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2005年04月28日
やるなリゲイン ~リゲインの新CMとネットの商売とたかたさん~
■リゲインの新CM
http://regain.jp/jiten/cm/index.html
茂木先生のブログで紹介されていたので何も考えずにクリックすると。
いきなり魚の感情論みたいなものが映像で展開されており
ヤラレタ感
満載である。
この絵面を閃いた時、その人の頭の中にどんなパルスがはしっていたのか。その感覚を知りたい。
ぜひ教えてもらいたい。
茂木先生も
最初に見た時は、自分は一体どんな映像を見ている
のか、一瞬わからなくなった。
と書いているが僕の場合、水中に突入する鳥の足が一瞬、人が飛び込んで手でつかんでいるように見えて「何故、人の絵を挿入?!」 と前後不覚、混沌のカーニバル感覚に陥った。
ところで魚を擬人化するメタファーは映画にもときどきでてくる。
「渦 」
という映画の冒頭はまな板の上で切り刻まれようとする魚が物語を語り出すシーンからはじまる。
この映画のストーリーと魚と包丁とまな板のシーンは全く関係がない。
だがこの映画で僕の記憶に残っているのは魚の声と包丁の映像だけだ。
リゲインのCMでも商品は「鳥と魚の闘争」とは全く関係ない。関係がないものにどう関係性をつけていくのか。 そこがポイントなのだが結論からいうと関係はない。関係がないものを並べると人は勝手に関係性をつくりあげてしまう。 この効果は以外に大きい。なかばパブロフの犬状態である。
「鳥と魚のバトル」 という商品とは無関係な映像世界が健康飲料のCMに適応できてしまっているのはCMの記号化が加速しているからだろう。
この作品における上記のメタファーのインパクトは絶大であった。
商品やサービスの宣伝においては重要なのはその映像情報が我々に与える情報価値である。それは商品情報でなくてもいい。
視聴した時に私たちが価値を感じる映像ならばそこには価値があり、記号として十分に機能していることになる。
映像のインパクトによって「こんなCMがあった」「見た」という認識を視聴者に植え付けることが大切なのだ。 価値提供によって認知しているという状況をつくりだすことが目的である。
この手法とは異なるがメールマガジン発行の収益獲得モデルなんかも面白い。
数万単位の発行部数に達するまでは様々な手法をぶちこんでいき、メディアとして機能しはじめたところで具体的に収穫ツールとして使われる。
ざっとみていくとすぐわかるがネットでおこなわれている小規模の「売り系の商売」はどれもジャパネットたかたみたいなものである。
とにかくメディアの射程規模(パイ)を大きくしていくと「だれが買うんだそれ?」みたいな商品であっても少数(といっても数百はある)
の人は反応する。
雑誌の場合は印刷したり配送したりというコストがかかるのだがメールマガジンなどテキスト系のメディアに関しては運営にかかるコストが低い (というか実費はゼロに近い)ため利益率は驚くほど高くなる。なので売り上げが数百万というレベルであってもつみあげた時の収益は凄まじい。 また発行コストがゼロだから毎日でも発行できる。雑誌が月に一回なのにくらべると機動力が全然違うのである。 意思決定にかかわる人数も少ないので路線変更も頻繁に行われる。
リゲインのCMから話がとんでしまったがこうした事例をみていくと
「CMっているのか?」
という考え方もありだと僕は思う。いわゆるインフォテイメント的なコンテンツのカタチは思っていたようなものとは異なるのだろう。
その話については別エントリーで触れたい。
投稿者 TKM : 2005年04月28日 11:00
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コメント
CFを視た感想はカガヤさんとは少し違った。単純に、「リゲインを飲めば、小さな魚でも猛禽に勝てる」ということがいいたいのだなというもの。多分三共が、あるいはプロダクションが意図した狙い通りの受け方を素直にしたと思っている。
ただ、海外のCFでは、最後に魚がリゲインを飲むシーンは加えられなかったのでは、と思った。そのシーンを加えることは、製作者側の「こちらの意図が伝わらないのでは」という弱気の現れだし、日本人特有のいわずもがな的過剰とも受け取れる。最後のあのシーンがないほうが完成度が高まったと思う。
つまり「何なんだったんだあれは」感がより強まるからだ。
それと、猛禽が水中に手をつこっこんだ時に人間の手をインサートするのは「雑味」以外の何ものでもない。確かにあそこで、余計なことを考えたり、本質とは違うところで思考させることで、意味伝達の妨げになっている。あの、人間の手の部分と最後の付け足しさえなければ、相当な傑作コマーシャルになったと思う。
じゃ、元気なくぐったりしていた人があのコマーシャルを見たとして、即薬屋に走るほどのインパクトがあるかといえば「?」だが、それでいいのだと思う。ただ、見た人に「元気にがんばるにはリゲイン」という情報がインプットされるだけでA-OK。其の情報が、どこで購買意欲につながるかわからないが、少なくとも購買者予備軍を形成することになる。
じゃぱねっとたかたの高田社長は、PRESIDENT誌に掲載されたインタビューで、「私は、テレビショップで商品を紹介するとき、商品に10の特性があるとしたら、そのすべてを話すことはない。まず五つに絞る。そして五つのうちの一つに半分以上の力を注いで、その特性を強調する。あれもこれも読み上げる必要はない。自分が驚いたり惚れこんだ特質を、ストレートに語りかければいいのだ。お客様が知りたいのは、決して商品の機能などではなく、「どう使えるのか」に尽きるからだ。」と語っている。
ここに、「コマーシャルの必要性」の本質が語られている。無垢の商品に購買意欲を与える。商品価値を付与する。当たり前のようで申し訳ないが、そういうことだ。不特定多数(TV媒体のように)に向けて発信するものもあるだろうし、ある特定のコミュニティにむけて、其のなかの人にだけ共通する価値基準に向かって発信するものもあるだろう。
メールマガジンの活用は後者にあたり、読者にそうした「価値観」をいかに作っていけるかが勝負といえる。
そういう意味で言えば、今回のリゲインは、明らかに前者でありながら、後者の持つ効果も内包しているところに面白みがある。好きな言い方でないので忸怩たるものがあるが「今度のリゲインのコマーシャルどうよ?」ってのりにフィットすると思えるからである。
リゲインのCMから話がとんでしまったがこうした事例をみていくと
「CMっているのか?」
という考え方もありだと僕は思う。
必要性は薄れることなく限りなくありようが変わっていく、というのが僕考えなのだが。
「効果的であれば」という前提付きだが、広宣流布したほうが売れるもの。やっぱり。
投稿者 Minerva : 2005年04月28日 12:48
ジャパネットたかた社長のインタビューの引用部分の紹介ありがとうございます。要・メモな言葉です。ネットっていいですね。発信した情報がわずかであれ「価値提供」できている場合は別な情報を連れてきてくれるのかな、と思いました。
話をじゃぱねっとに戻します。
例えば僕の場合、ジャパネットたかたの番組って好きでよく見てたのだけれど、それを見て買うってことはありえない。それは何故かというとあそこで扱われている商品が全く響いてこないからだ。(古かったりするし)しかし、商品知識がなければ人によってはたかた社長のモードが伝播してグっとくるだろう。また買った後も量販店で買うより満足するかもしれない。買い物って結局は「満足した人勝ち」なんだろうな、と思う。
リゲインのCMについては最後のシーンについてはほとんど印象に残っていない。魚の目の生々しさのみが焼き付けられている。僕は反応したのはその部分なのだろう。
しかし、ひとつ思うのは僕はこれをWMPで見ているということだ。これが番組の間にはさまってTVモニターに投影された場合のコンテクストを無視して考察しているのでちょっとズレがあるかな、とも思う。
投稿者 かがや : 2005年04月28日 13:50
最後の三行はまったく同感です。というかワタシは見落としていました。ただぼーっとテレビを見ているのと、何らかの情報をキャッチしてやるぞ状態でパソコンに向かっているのでは、まったく受ける感じが違いますからね。
ちなみに高田社長、佐世保の行動沿いにあったカメラ店をあそこまでの企業にしたこと、情報流失事件のときの態度など、貴になる経営者のひとりです。
投稿者 Minerva : 2005年04月28日 15:03



















































































