナミックな振る舞いだ。
そしてゆっくりとだけれど世界はそういう方向に向かっているんじゃないかと思う。
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投稿者 TKM : 13:23 | コメント (1) | トラックバック
お客様
という言葉が安易に使われているとムカついてしまう。
「お客様のためにできること」
みたいな物の言い方は大嫌いだ。「じゃああんたは何様ですか?」といいたくなる。本音がないのだ。ようは功利主義じゃねーのかお前よ。
「じゃあタダでそれくれよ」
とか言われたらどう返すんだろう。
「喜ばれるとか感謝されるとなんか役にたった感じがしてキモチイイだけなんだよね」
とか言われた方が納得がいく。誰かに必要とされると人はキモチよい。それは事実だ。
それが都合のいいときだけ「様づけ」なものだから違和感がありまくりなのである。
時々、聞いているとこちらがが恥ずかしくなるような言葉にでくわす。それはそれで「イタイ」存在であり音であり体験である。 自分もそうなっている時があるけれど、本人は気づかない。
TV番組などで告白のドキュメントなどみせられるとかなりイタイ。 ディスコミュニケーションが映像化されるとイタすぎてみていられなくなる。
しかしそのイタさはエネルギーでもある。
だから人をひきつけもする。
人が集まるところには理由がある、と思いがちだが自己組織化が組み込まれている場合、
フィードバックが作用するから理由にどれだけの重みがあるかは疑問だ。むしろ重要なのはコンテクストの方だったりするが単純化が難しい。
なので後付で適当な理由をこじつけたりしてしまう場合が多い。
特にメディアの仕事はそうだ。
惚れたり嫌ったりするのに理由があるかい?
ないね。
相互作用と作用反作用の所作だ。
投稿者 TKM : 05:24 | コメント (0) | トラックバック
狂った夢 ~牛と象~
昨日、かなりマッドな夢をみたのだけれどテキストに起こす間に忘れてしまいそうだったのでいそいで録音してみた。
日記だと書いている間に記憶が飛んでいくので録音の方が夢の記憶には向いているような気がする。
投稿者 TKM : 02:53 | コメント (2) | トラックバック
2005年03月27日
風が香る夜
夕刻、というよりもいまは夜ですが。
空気を入れ換えてベランダにでてみたら、夜の風がなんともほのかなかおりをはらんでいて気持ちよかった。
風が香る夜というのは最高ですね。
投稿者 TKM : 21:31 | コメント (0) | トラックバック
Cubeのウェブサイト素晴らしすぎ
何気なく
■日産Cube WIRED
http://www2.nissan.co.jp/CUBE/WIRED/top.html
のプロモーションサイトをみていたのだがこのプロジェクトに出てくる「井上卓」さんのアニメーションが俊逸の出来です。 オーソドックスなFlashアニメーションなのだけれどバランス感覚が最高。こういうのが毎日1話送られてきたら楽しいだろうな。
また蒸気のCube WIREDのサイト自体も素晴らしいバランス。 Cubeのデザインやコンセプトにインスパイヤされたクリエイターが商品をモチーフに作品をつくるというプロジェクトはゴテゴテ感が全くなくてとてもキモチがよい。
モーションピクチャー系のCD-ROMなんかのノリと似ている。
こういうサイトだったら大歓迎です。
日産に対する好感度がかなりアップしました。
投稿者 TKM : 21:02 | コメント (0) | トラックバック
衝撃の蛙ワールド ~ビジネス、商活動雑感~
■ビジネス、商活動雑感
ネットを行き交う洪水のようなビジネス、商活動に関する情報やらメールマガジンの一群をバーっと眺めてみた。
そこでは夢の中の夢のように方法論が商品として活溌にやりとりされている。
商活動のやり方自体が商活動化している。
それだけみると「不毛」な感じもするけれど、その是非はあまり重要ではない。
人が動けばそれだけでエネルギー、熱量のような場が発生する。
面白いのはそこだ。
ここからが本題なのだけれどそれって「エンターテイメント」っぽいなと僕は感じた。
良し悪しの判断を外して「俄」としてみていくと違った像が見えてくる。
人々がなんで熱中するかといったら、ミッションやら意義もあるだろうけれど本質は脳の反応であって、刺激を感じるからやってるわけだ。
で、そこに「良し悪し」はない。
ポイントはここだと思うんだよな。外ではなく人の中。
■衝撃の蛙ワールド
あと全然、話は飛ぶけれど
「井の中の蛙大海を知らず」
という故事成語がある。
誰でも知ってるよね。
しかしこの言葉には続きがある。
先日教えてもらったのだ蛙話はこう続くそうだ、
「されど空の深さを知る」
これほど重要なワードが後半部分に隠されていたことをつい先日まで知らなかった。
当然、蛙ワールドの意味も大きくかわっていく。
「世事には疎いが、
本質にかかわる
深い道理を透徹している」
結構な衝撃である。
(先日放送されたNHKの新撰組でもこのエピソードがつかわれていたようですのでご存じの方も多いかもしれません)
通常つかわれてる蛙ワールドの例え話がペテン系に思えてきてしまう。
やられた感たっぷりである。
蛙万歳。
空を知らない大海の蛙より宇宙の摂理連動型な「井の中の蛙ライフ」の方が1000倍も「オヤ?!」
感があってマシじゃないか、と思うのは自分だけだろうか。
追伸:「空」「天」の「高さ」「深さ」「蒼さ」など諸説あるけれど、後半部分は日本でつけたされたものらしいです。
投稿者 TKM : 16:29 | コメント (5) | トラックバック
2005年03月26日
予約は偽名で
これまたタド発のいいネタ。
共通の友人である女性の話なのだがなんでも彼女は居酒屋でもどこでも予約するときに偽名を使うそうです。 以下、僕たちの会話。
「へー、で、彼女どんな名前つかうの?」
「うん、なんかねオトノという名前でやってるみたいだよ」
「へー、そりゃまたなんで?」
「うん、僕もわからなかったんだ。でもこのあいだ権八にいったときに理由がわかった」
「へー、そりゃまたどんな理由だったの?」
「うん、案内のアナウンスが流れるんだけれどそこで判明したんだよね。
3名でお待ちの
オトノ様
いらっしゃいますか~
ってやってましたよ。」
はっきりいって…バカである…。
しかしこういうファイトスタイルはアソビゴコロがあってカワイイ。
才能あるよ、アンタ。
惚れそうになりました(ウソ)。
投稿者 TKM : 12:50 | コメント (5) | トラックバック
ウェブデザインとCMS
についてタドと熱く語り合ってしまった。
敏腕ウェブデザイナーでもあるタドの指摘はひとつひとつ含蓄に富むもので話をきいていると随分勉強になる。
「ウェブのデザインは常に変わるんだよ、いや変えなきゃいけない」
実際、その通りでカッコよく見えたデザインも半年もすればヤボったく見えてくる。 デザインが悪いということではなく人の感じ方の問題でずっとみていると飽きてしまうのだ。
「コンテンツは、たとえば文章なんかは面白いものはそのままでいいわけで、 会社のサイトなんかだったらベースのテキストは毎月変わるというものでもないわけだけれど、デザインは毎月変わってもいいし、 その効果で面白さに相乗効果を出せればいいよね」
そうなのである。「デザインでアソブ」 みたいなことを積極的に取り入れていけば会社のHPなんかも遊び心が出て面白くなるし、やってる側も楽しい。
「それを考えるとCMSとCSSという関係は重要でデザインとコンテンツが分離されているのでコンテンツのベースを残しつついくらでもデザインで遊べてしまう。 CMSとCSSを使ったウェブデザインの場合は絵を描くのとは違って構造的に考えていかないといけないよね」
実際、僕もここ半年はMTやNucleusを使ったサイトの構築しかやっていない。 ノーマルにHTMLを書くのはえらくやぼったい作業に思える。また、 CSSを用いないでデザインされたサイトというのは一目でヤボったくみえる。それとコンテンツの面白さとは直接は関係ないけれど、 例えば1101.comなどのようなコンテンツはCMSとCSSで管理したらより楽しくなると思うのだ。
1101.comはいまだに手書きなHTMLのテイストを残しているけれどRSSリーダが必須になってしまっている自分としてはCMSへ移行してRSSフィードを組み込んでくれたらいいのにと思う。
コンテンツを更新するようにデザインも更新していいわけだし、 ページ数の大小とは関係なくデザインの機動力を上げる意味でCMSの組み込みは今後必須になっていくだろうな。
投稿者 TKM : 11:44 | コメント (0) | トラックバック
2005年03月25日
2005年、私が感動しているのは
洗濯の時に使う柔軟剤の存在である。
いままで32年生きてきて、最近まで柔軟剤というものの使い方を知らなかった。というよりも存在そのものを認識していなかった。
棚にあるのは知っていたが何故そのようなものがあるのかを理解していなかった。
盟友のナオコさんと買い物にいったときに彼女が
「あ、あたし、フィンランドでもずっとコレつかってたんだ」
と乾燥機用の柔軟剤を指差し、
「いい匂いするから香りをかいでみて」
といわれて「ホウ、そんなものか」と香りをかいでびっくりした。
長年の謎が氷解したのである。
女の人でも男の人でもいい香りのする服をきている人がいるのが不思議だった。香水のフレイグランスとも違う。 洗濯に使う洗剤が特殊なのかなと思っていたのだが実は違った。なんと彼らは柔軟剤を使用していたのである。 (全然話は飛ぶけれど洗濯した後にほったらかしにしておいて、あ、いけねえ、 と後から必死に干したりした洗濯モノって乾かすと生乾きな異様な匂いになるのは何故なんだろう?)
洗濯に関しては素人だが(プロもいるはずだ)洗剤のみで洗濯しても同じような香りにはならない。
ポイントは柔軟剤の使用であった。
柔軟剤を使用し、干した衣類にはほのかな香りが残る。これは洗剤のつくりだす香りとはぜんぜんちがう。 髪を乾かした後のシャンプーの香りに近い。
柔軟剤をつかって洗濯された服はいい香りにつつまれている。
服を着ると同時に香りも着ている感じがする。
というわけで2005年は柔軟剤のおかげで
「服を着る」=「香りを着る」
な感覚でやたら心地よい。
投稿者 TKM : 15:21 | コメント (2) | トラックバック
啓蒙系の本ってけっこう麻薬系なんですね
ブログに限らず、書店にいくと啓蒙系の本が多い。
平積みになっていたり、ベストセラー紹介の書棚にもたくさん並んでいる。
曰く、
「素敵になれる」
「しわあせになれる」
「成功できる」
「天才になれる」
中には
「年収○○○○万円になれる」
といった具体的な数値まで書いてある本もある。
総じて
「○○になれる」
「○○のつくり方」
「○○の技術」
とマニュアルスタイルが「ウケている」。 そんなにはやっているならばと読み始めてみるとこれらの本は結構おもしろくて
「ほほー」
とか
「なるほどー」
と感心してしまい、
「では次も」
と気づけば本屋で4冊くらい座り読み(銀座Book1stには椅子がおいてあって読めるようになっているんです。 新刊の図書館状態で僕にとってはパラダイスだ)していた。
でもこれらの本。
「うわー、オモシレー」という感じとはどこか違うような。
なんというか読書中に脳の中に麻薬的な
「ここちよさ」
をつくってしまう。どの本でもだいたいやり方は似ているだけれど
「現実世界はこうですよね。どんなにがんばってもうまくいく時もあるしいかない時もある。」
と現実世界を単純化したモデルに置き換え、いろいろな人にあてはまるような曖昧な言い方で読者の不満やら不安を刺激する。 それから
「それはこういう理由だからなんです」
と解説をしていく。そして最後は
「さあこれで新しい扉がひらけました」
と大団円のエピローグ。
書き出してみるといたってオーソドックスな構造なのだがこの単純化のモデルづくりと解法を導き出す話術がやけに絶妙で芸術的にうまいのである。
(※ずっと大円団かとおもってたんですが正しいのは大団円だったんですよね自分の日本語もかなりやばい。
小学生の頃もバントラインをバランライトと脳内で変換していたり。自分語が結構あるかもしれない)
いや読んでみるとわかるけど自分ワールドの語り口で現実世界をバッサバッサと切り捨てていく様はそれはそれは
「気持ちよい」
時間です。「実際、そうだよなー」とけっこう納得させられたりもする。でも、この効果はそう長くは続かない。よくて5時間くらい、 悪ければ10分程度で消えてしまう。時限性で切れてしまうあたり、やっぱり麻薬的だ。なもんだから、
「やばいやばい、切れた。では次ぎも」
と読んでしまうわけだ。巧妙だなーと感心してしまう。問題は「単純化」のプロセスにある。 ほとんどの本は現実世界に通底する何らかのパターンを体験的に感じ取って書かれていると思う。そういう意味では著者群は感覚が鋭いのだろう。 けれど著作の多くは極端な「切り捨て」による作為的な「シングルリアリティ」 の創出をおこなっていて、いずれの場合もある種の「ユートピア」 的世界での仮想である。
その世界には誤差がない。
だから「キモチイイ」。
というわけで著作という虚構が過去の一元的世界へ向かう一方で科学の最先端はより「フィクションだろこれ?!」 みたいな世界を志向する。閑があったら「Nature」とかの論文を読んでみてもらいたい。 先端では何をやってるのか知るとけっこう口があんぐりと開きっぱなしになってしまう。( コレとか量子をクラスター単位で扱う研究だそうだ)
世界でもトップの知性が本気で思考してるのは多世界とか多宇宙の研究だったりするんだから小説が売れないのもよくわかる。 (逆に売れる小説が描くのは極度に単純化された世界であったりするのは相関があって面白いけど)
「パラレルリアリティ」 な現実世界では単純化で切り捨てた部分が分節後にウネウネと動きまわり独自に自己組織化し、 群体レベルでインテリジェントな振る舞いをしてしまったりする。そしてバイオハザード並みに強烈な生命力で蘇ってくる。
フィクション、いや、コンテンツは積極的にこういうのを取り込まないとすり減っていってなくなってしまう。 繰り返しになるけれど人にとって最大、最高のコンテンツは「人」だと思うのだよね、僕は。
投稿者 TKM : 14:51 | コメント (1) | トラックバック
2005年03月24日
タドにインスパイヤされ、Nucleus
yoppa.orgにインスパイヤされ久しぶりにNucleusをインストールしてみる。
テストサイトはココ。
いつの間にかいろいろなテンプレートが追加されており楽しい限り。
使い慣れたMovableTypeとはデザインの書き換えなどの手順がずいぶん違うので慣れるのに時間がかかった。 とはいえ一度流れをマスターしてしまえばあとははやい。自前でサーバを用意してMTのインストールができる人なら、一日、 勉強会の日を決めて合同でNucleus勉強会をやればデザインを含め自在に扱うことができるようになるだろう。
インストールだがこれがまた俊逸の出来で、データベースの作成まで自動でやってくる。
これと比較するとMovableTypeのダイナミック生成は設定が煩雑でやぼったく見えてしまう。Nucleusには再構築プロセスがないので快適なことこの上ない。一日のアクセス数が数千~1万レベルならばMTもダイナミック生成に変えた方がいいね。
久しぶりにCMSツールに触れての感想だがまだまだ改良の余地がある。 AppleにCMSをつくらせたらこのように煩雑なインターフェイスはあり得ない。
「A→B→C」
くらいの操作で自在にCMSを利用したサイトの運営ができてしまう、みたいなiTune、iPhotoライクなものになるだろう。
数年もすればパソコンが標準でブログに類した個人向けナレッジマネジメントシステムを搭載するようになる。 外部に公開するかどうかはコンテンツ単位でオン・オフできるようになっていればいいし、その取捨選択にも自己組織化プロセスが適応される、 などなど、情報が情報とダイナミックに結びついていく様をイメージすると生命的な躍動感や鮮やかさに恍惚としてしまいそうになる。
情報世界、楽しすぎである。
※注:ロリポップのSQLサーバがどうも遅すぎる感じです。 いくつかサーバを契約しているのですが最近契約したサーバとくらべると遅さが目立ちます。新しいアカウントほど最新のマシンでしょうから、 高速なのかもしれないですね。 とはいえそれが理由で借り換えというのも馬鹿らしいので僕もyoppaにならってsakuraにドメインごと移動するかもしれません。 なにせ1Gもつかえて、500円ですから。
投稿者 TKM : 17:30 | コメント (0) | トラックバック
2005年03月23日
MP3テスト
下記ファイルはPodcastの実験です。
MovableTypeにPodcast用のプラグインを組み込んでみました。RSS2.0のフィードをPodcast対応ソフト (doppler)に登録してみたところうまく動いているようです。
この仕組みを使って、子供達、高校生や中学生に学校放送をつくってもらい、外部向けではなくMixiのようなSNS (ソーシャルネットワークサービス)として利用していくと面白いのではないでしょうか。
高校の頃は校内向けのFMなど放送メディアがなかったので放送部がどのような活動をしているのか、 どんな番組をつくっているのかなどわかりませんでしたがこうしたメディアがあればマスを対象としたコンテンツではなく、 クラスや学校といった少人数(数百人)を対象としたコンテンツを製作し、放送することができると思います。
大勢を魅了しなければならない放送コンテンツをコンスタントにつくるには時間と資本と労力がかかります。しかし、 数百人を対象としたコンテンツの場合は「地」でいった方が面白いものになる場合もあります。あとはアイディア次第だとは思いますが。
今回、やっていて思ったのですがPodcastには内容に向き不向きがありますね。
大上段に構えた論壇的なトークをしようとしても慣れていないので書くようにはできません。
自分のようにメディアに露出するという経験が少ない人間は実体験を伝えるのがいちばん面白いんじゃないかと思います。
そういうことでいくと月島のことや、築地のこと、吉野家一号店の驚きの真実などなど、が面白いのかな。また、 石井先生との会合や各種勉強会やイベントについてのコメントなども実体験がベースになりますのである程度、 ライブ感をキープしたまま話せるのではないかと思います。
そうそう、もう一つ、簡単なことですが3~4のトピックスを事前に箇条書きにしておくほうがいいな、と思いました。
投稿者 TKM : 23:13 | コメント (0) | トラックバック
16歳の合衆国
映画館で観たかった。
この映画は映画館でみたかった。
そう思う映画はたくさんあるけれどこの映画も一人で誰もいない映画館で観たかった。
最近、そう思うことが多い。
映画館という場所がつくりだす非可逆な時間感覚は自分の中にある時間や世界に対する本能的な感覚を呼び起こす。
時間はいつも非日常的でそれがあることに気づかず日々を過ごしている。
しかし、妙にリアルで、質量を持った生々しい存在として迫ってくることもある。
外は雨である。
アメリカ人の友人は日本の雨をみて
「唾のような雨で嫌いだ」
といっていた。
先日、古い映画と今の映画には根本的に違う何かがある、というようなことを書いた。
この作品を観てその思いは強まった。
今という時代に50年前の映画のモードをつくることは難しい。
同様に50年前にはこの映画や「ケンパーク」、「ジュリアン」のような映画も作れない。
■「16歳の合衆国」公式サイト
http://www.16sai.jp/
投稿者 TKM : 17:42 | コメント (1) | トラックバック
BAD LUCK・バッドラック ~今年、一番買収したい本~
■「バッドラック」
相当に強烈な帯のコピーなんですが内容もかなりスゴイ本でした。
ある日、二人の小さな神様は暇つぶしにありふれた平凡な男を不幸にするという悪戯を考えつきます。しかもスケジュール付きです。
AM10:00 アレックス、目覚まし時計が止まる。
AM11:00 アレックス、上司にいじめられる。
AM11:30 アレックス、仕事で大失敗をして大恥をかく。
PM 2:00 アレックス、円形脱毛症になる。
PM 3:00 アレックス、会社をクビになる。
PM 4:30 アレックス、殴られる。
PM 6:00 アレックス、詐欺に遭う。
PM 8:00 アレックス、自宅が火事になる。
PM10:00 アレックス、死亡する。
こんな感じ。
かくして不幸を約束された男アレックスvs神様の用意した不幸チームの戦いの火ぶたがきっておろされます。物語は神様の視点、 そして男の視点から描かれていきます。
この本のスゴイところはこの寓話風の舞台設定をつかってテキスト・本を徹底的に「アソビ」 倒す発想のぶっ飛び具合です。本自体がアソビなんですね。それがテキストの醸し出すドライブ感につながっていきます。 読書・執筆がもうイベント的といってもいいかもしれません。そう、読書というよりもライブっぽいのです。
「オシャル技術」以降、 ずっとフォローしてきましたが、著者の水野敬也氏は、発想の天才です。
特に序盤のリアル「ジャパニーズスシ」、「生土下座」 というセリフには不覚にも書店で笑ってしまって結構変な目でみられたかもしれません。
物語自体は中盤以降でパワーダウンしている気もしますがそれでも中盤までのたたみかけるようなぶっ飛びな発想群は素晴らしすぎです。
企画・プランニングにおいて重要なのはこの「アソビ感」なのです。
名著「アイデアのつくり方」でジェームス・ウェブ・ヤングがいっているように
「アイディアとはく既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない」
のです。バッドラックを読んでみるとわかりますが一つ一つのシーンそれ自体には目新しい要素はありません。 しかしこの本にはどうしようもなく「新しい感」があります。
これは物語を構成する要素の組み合わせの新奇性から来ている面白さなんですね。
絵の使い方、どうしようなくくだらないシーンをあえて真摯な文体で描く等の「コンテクストの逆あて」
を用いることで地と図を転換し、カーニバリスティック(故江藤淳先生の造語です)
なテキスト空間を創り出すことに成功しています。
とにかく序盤に出てくる「KOKESHI」「SUSHI」「DOGEZA」 この三つのワードの使い方だけでも大学の講義半年分にも匹敵するアイディアの「原点(ソース)」 を体験できます。というわけで最近読んだ本の中ではかなり衝撃を受けた一冊です。天才とはいるもんですね。
投稿者 TKM : 00:00 | コメント (0) | トラックバック
2005年03月21日
トンネルとトロッコと恐竜の夢
ロケッティアのようなマシンを背負わされ、3人で空に舞う。
地上からもの凄い勢いで上昇していくあいだにハーネスがずれて腕でホールドしなければならない状態になった。離すと危険なので必死だ。
地上につくまでに教科書の選定をしていつが売り時かを決めなければならない。購入価格は3000円だった。 噂では3480円になっているらしいのでここで100万株分を売却することにする。
夜間ではあるが売り注文だけ出しておいてトロッコの旅にでる。
トロッコは山道をガタガタと登っていく。
闘争があることはわかっていたのでメインの線路を進むトロッコに併走するかたちで階段を登る。しばらくして戦闘がはじまった。
トロッコは進んでいく。
二人の人間による闘争のようだ。
一人が先周りしてトロッコ道(4方が板で囲われた専用のトンネル)の下をハンマーで破壊している。しかし、
間一髪のところでトロッコは通過していった。
大きな坂を上り終えるとトロッコは第一チェックポイントに到着した。丘の頂上は開けており、下り坂になった広場がある。 そこには直径3mくらいの蛇腹場の白い筒が3本、下方に向かって口を広げている。
一番左の白いトンネルの中をのぞくと長さ1mくらいの食べかけのフライドチキンが2本転がっていた。
50mくらい下の方でトンネルは終わっている。最後の方は傾斜がゆるくなっている。トンネルの終わりのあたりに水たまりと泥があって、 小学生の頃に歩いてかえった河原の堤防の道に似ている。
ここはいったいなんなのだろう。
あたりをみまわしていると体長1.8mほどのハイエナ系の小型恐竜が30匹くらいピョンピョン跳んできた。
トンネル内部に逃げ込んだが奴らは苦もなくトンネルに侵入してくる。丘の頂上までもどってトロッコに退避する。途中、 忍者刀を借りて応戦するがそんなものでは傷をつけることもままならない。トロッコ道は柵の向こうにある。 どうにか柵を跳び越えると奴らは柵を越えられないようでそれ以上の追跡をあきらめたようだ。
投稿者 TKM : 10:21 | コメント (0) | トラックバック
エリア・カザンの「紳士協定」素晴らしすぎだ!
この時代の映画って奇跡ではなかろうか。
全てのバランスが最高レベルである。
このように物語というものが描けるものなのか。
驚き、ただ驚きで、ラストシーンを見終えた時に口をついてでた言葉は
「この映画、素晴らしすぎだ」
であった。それほどまでに僕はこの映画を絶賛する。
波止場も奇跡のようなバランスだが「紳士協定」…これは…。
あのラストシーンは素晴らしすぎる。
現代の映画とは根本的な部分で何かが違うように感じる。
時代の空気といってしまえばそれまでなのだが、セリフ・バランス、それら全てに現代とは異なるモードがある。おそらく同じセリフ、 同じカット、同じ時間、でリニューアルしてもああはならない。
パッケージとしての作品には物語とは異なる情報が折りたたまれている。
この感じについて自分の言葉でざっと書き留めていく。
・時間が織り込まれている
・時代がそこに立ち上がる
・劇世界なのに言葉が滑っていない
・言葉のバランスが効いている
・人間が良き時代の人間で構成されている
・実際にそうした人々があったように思う
・世界が素直である
・現実に素直であったように思う
こうした感覚が物語の後ろに別な地と図、ゲシュタルト感をつくりだす。
この感じはおそらくあと数十分しか続かないだろうけれど素通りできる感覚ではない。
先日「砂と霧の家」という映画を観た。
ベン・キングスレー演じるイランの元大佐がイスラムの教えを話すシーンがある。
「イスラムでは迷い込んだ鳥は神の使いと言われている。彼女は傷ついた鳥だ。 私たちは彼女を助けなければならない」
このセリフを境に主人公(ジェニファー・コネリー)に対しての彼の意識の方向が変わる。 揺らぎなく、圧倒的な安定感を持ちながら、開いていく感じである。このシーンに強く惹きつけられたし、まだあの感覚がどこかに残っている。 あの瞬間の意識の方向性の変化としなやかで穏やかな強さ、あれは何なのだろう。あの感じ、「クオリア」は単語にできない。それが悔しい。
※「ボビー・フィッシャーを探して」のベン・キングスレーの感じももの凄くよかった。 この映画でも一番印象的だったのは決勝を前にして、最後の最後で彼の心が開く場面だ。あのシーンはよかった。
投稿者 TKM : 02:50 | コメント (0) | トラックバック
2005年03月20日
福岡地震
の報をみて野知さんに連絡を試みるが電話回線がダメージをうけているようで
「ごめいわくをおかけしておりますが平常にもどるまでは相当時間がかかる見込みです」
とのアナウンスが流れるのみ。
災害時にミクシーなどのサービスが連絡網として利用された事例を以前、
石井先生にきいていたのでさっそくミクシーにアクセスしてみたがまだ野知さんから詳細はアップされていなかった。
状況を伝える情報がどこかにないかと探してみたら野知さんがやっている「まちとものがたり」 というサイトの編集日記に野知さんのパートナーのWATA氏がレポートをアップされていた。
レポートを読んでいくと現地での揺れはこちらが想像していたような機械的なものではなく、 継続的な模様で地球がいきづいているかのような印象をうけた。
投稿者 TKM : 15:16 | コメント (3) | トラックバック
劇場終了
結構いい感じに。
なんとか終了。
友人と語らうことに。
詳細はいずれまた。
投稿者 TKM : 00:46 | コメント (0) | トラックバック
2005年03月19日
○けん劇場、今日は本番です
ということで今日はアソブラボチーム3人はフル参戦です。
がんばるぞー。
って、チェックしたら朝からブログ更新してる…。
やるな、○けん。
投稿者 TKM : 09:13 | コメント (0) | トラックバック
2005年03月18日
○けん劇場第二幕・コイン届けの巻
って、これジョークだと思ったよ。
農産物物流コンサルタントって漢字書けなくてもいいのか!?
オレとカネコなんて「コイン届け」かと思ったよ。
しかしてご覧じろ。
(あまりもの衝撃に久々にトラックバックをつかってしまった!)
投稿者 TKM : 13:08 | コメント (3) | トラックバック
雑感
今日もタフである。
明日が楽というわけでもないが。
沖縄のキッペイと3分ほど話をした。
その時間が素晴らしかった。
何がということはないのだが素で話ができる相手はそう多くない。
やまけんから連絡がこないと心配していたが大丈夫だろうか。
新○旅行もかねているので大変なのかな。
それはともかくとして明後日はビックイベントだよな。
You may have a happiness forever
なのだが我々はまだ実感がない。
投稿者 TKM : 03:55 | コメント (1) | トラックバック
2005年03月15日
やまけん劇場よりトラックバック ~自由人というよりも自遊人(どうもオヤジくさいなこの漢字)~
やまけんの「心から横浜・ 東山田中学校を応援する。」というエントリーで
僕のWebの読者さんからよく「加賀谷さんって何ものですか」ときかれることが多いのだが、自由人である。
と党首よりお褒めの言葉をいただいたのでちょっと補足。
といってもまたしても時間が迫ってきているのでメモ的に。
確かに自由人的ではある。
まず、ストレスフリーな生活をしている。
これはかなり大きい。
先日、電車に乗っていて気づいたが人間はフィジカルな部分で負荷がかかったり不快を感じたりするとその作用反作用で態度、行動、 言動にエネルギーを転化してしまう。なんでみんなしかめっつらなのだろう、とずっと不思議だったのだが何のことはない物理的な
「不快感ばっちりの状態」
が理由であった。ひとりひとりのパーソナリティの問題かと思っていたがそうじゃないのだ。
にしてもだ。
電車がさスゲー楽しかったら人生というか、東京が別な国になると思う。
「あー、はやく電車のりてー」
とかみんながいってるような電車のあり方とか。そういう状況を想像してみるとオモシロイ。なんだろうな「香り」とか「温度」 って結構でかい要素じゃないかな。プレミアム車両とかあってそこにいくと妙に豊かなフレイグランスと空調になってるとかだったら10% くらいのプレミア料金を払っても乗りたいと思う人って結構いるんじゃないだろうか。
あっと、話がとんでしまったので本線にもどそう。
ストレスの話だった。
そうそう普段、誰かに気兼ねするでもなく、時代や時間を体験できればいいかな、というのが自分のスタンスです。
かといって悠々自適というわけでもないけれど。
最近よく思うのはみんな競争とか成功とかいうけれどそういう意味でいったらいまの我々の生活は100年後の人々からみればかなり原始的なものになってるだろうわけで。 これから50年後に産まれる人達にはいまの誰もかなわないわけだ。そういうのを考えると現代で「競争」 とかやってもほとんどミーニングレスなんではないだろうか。
文脈は5000%くらい違うが僕の好きな鈴木亜久里の名言があるので引用しよう。
「勝ちたいのわかるけどさ、勝負なんないよ」
(いや、このセリフすごい好きで学生時代によくみんなで言い合ってたんですね。本来はレース中、 コーナリング中に後続選手にコースを攻められて、突っ込んできたその選手のせいで亜久里がリタイアになってしまい、 そこで出た名言だったんですが)
そういうわけで未来と戦っても時間が絡まってくるからどーにも勝負にはならないと思うのだ。
車でも家電でも街でも進歩といっても動くとか跳ぶとか開くみたいな動作での進歩はそう驚かない感じがしてる。 なのでどの方向に進歩が向かうかといえばおそらくコミュニケーション分野で進んでいくだろうな、と思う。 インテリジェントになっていくといったらいいのかな。いろいろな部分でコミュニケーション絡みの機能が付加されたりパワーアップしていく。 また、人間関係、恋愛やら結婚というシステムもよりやわらかくなっていく。とはいえ人のベースは同じだから、より最適化されていく、 という言い方の方が正しいのかもしれない。
とまたしても、全然関係ないことを書いてしまった。
さて今月も結婚式の手伝いやらなにやらで楽しいことが多いのだが今朝タケと
「仕事をアソブ」
というテーマで勉強会をやろうという話になった。
「アソビ」というモードを様々な場所に注入ししんのすけ流にいえば「真似したくなっちゃう」
生活といのを考案していきたいと思ってますので興味ある人はアソブラボフェローで参加してください。
というようなことをガンガンしかけていく予定です。
そして、4月9日は新宿御苑でアドベンチャーゲームだ!
長尾君、ヨロシク!
投稿者 TKM : 15:24 | コメント (2) | トラックバック
任天堂・岩田社長のポッドキャスト配信を聴く!
■任天堂岩田社長のスピーチ(Podcast)
話題のPodcastだがまだピンとくるコンテンツにほとんど出会っていなかった。
先日サンフランシスコで行われたGame Developers
Conferenceで任天堂の岩田社長が次世代機
「Revolution」についてのスピーチを行った。
その音声ファイルがPodcastで配信されているとの記事をみつけたのだがまだアクセスしていなかった。今朝、
なんとなしに話題のファイルにアクセスしダウンロードして聴き始めた。
これが実に興味深い体験であった。
岩田社長のスピーチが収録されたMP3ファイルは下記のURLからアクセスできる。
http://www.nintendo.com/newsarticle?articleid=aac722c2-fd99-493e-9d9b-e86b6edbe4b8&page=currentNews
スピーチを聴き始めるとわかるが岩田社長は英語でスピーチをおこなっている。 ネイティブ系の発音ではないので日本人の耳にはとても聞き取りやすい。一時間あまりの講演だがこれがなかなか面白い。 岩田社長がゲームに関わっていくまでの半生などトピックスは抱負だ。
※イトイ新聞の糸井重里氏と岩田社長の対談がオモシロイのでリンクしておきます。
http://www.1101.com/president/index.html
■講演というコンテンツ
このPodcastを聴いて思ったのは先日のしんのすけの学校説明会である。
素晴らしい講演はたくさんの人に聴かれるべきで、あの講演もこのようにPodcastで配信されるべきである。当日、 その場にいけなかった人も聴けるし、講演を聴いてインスパイヤされる人もいるだろう。 一つのソースがそうやって何倍にも広がっていくようなあり方、そういうのがネットと音声コンテンツ(ラジオとは微妙に違うかな) のうまい組み方だと僕は思う。
しかも技術的には全く難しくない。難しいのは番組のつくりかただがこの事例が示すように
「講演」
「スピーチ」
というのは有力なコンテンツのひとつだ。
広告収入で運営されるラジオという媒体ではなかなかフォローできない分野だ。しかし、
この手の講演はけっこうテープやCDになって販売されていたりする。であれば全世界でおこなわれている様々な分野の
「講演・スピーチ」
をポータル的にランキングをかまして提示できれば、更にそれを自動的に編成する仕組みがつくれるならば、 これは結構パワフルな
「チャンネル」
になるのではないだろうか。うーん、これ結構オモシロクないだろうか。
例えば僕だったら格闘家の講演チャンネルというものがあるならばそこのベストセレクションなどはお金を出しても買うかもしれない。
■編成が変わっていく
まだはっきりくっきりとしたイメージはないのだけれど、まず音声でボトムアップの編成チャンネルというのが出来ていって、 その後に映像を含むHP・テキスト・音声・映像ソースが自動的に編成されコンテンツのチャンネルになっていく、 それがいまでいう雑誌や番組のような表現形になっていく。メタ番組化かな。よりインテリジェントなGoogleNewsみたいな感じだ。
既存の番組もその流れに組み込まれていき、番組のつくられ方がいまの逆になっていく。 見たいモノをつくるという方向からつくられた番組が適切な人に向かっていくみたいな感じだ。
そもそもいまでも十分に感覚やメタ情報だけで取捨選択していくには情報が多すぎるのだ。 自動化を持ち込まないととてもじゃないが処理しきれない。メールだって一日にマシに対応できるのは100通くらいだ。 ほりえもんは5000通処理するとのことだけれど、それだって5万通になったら物理的にもアウトだろう。
いまは普通にTVで観てるのは10個くらいのチャンネルだけれどこれが200万チャンネルとかになっていったら番組の番組が番組以上に価値をもっていくわけでネットでいうとヤフーみたいなものができてくるだろう。 その先だとGoogleみたいになるんだろうけれど。でも、もっとその先にいくと自動化、 自己組織化によって編成され成長していくチャンネルみたいなものになるんではないだろうか。全員、マイチャンネルを育てていて、 更にその中でもセンスのいい人のチャンネルはそれ自体が価値をもっていき売買の対象になる、ということもあるかもしれない。
うーん、やはり、メディアの近未来や変化について考えるのはオモシロイ。
■任天堂のトーンというかモードが変わってきた
流しっぱなしのPodcastでは岩田社長のスピーチの前半の山場のようで新作ゼルダのデモが始まっている。この後、 岩田社長は会場の聴衆から今週誕生日を迎えた人を6人ほど壇上に呼び寄せDS版ワイヤレス・マリオカートのデモプレイを楽しんでいる。 解説なしの音声ファイルでもその様子を思い浮かべることができるのはとても不思議だ。 これはゲームというメディアはサウンドアイコンが豊富なためで音が映像的な効果を発揮しているのだろう。 プレゼンを考える上でサウンドアイコンの重要性についてはあまり論じられてないけれどこれはかなり重要だね。
それとこのPodcastを聴いていて思ったけれど任天堂といった時にそこから想起されるイメージがDSを筆頭として「マリオ」や 「カービイ」のキャラの雰囲気がモノ化したものに変化してきたような印象を受ける。Appleっぽいというか。 PlayStaionがWindowsだとするとDSはモロにMacなノリだ。
デザインカンパニーではないけれど任天堂デザインのTVやブラウザ、OSができたらそれはかなり「アソビ」 なテイストになっているだろうし、ゲームの持っているサウンドアイコン、 インターフェイスデザインのトーンというのは今後ますますいろんなところに活用の場を広げていくんじゃないだろうか。
モノがゲームのトーンに染まっていく感じがするのだよね。おー、そしてPodcastは「エレクトロプランクトン」のデモに突入だ!これはスゴい!昔、 我々のチームでつくった「VisualPlayer」 もこういう方向に進化させたいな。
にしても岩田社長、いいわ。
声も微妙にハスキーな感じで好感が持てる。
観衆の拍手とどよめきなんかをきいてると、この感じ、やっぱりAppleのキーノートスピーチに似てるんだよね。
1時間のスピーチだけれど飽きずに聴けてしまう。おそらくTVと違って映像がないから聴けるのだろう。映像があると意識が「観る」
に向かってしまうので作業ができなくなって途中で聴くのをやめていたと思う。
何かしながらという状況に音声コンテンツは向いているのだ。
これも一種のパラレルリアリティだ。
こうやってキュービタルな環境を一般化させていくと何が起こるのだろう。
エンターテイメントや仕事、学習におけるパラレルリアリティ・キュービタル環境の有効性についての考察もオモシロイ。 金曜日に石井先生にお会いしたら話てみよう。
投稿者 TKM : 05:50 | コメント (3) | トラックバック
2005年03月14日
進展具合とコンテンツ体験記録雑記、「イデオン」のカウンターパンチ
■腰の調子
5割くらい完了。
腰の破壊度合い8割5分といったところか。
1時間作業の後、10分休憩というなんとも規則正しいリズムだ。
肩の骨を折って二年越しで腰を痛めるとは…。
あの日、橋にアタマをぶつけた時に予想できただろうか。
■やまけん劇場とジャッキー劇場
先日のやまけん劇場も好評だったようでなによりである。
オニタツ氏の前で平然を装いつつ、その数分前までキツネ・マイセルフのMr.Y。
ナイスなフェイクはさすがに党首。
ところで先日「香港国際警察」を観たのだがこの作品、ジャッキーの最高傑作である。
心をえぐられるような体験、とはいかないが、何しろ素晴らしい2時間を過ごさせてもらった。
ジャッキー劇場万歳。
知らなかった感覚を想起させ脳の裏側に働きかけてくる映画はたまらなく魅力的だがジャッキーも悪くない。 ジャッキーがつくりだす安心感、安定感、観賞後の爽快感は仲間との酒席や食事に似ている。 オレの同世代の人でジャッキーのスマイルが好きなら誰でも楽しめる。オススメである。
あと、これまで全く読んだこともないし観たこともなかった漫画「ワンピース」のアニメ作品。これがなかなかの傑作だった。 ハリウッド的というかオーソドックスな構成は工業製品のようでさえある。あなどれない。数作観た結果「ワンピース THE MOVIE デッドエンドの冒険」 という2003年の作品の完成度がズバぬけていた。異化ノリではないけれど、あれはヒット系アニメの名作の一つになるだろうな。
ちなみにやまけん劇場の2時間前に「伝説巨神イデオン 接触篇/発動篇 【劇場版】」を観たのだがこの作品は 「ワンピース」 などのヒット系アニメの真逆な方向性の作品で富野作品中No.1にやりたい放題、視聴率切り捨てゴメンな作品である。 映画版のラストは大川隆法も真っ青のニューエイジアニメーションに仕上がっている。ちなみに出来は素晴らしい。
「ワンピース」が「ああ、面白かった」な作品だとしたら「イデオン・発動編」は「あれはなんだったんだ」な未知との遭遇である。 日本のアニメーションの奥深くに息づく情念をみた。
投稿者 TKM : 05:53 | コメント (3) | トラックバック
2005年03月13日
コンピュータ内蔵シューズ「アディダス1」
以前にも紹介したコンピュータ内蔵タイプのランニングシューズ「アディダス1」だが昨日、オフィシャルサイトが新設されているのをみつけた。 簡単な登録を済ませて、サイトをのぞいてみるとスパイク・ジョーンズ製作のTVCMが視聴できる。
映像作家のアタマの中はどうなっているのか。よくもまあこのような映像をおもいつくものだ。
映像そのものには驚かないが問題はその使い方である。ああした発想はどこからくるのだろう。
世の中にはアタマの柔らかい人たちがたくさんいるものだ。
「アディダス1」のサイトはスパイク・
ジョーンズのCMの世界観をブラウザの中にもってきた感じの独自のユーザインターフェイスでかなり使いづらい。
しかしこの使いづらさがつくりだすモードにも意味はあって、通常の情報提供型のサイトとは異なる視聴感覚を与えている。
視聴の世界にインタラクティブを持ち込んだ場合、そこにコミュニケーションが発生しない限り、 ゲーム的な表現を越えることはかなり難しいのだということを再認識した。
ゲームというモードを考え開発してきた人々を尊敬する。
あのモードを別な場所に持ち込むことで生活はかわるだろうな。
エレベータでもなんでもやりかた次第でアソビ道具になる。
利便性とエンターテイメント性や「気持ちよさ」は両立できる、と僕は思うのだけれどまだ少ないなそういうの。
そういうことをやっていきたい。
投稿者 TKM : 15:23 | コメント (0) | トラックバック
「さくら」 ケツメイシ
シングルCDなんてほとんど借りたりしないのだが昨日、店で流れていた「さくら」という曲が気に入ったので借りてみた。
「さくら」はケツメイシという変わった名前のグループの曲である。
月並みな言い方だけれどこの曲がやたらと気持ちよい。
机の配置を変えて、窓際、外が見える位置に移動した。
先ほどまで外には雪が舞っていた。
しばらくみているとやがて晴れ間が見え始め今は太陽が輝いている。
雪から春の日差しへと凄まじい変化である。
iMacのスピーカーからは「さくら」が流れ続けている。
音楽の心地よさはどこからくるのだろう。
考えてもわからないから音楽に気持ちを寄せていく。
音楽ひとつで世界は全く違った印象で迫ってくる。
やまけん劇場といい、今日もまた、面白すぎる。
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さくら ケツメイシ おすすめ平均
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必聴です!
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投稿者 TKM : 15:06 | コメント (3) | トラックバック
やまけん劇場
というわけで昨日書いたように党首のやまけんが今日も魅せてくれた。
10時過ぎ、電話が鳴る。
「やまけんです」
いつものバカトークと違ってナイスガイな声である。
「よー、どもー」
「あのさ。今日、しんのすけのところにきてんだけどさ。どこでやってんの?」
「ん?どこってアリーナだよ。体育館。でも学校の真ん中になってるけど」
「いやー、職員室にも誰もいないし。鍵もしまってるんだよね。うーん」
「昇降口からはいっていくだよ。いま校庭のどのへん?」
「うーん、裏手。なんかおかしいんだよね。キツネにつままれたような感じでさぁ」
どうも話がみえてこない。声のトーンにも元気がない。迷うような場所ではないし、警備員さんもはいっているはずなのだが。 電話口からは子供達のアソブ声が聞こえている。休日の学校近くという雰囲気だ。
ン?
しかし…。おかしいな。
受話器の向こうから漂ってくるこの雰囲気は…。
「ちょっとまって、やまけん、いまなんて言う場所にいるの?」
「エ、そりゃ。あれだよ、東山田
小学校…」
バ、バカである…。
やってくれた。キツネにつままれたのではなく、キツネ・ユアセルフ。やはりこの男、行動が
漫画だ。
「あのね。そりゃ閉まってるよ。しんのすけは中学校の校長なんだから、
東山田中学にいかなきゃ」
「ナ、ナニー!!!!!!!!!!!!うわぁーぁぁぁぁぁぁぁぁ。や、やってしまった。ウワァァァァァァァア!」
受話ごしにやまけんが小学校にひとりぽつりと立ちすくみ、 ヤラレタ感まるだしでアローンで騒いでいる様子が臨場感たっぷりにつたわってくる。マ、マンガである。最高ですよアンタ。
「あったりまえじゃない!またしても、やってくれたねー。いやー、最高だよ」
以下、爆笑。
日曜日の昼前から良い感じにバカ笑いをさせていただいた。
素晴らしい。
これである。
これぞやまけんの真骨頂。
漫画的とはこういうこと。
全ての時間はこうでなければならないのだ。
党首万歳。
素晴らしき日曜日をありがとう。
投稿者 TKM : 11:08 | コメント (12) | トラックバック
2005年03月12日
漫画ライフ
といっても漫画読みに徹するということではなくて、漫画な生活こそ理想だな、と。
こんな言い方で意味はつうじてるだろうか。
いや全然、通じなくていいのだが。
漫画的ってのは最高のコンテンツであって、聖も俗もぐるぐると一緒くたになっていてもOKで。
存在がすでに逸脱状態なのとか。
ようは「腹筋が痛くなるくらい笑ってますか」とか「機嫌よく生きてますか」みたいな話なのであった。
いやなんていうか。
先日、うちの党首のやまけんに吉野家で強烈な「秘技」
を伝授されてしまい。
今宵はどうしてもその「秘技」を試してみたくて仕方がないとまあそういうことなんです。
やまけんの場合はそのライブな「食い」はかなり漫画なんですが。
彼のブログではそのあたりがうまく表現されていないのでカネコ先生にお願いしたいところです。
投稿者 TKM : 23:57 | コメント (2) | トラックバック
夜は快適世界の入り口
夜の街は快適空間である。
道路に車はなく、歩道にも人がいない。
風車の理論で武装すれば遭遇する警察官にもフェイクな笑顔で対応できる。
車と人がいなければ信号もないのと同じ。
止まることもなく銀座まで流れるようにスイスイと進んでいく。
人混みの消えた都会。
こんな夜は不機嫌になるのも難しい。
都市は夜に生き返る。
投稿者 TKM : 23:48 | コメント (0) | トラックバック
東山田小学校
しんのすけ校長の話をききに横浜の東山田小学校へ。
以下、かきとめておきたいメモを。
素晴らしいスピーチと講演であった。
友人であるけれどしんのすけの話をしっかりと聞くのは初めてだ。
先日の北海道の講演はネット越しだった。
その時よりも数段切れ味と厚みが増している。
プレゼンの研究としても参考になるところが多々あった。
質疑応答の時に何か質問しようと考えるのだけれど何も思いつかない。
オレなんかが質問するよりも父兄の方々が気になることをきいてもらったほうがいいのはあたりまえだ。つまりそういうことなのだろう。けれど、
今朝まで脳裏では何かしら考えていたんだと思う。
編プロをたちあげた知り合いとの心地よい会合を経て今朝帰宅し、言葉が閃いた。
「僕は本城の同級生で今日はこの場に見学にきています。本城の話をきちんときいたのも今日がはじめてです。 オレはあんまりうまいこといえないし、気の利いたことも言えません。でもね、僕は父兄の皆さんを羨ましいと思います。 オレが中学生だったらね、はっきりいってこんな校長のいる学校、楽しいですよ。こんな学校で学びたかった。だから、 いろんな不安とか疑問とかあると思うけど、そんなことよりもいまこの場にいるということをもっとホントにラッキーだなあ、 と思ってもらいたい。オレはホントそう思います」
と言いたかった。一日おくれだけれど、あの場の質疑応答でオレがしんのすけにいいたかったのはそんなことだった。でも、やはり、 うまくいえないな。
投稿者 TKM : 07:17 | コメント (3) | トラックバック
2005年03月11日
ロリポップディスク容量を追加で500Mになった
かねてより愛用しているホスティングサービスのロリポップ!
だが昨日、 旧来のユーザにもディスク容量を500Mに増量するサービスが開始されたので早速追加。
月額料金は100円の追加である。 缶ジュース一本よりも安い。
それで200Mに更に300Mのディスク容量が追加されるのだから素晴らしい。
ネットのサービスに関しては日本も素晴らしいものがいくつもある。
ロリポップのサービスは中でも一番気に入っているもののひとつだ。
個人でも法人でも、毎日数十万アクセスもあるとかウェブサービスの提供をおこないたいなど特別な理由がなければ月に何千円もはらってMobableTypeのインストールすらできないようなサーバを使うのはお金の無駄だと思う。

「きゅーん」ときます